第15話 掘削穴の獣
新市街の造成地で、四級の獣がクレーンを傾けた。
第九分署の管制卓に届いた画像には、折れた金網と土ぼこりが映っていた。造成地は第七分署との管轄の境にあり、先着した第七分署から応援要請が来ている。
「……四級ビーストですか」
レンは画像を拡大した。四足型で、頭が低い。前方へ突き出した二本の牙が、横からでもはっきり見える。
以前、報酬の高さに引かれて調べた個体とは別の獣だ。だが、厄介なところは似ている。
首を下げて突進してくる相手を、ガイが肩で受けるわけにはいかない。
「その腕で四級とやるんですか。第七だけで足りるでしょう」
『向こうも困ってる』
「困ってるのは分かりますよ。でも、アンタが倒れたら更新審査まで終わるんですけど」
『現場を見る』
レンは端末の端に開いていた医療記録を見た。
三日前の資材置き場で、ガイが負った傷だ。左前腕を八針縫っている。処置は終わったが、腕を大きく動かせば傷口が引きつる。
出動前、車庫で手首を三秒握ったときにも、左腕をかばう筋肉の張りが伝わってきた。
「……その代わり、俺が下がれと言ったら聞いてくださいよ」
『おう』
「本当に分かってます?」
返事の代わりに、外装の接続音が届いた。
ガイが登録章を二度叩いたらしい。二・八秒後、生体情報の表示が安定した。
レンは現場図を開いた。
第九分署の屋上射出機から現場までは一・八キロ。旧式の射出機では、着弾まで約十一秒かかる。
画面の中央に、深い掘削穴があった。底はコンクリートで固められ、周囲には掘り出した土が積まれている。
穴の東側にはクレーン。届いた画像では、機体が傾き、長い腕の一部が穴の縁へ掛かっていた。
獣を穴へ落とせれば、牙は届かなくなる。
問題は、どうやってそちらへ向けるかだ。
レンはアイテム一覧を開いた。捕縛網では、突進する獣を止めきれないかもしれない。
指が閃光筒の項目で止まった。
(十一秒あれば、向こうは何回でも動ける)
先に位置を決める必要があった。
レンは掘削穴の反対側にある搬入路へ、赤い印を一つ置いた。
造成地の入口で九号車を止めたガイは、金属の軋む音を聞いた。
外装のままバイクを降りる。傾いたクレーンの足元で、獣が前脚を踏み替えていた。首を下げるたび、太い牙が地面すれすれを動く。
その手前に、黒い外装の若いヒーローがいた。
片目を覆う照準器を指で直し、ガイを見上げる。
「第七分署、レイヴンです。……え、グリット? まだ現役だったんですか」
隣の緑色の外装が、若い男の肩を小突いた。
「レイヴン、言いすぎだ。すみません、グリットさん。ラインバインドです」
「おう」
ラインバインドの腰には、太い鋼索の巻き取り機が付いている。
レイヴンはガイの肩当てを見た。
「その旧型、まだ使ってるんですか。しかも腕を怪我してるんでしょう?」
ガイは返事をせず、獣と掘削穴の位置を確かめた。
穴の手前には土の山がある。獣が勢いよく走っても、そのまま穴へ落ちるとは限らない。
『こちら第七分署、桐生です。グリット、正面には立たないでください。牙を確認しています』
合同回線に、統括指揮者の桐生直哉の声が入った。
『第七は左右から足を止めます。可能なら側面をお願いします』
「分かった」
「じゃあ、先にこっちで削ります」
レイヴンが銃口を上げた。
衝撃弾が獣の横腹へ当たり、大きな身体がよろめく。
だが、獣はすぐに踏み直した。
撃たれた方向へ頭を向け、地面を蹴る。
「来るぞ!」
ラインバインドが鋼索を張った。
獣の前脚へ索が触れる。巻き取るより先に獣が走り抜け、ラインバインドの身体が二歩引きずられた。
「くそっ、止まらない!」
レイヴンが二発目を撃った。弾は胴へ当たったが、獣の突進は鈍らなかった。
ガイは進路を外れた。
牙は受けられない。今の肩当てで正面に立っても、衝撃を溜める前に身体を貫かれる。
そのとき、造成地の入口から明るい声が響いた。
「いやあ、皆さん! お待たせしました!」
白と金の外装を着たハウンドだった。
頭上には配信用ドローンが浮いている。ハウンドはカメラへ軽く手を振ると、獣のほうへ向き直った。
「四級ですか。結構暴れてますねえ」
「正面に出るな! 牙がある!」
レイヴンが声を張った。
「見えてますって。それより皆さん、少し距離を取ってください」
ハウンドが右手を振る。
細い鋼線が何本も伸び、獣の前脚と首の周囲へ回り込んだ。
鋼線が張る。
獣の頭が横へ引かれ、突進の方向がずれた。太い前脚が地面を削り、大きな身体が半回転する。
「ほら、こうすれば止まるんですよ」
ハウンドは左手を上げ、別の鋼線を獣の後ろ脚へ絡ませた。
獣が踏み出そうとするたびに鋼線が引かれ、身体の向きが変わる。
レイヴンは銃口を下ろした。
「……なるほど。やっぱCランクは違うな」
「感心してないで、逃走方向を見ろ」
ラインバインドが鋼索を構え直す。
獣は頭を振り、ハウンドの鋼線を引きちぎろうとしていた。だが、ハウンドは力を正面から受けず、引かれる方向に合わせて線を緩めている。
ガイはその動きを見た。
捕まえ方は悪くない。
獣の力を逃がしながら、足を止めている。
『ハウンド、その位置なら拘束を維持して。第七の二人が側面から入れる』
チカの声が合同回線に届いた。
「いやあ、それじゃ地味でしょう」
ハウンドはドローンを見上げた。
「せっかく皆さんが見てるんですから、一発で決めないと」
両手を広げる。
鋼線が追加で伸び、クレーンの脚と金網の支柱へ掛かった。
獣の周囲に白い線が増えていく。
「おい、待て!」
ラインバインドが金網を指した。
「そっちの支柱、根元が浮いてる! そこに荷重を掛けるな!」
「大丈夫ですよ。全部を一本で支えるわけじゃありませんから」
『ハウンド、いったん中止。固定点を確認して』
「もう少しですって!」
ハウンドは鋼線を一斉に引いた。
獣の前脚が止まる。
後ろ脚が浮き、巨体が横へ傾いた。
配信用ドローンが獣の周囲を回り込み、張り巡らされた鋼線を上から映している。
「さあ、これで――」
獣が身体をねじった。
鋼線の束に、横向きの力が掛かる。
金網の支柱が大きく傾いた。
「だから、そこは駄目だって!」
ラインバインドが駆け出す。
支柱が根元から抜けた。
片側の鋼線が一斉に緩み、引き戻そうとしたハウンドの身体が前へ流れた。
「……え?」
獣の頭が自由になる。
ハウンドが鋼線を引き直そうとしたときには、もう牙が目の前にあった。
『ハウンド、右へ!』
チカの声に、ハウンドが反応した。
鋼線で身体を横へ引き、牙の先をかわす。
だが、避けた先へ獣の胴が流れ込んだ。
白と金の外装が横から弾かれ、土の上を転がる。
鈍い音がして、ハウンドの身体が止まった。
「……っ、ぐあ!」
ハウンドはすぐに起き上がろうとした。
右脚に力を入れる。
膝から下が思うように動かず、その場へ倒れ直した。
「……なんだよ。何で動かないんだ?」
『ハウンド、動かないで。今、回収を手配する』
「待って、チカ。俺、まだやれるから」
ハウンドは地面に片手をついた。
無理に立とうとした瞬間、脚に痛みが走る。
「っ……!」
「お前、何やってんだよ!」
レイヴンが駆け寄ってきた。
「固定点が抜けるって聞こえただろ! あんな場所で無理に引っ張るから!」
「……うるさいな。分かってるよ」
「分かってたらやるか、普通!」
「レイヴン、文句はあとだ!」
ラインバインドが間へ入った。
獣はクレーンのほうへ向きを変えている。今なら負傷者を逃がせる。
『第七、ハウンドを回収してください。搬送班を入口へ回します』
桐生の指示が入った。
レイヴンがハウンドの身体を支え、ラインバインドは獣の動きを見ながら退路を確保する。
「立てるか?」
「……立てるって」
ハウンドはレイヴンの肩を借りて立ち上がった。
右脚を地面につけた途端、身体が傾く。
「おい、無理すんな!」
「くそ……!」
ハウンドは歯を食いしばった。
頭上では配信用ドローンが、まだ二人を追っている。
「……チカ。配信、どうなってる?」
『今は脚のほうが先』
「そうじゃなくて、俺が倒れたところ……」
『止めた。今は喋らなくていい』
ハウンドはドローンのほうへ顔を向けた。
しばらくしてから、小さく答えた。
「……分かった」
ガイは三人の背後へ回った。
獣がこちらへ向けば、救助の途中で再び突進を受ける。
ガイは獣との間に立ち、動きを確かめた。
レイヴンたちがハウンドを入口付近の救護班へ引き渡す。
『グリット、ハウンドの搬送を確認しました』
レンの声が届いた。
『獣はまだクレーン側です。掘削穴はその左手側にあります』
ガイは穴の縁を見た。
崩れかけた土の山。その向こうは、底の深い穴だ。
獣が自分から進む方向ではない。
ガイはクレーンの足元へ歩いた。
第九分署の管制室で、レンは固定カメラの映像と造成図を並べていた。
現場のカメラが見ているのは入口付近だけだ。奥にいる獣の細かな動きまでは分からない。
『獣、クレーン側へ移動。掘削穴の東側です』
桐生から位置情報が届く。
レンは搬入路の印を動かした。掘削穴の東側、獣から見て外の道路に近い位置だ。
光がそこへ落ちれば、獣は顔を背ける可能性がある。
その先にあるのは掘削穴だ。
「第七分署、こちら第九。搬入路へ閃光筒を落とします。着弾まで約十一秒。全員、光の方向から目を外してください」
『了解。各員、閃光に注意』
レンは共有回線の送信先を確かめた。
桐生だけでなく、チカの指揮車両にもつながっている。
『閃光筒、射出』
残弾表示が二発になった。
レンは着弾までの数字を追った。射出から十一秒もあれば、獣はかなりの距離を動ける。
予定地点に落ちても、顔を背けるとは限らない。
「グリット、閃光筒は搬入路です。獣が穴側へ向いたら、位置を知らせてください」
『おう』
レンは少しだけ迷い、もう一つ付け足した。
「クレーン、かなり傾いてます。近づきすぎないでくださいよ」
返事はなかった。
代わりに、無線から金属の軋む音が聞こえた。
ガイの前で、獣がクレーンの脚へ突進した。
太い牙が機体の下部へ食い込み、車輪の一つが浮いた。
機体が横倒しになる。
長い腕を支えていた部材が外れ、鉄骨の一部が傾いた。
片端を地面についたまま、反対側が落ちてくる。
ガイはその平らな面を見た。
牙は溜まらない。
だが、落ちてくる鉄骨の打撃なら溜められる。
肩の高さまで下がった鉄骨へ、ガイは身体を入れた。
左肩の肩当てが、落下する鉄骨を受ける。
重い衝撃が身体を押し下げた。
膝が曲がり、靴底が土へ沈む。肩当ての端が背中側の装甲へ食い込み、肩の奥まで圧力が届く。
鉄骨の片端は地面に残っている。
全重量を支えたわけではない。それでも、ガイの身体には大きな衝撃が流れ込んだ。
左前腕の縫い目が引きつった。
思わず指が開く。右腕で支え直そうとしたが、肩の痛みがそれを止めた。
ガイは鉄骨を持ち上げなかった。
身体を半歩ずらし、残る重さを地面へ逃がす。
鉄骨が土を削り、落ちた。
「……今の、肩で受けたのか?」
レイヴンの声がした。
負傷したハウンドの回収を終え、戻ってきたところだった。銃口は下げたままだ。
ガイは答えず、足元を確かめた。
衝撃は身体の内側に溜まっている。
時間を置けば抜ける。だが、今の肩では同じものをもう一度受けられない。
獣が向き直る。
クレーンの脚から離れ、突進する距離を取ろうとしていた。
そのとき、搬入路へ落ちた筒が強く光った。
獣が頭を振る。
光を避けて身体を返し、掘削穴のほうへ顔を向けた。
ガイは横へ動いた。
正面に立てば牙が来る。獣の頭が向いた今なら、後ろ寄りの側面へ回り込める。
『グリット、穴の縁まで距離があります。足元は土の山です』
レンの声がした。
ガイは自分の足で確かめた。
縁に近い地面は柔らかい。そこから踏み込めば、足が滑る。
一歩下がると、硬く締まった搬入路があった。
ガイは右足をそこへ戻した。
獣が身体をねじり、こちらへ向こうとする。
牙が横を向く。
まだ届く距離ではない。
ガイは溜めた衝撃を脚へ送った。
踏み込む。
硬い地面を蹴り、獣の斜め後ろから胴へ肩を当てた。
鉄骨から受けた衝撃を、後から乗せる通常の放出だ。
大きな身体が横へ押された。
獣の前脚が土の山へ食い込む。盛り上がった土が崩れ、身体が掘削穴の縁へ流れた。
獣は後ろ脚で踏み直そうとした。
その脚へ、一本の鋼索が掛かる。
「こっち、押さえます!」
ラインバインドだった。
巻き取り機がうなる。
獣の重量を引き止めることはできない。だが、踏み直そうとした後ろ脚が、一拍だけ地面から離れた。
ガイは肩を離した。
獣の身体が縁を越える。
前脚が空をかき、頭から掘削穴へ落ちていった。
底のコンクリートに、硬い音が響いた。
ガイはすぐに穴へ近づかなかった。縁の土が、獣の落ちたあとも崩れている。
安全な場所まで下がり、膝に手をつく。
肩の内側には、鉄骨を受けた痛みが残っていた。左腕を動かすと包帯の下が引きつり、傷をかばうたびに身体の向きが崩れる。
レイヴンが隣へ来た。
掘削穴の底を見て、それからガイの肩を見た。
「……今の、グリットが?」
「おう」
レイヴンは口を開いたが、何も言わなかった。
ラインバインドが穴から離れ、巻き取った鋼索を確かめている。
ガイはレイヴンへ目を向けた。
「けが人は」
「ああ……ハウンドなら搬送しました。脚をやったみたいですけど、命に別状はないそうです」
「そうか」
ガイは穴の底へ目を戻した。
やがて本部の確認班が下へ降り、獣の討伐を確認した。
夕方、造成地の外に置かれた指揮車両で、レンは合同案件の報告書を開いていた。
第七分署の統括指揮者、桐生直哉は二十七歳の青年だった。
出動時刻、負傷者の搬送時刻、射出記録。画面の項目を順番に確かめ、不足しているものだけを指摘する。
「第九分署の射出記録は受け取りました。十一秒の事前通告も残っていますね」
「こっちは旧式なんで、そのくらい待つんですよ」
「現場へ伝わっていれば問題ありません」
桐生は確認欄へ目を落とした。
車両の横では、チカがハウンドの負傷記録を閉じていた。黒髪をまとめた赤いヘアゴムが動き、レンのほうを向く。
「天城くん、閃光筒の場所、よかったね」
「造成図に穴が載ってただけです。……そっちは大丈夫なんですか」
「搬送済み。命に別状はない。脚はまだ検査中」
「そうですか」
チカは次の画面を開いた。
討伐者の登録欄だった。
先着したのは第七分署。獣を最初に攻撃したのはレイヴンで、最後の逃げ足を抑えたのはラインバインド。
ハウンドも現場にいた。
だが、獣を穴へ落としたのはガイだ。
「最後に倒したのはグリットさん。記録は、そう書いた」
チカが入力欄を確定する。
画面には、グリットの登録名が表示された。
レンはその名前を見た。
「……どうも」
「事実でしょ」
チカはそれ以上何も言わず、端末を桐生へ渡した。
桐生は内容を確認し、承認欄へ署名した。
「討伐の判定は、この内容で問題ありません」
「助かります。四級の四十点、うちには大きいんで」
「そうでしょうね」
レンは年度累計を確かめた。
百三十四点。
千点まで、まだ八百六十六点ある。
桐生は造成地の地図を閉じた。
「来年、ここの管内もうちで見るかもしれませんね」
「へえ、そうなんですか」
レンは査定欄へ目を戻した。
今は四十点の確定だけで手いっぱいだった。
翌朝、第九分署の管制卓で、レンはネット記事を開いていた。
ハウンドの配信を扱った記事が、昨夜から何本も上がっている。
その一つに、造成地の戦闘を伝える見出しがあった。
〈人気ヒーロー、造成地で四級ビーストと激闘〉
写真には、白と金の外装を着たハウンドと、黒い外装のレイヴンが写っている。
本文には、ハウンドの勇敢な行動が紹介されていた。最後の数行には、第七分署の連携によって獣が討伐されたと書かれている。
レンは記事を下まで送った。
もう一度、上へ戻した。
討伐報告書の控えを横へ置く。
承認欄には、昨夜チカが入力した登録名が残っていた。
四級討伐。
四十点。
討伐者、グリット。
レンは記事の検索欄に、その登録名を打ち込んだ。
該当する文字列は見つからない。
翌日のネット記事に、グリットの名前はなかった。




