第14話 オマエのナイフ
資材置き場の門の向こうで、四級の男が金網を蹴っていた。
第九分署の管制室で、レンは現場図に赤い印を二つ付けた。
一つは警官隊の待機位置。もう一つは、先日の下見で見つけた金網の切れ目だ。
門の外には警察車両が止まっている。
しかし、金網の切れ目は大人一人が通れる幅のままだった。男がそちらへ走れば、簡単に敷地から出られる。
「……そこを塞がないと、また逃げられる」
レンは固定カメラを切り替えた。
男が金網を蹴り、門のほうへ顔を向ける。
門の外では警官が待機している。今は車両の陰に隠れているが、近づこうとすれば男に見つかる位置だった。
レンは射出機の地図を開いた。
現場まで一・五キロ。
着弾予測、九秒。
旧式の屋上射出機では、撃ったあとに着弾位置を変えられない。
最初に選んだのは発煙筒だった。
煙を出せば警官の姿を隠せる。ただし、男が驚いて走り出す可能性もある。
次に遮断板。
こちらは金網の切れ目の外側へ落とす。
両方とも、下見で位置を確認してあった。
一出動で使える射出は三発。同時には一発ずつしか撃てない。
残りの一発は、まだ決めないことにした。
レンは黒い手袋の指先を引き上げた。
出動前、ガイの手首を三秒握っている。
左肩の張りは昨日とほぼ変わらなかった。肩当ての固定帯も、腕を回しやすい位置へ調整してある。
車庫から接続音が届いた。
ガイの外装が展開し、生体情報が画面へ流れ始める。
二・八秒。
いつもどおりだった。
「グリット、昨日の位置図を開いています。警察には門の外で待機してもらいます。煙が届いたら、男からは見えなくなるはずです」
『分かった』
「金網の切れ目には遮断板を落とします。相手は四級、拳の硬質化。腰のナイフは一本確認されていますが、ほかにないとは限りません」
『おう』
「拳なら溜められます。でも刃は――」
『溜まらん』
レンは机に置いた分析表へ目を落とした。
殴る。
突く。
叩きつける。
それぞれ四十回。合わせて百二十回、映像を見直した。
肩の動きだけでは遅い。
その前に、足や腰が動く。
映像なら、拳が出る前に見分けられるようになった。
(本番は巻き戻せない)
九号車の位置表示が資材置き場へ近づいた。
レンは発煙筒の着弾位置を確定した。
資材置き場の前で九号車を止めたガイは、金網に沿って歩いた。
胸ポケットには、二つに折った紙が入っている。
レンが昨日書いた一行だ。
出動前にもう一度読まされたが、まだ声には出していなかった。
門の向こうに男がいた。
汚れた作業着。硬く握った両手。右腰にはナイフの鞘が下がっている。
外装も、顔を隠すものもない。
男はガイに気づくと、金網から足を離した。
「またヒーローかよ。工場の連中に頼まれたのか?」
「話を聞きに来た」
「何の話だ!」
「解雇されたんだろ」
男の口が止まった。
ガイは門の内側へ一歩入った。
地面には黒く焦げた木片が散らばっている。工場の備品らしい札を付けた空箱も転がっていた。
男はその箱を蹴った。
空箱がガイの足元へ飛んでくる。
ガイは足を出して止めた。
「どうしてここにいる」
「俺が働いてた場所だからだよ!」
男は背後の建物を指した。
「あいつらが勝手に追い出したんだ。何年も働いてやったのに、いらなくなったら終わりかよ!」
「そうか」
「そうか、じゃねえ!」
男が拳を金網の支柱へ叩きつけた。
硬質化した拳が鉄をへこませる。
「お前も邪魔するなら壊してやる!」
右手が腰へ動いた。
ナイフの柄が持ち上がる。
ガイは左肩を前へ出しかけ、止めた。
拳なら受けられる。
刃先は受けられない。
相手の手元を見たまま、足元の砂利を踏み固めた。
『グリット、警官隊は門の外で待機中です。煙を先に入れます』
第九分署のレンの声が入った。
『発煙筒、射出』
頭上を小さな音が抜けた。
まだ何も落ちてこない。
男が門の外を見た。
「何だ、増援か?」
ガイは答えなかった。
着弾までは九秒。
男が今走り出せば、煙が届く前に警官の位置を見つけるかもしれない。
ガイは門と男の間に残った。
ナイフを抜かれれば、近づき方も変えなければならない。
男が鞘から刃を抜く。
ガイはその動きを見ていた。
やがて門の外側で金属が地面を打つ音がした。
発煙筒が開く。
灰色の煙が道路へ広がり、警察車両の輪郭が消えた。
男が顔をしかめる。
「コソコソしやがって……」
ガイは胸ポケットの紙を思い出した。
普段の自分なら、あんな言い方はしない。
だが、レンは何度も男の映像を見ていた。
ガイはナイフを持つ右手へ目を向けた。
「オマエの刃は能力じゃない。ただの凶器だ」
「……あ?」
男が動きを止めた。
ガイは続きを言わなかった。
「俺の能力を馬鹿にしてんのか!」
男の顔が歪んだ。
握ったナイフをガイへ向ける。
それから、刃を地面へ投げ捨てた。
「だったら見せてやるよ!」
砂利の上でナイフが跳ねた。
男が右拳を握り込む。
拳の表面が硬く盛り上がった。
「これが俺の力だ! こっちで潰してやる!」
ガイは左肩を前へ出した。
拳は面の打撃。
受ければ衝撃を溜められる。
ただし、昔のようにその場で返すことはできない。
今は、溜めた力を次の動きへ使うしかなかった。
管制室で、レンは男の動きを固定カメラで追っていた。
ナイフが落ちるところまでは確認できた。
男の右拳が持ち上がる。
警官隊は煙に隠れている。
だが、金網の切れ目はまだ開いたままだった。
「……次はこっち」
レンは遮断板の着弾位置を確定した。
下見で確認した、金網の切れ目の外側。
人のいない砂利の帯だ。
『遮断板、射出』
残弾表示が一つになった。
着弾までの数字が減り始める。
固定カメラでは、男が一発目を振り上げていた。
レンは口を開きかけ、止めた。
今から「今」と言っても遅い。
拳はもう動き始めている。
(次を見ろ)
レンは男の足元を拡大した。
背中しか映らなくても、踏み込む足なら確認できる。
最初の拳が、ガイの左肩へ当たった。
硬質化した右拳だった。
装甲へ重さが沈む。
肩当ての端が背中側へ押され、ガイの身体が半歩ずれた。
受けた衝撃を身体に留める。
男が拳を引く。
ガイは左足を踏み直した。
「何だよ、当たるじゃねえか!」
男が笑った。
次は低い位置からの突きだった。
ガイは肩を落とし、胴へ届く前に受けた。
二発目。
硬い拳が肩当てに当たり、足元の砂利が鳴った。
衝撃が増す。
ガイは身体を支え直した。
前の肩当てより厚く、重い。
レンが固定帯を調整したおかげで腕は動くが、打撃を受けるたびに当たり面がずれた。
男はさらに近づいた。
「避けねえのかよ!」
ガイは答えなかった。
返しを撃てなくなってから、受けた衝撃をすぐには使えなくなった。
溜めた重さを抱え、次の動きを選ぶ必要がある。
男の膝が伸びた。
上体が持ち上がる。
叩きつける動きだ。
三発目。
ガイは左肩を上げ、拳を受けた。
重い衝撃が装甲を押し下げる。
膝が曲がった。
呼吸が一つ遅れ、肩の奥に熱が残る。
男がもう一歩詰める。
ガイは足を開き直した。
三発分の衝撃が溜まっている。
ただ、いつまでも持ってはいられない。
時間がたてば抜けていく。
もう一発受ければ、肩の負担も増える。
男の顔が近づいた。
「次で終わりだ!」
ガイは答えず、足元を確かめた。
砂利の薄い場所。
そこなら、踏み込みで足が滑りにくい。
背後で金属音がした。
遮断板が金網の切れ目の外側に着弾し、その場で開いた。
人一人が通れる幅を塞ぐ。
『遮断板、設置完了。切れ目は塞ぎました。警官隊は煙の向こうです』
男が一度振り返った。
「何だ、あれ!」
すぐにガイへ向き直る。
「お前も、そこから逃げられねえぞ!」
ガイは左足を踏み替えた。
逃げ道が減ったのは、男も同じだった。
男が右足を引く。
ガイには、顎が前へ出るのが見えた。
管制室のレンには、足の動きが映っているはずだ。
ガイは無線に耳を向けた。
次の拳が来る。
受けてから返すには、もう間に合わない。
だが、今の身体でも、溜めた力を放つことはできる。
男の後ろ足が動いた。
『――今』
ガイは四発目の拳が届く前に踏み込んだ。
左肩を前へ向ける。
溜めた衝撃を体当たりへ回し、正面から押し出した。
男の拳が外へ流れる。
ガイの肩が胴へ当たった。
男の足が砂利を離れた。
身体が後ろへ飛び、金網へぶつかる。
支柱が鳴った。
網が大きくたわみ、男の背中を受け止める。
反動で身体が前へ戻された。
男は片膝から地面へ落ちた。
ガイも足を止めた。
左肩に熱が残っている。
溜めた衝撃は使い切った。
次に同じ一撃を出すには、もう一度受けなければならない。
煙の向こうから警官が走ってきた。
先頭の古参の警官が、ガイを見て足を止める。
「今の……グリットか」
ガイは答えなかった。
男がまだ動いている。
右手を地面につき、起き上がろうとしていた。
左手は身体の下に隠れている。
ガイは腰のホルダーへ手を伸ばした。
拘束帯を抜きながら近づく。
男が身体をひねった。
戻りざま、左手が下から振り上がる。
短い刃が見えた。
ガイは腕を引いた。
だが、間に合わない。
刃が左の前腕を裂いた。
外装の継ぎ目から血が流れ、拘束帯の端を濡らす。
二本目のナイフだった。
最初の一本を捨てたあとも、男は別の刃物を隠していた。
ガイは傷ついた腕を引き、身体の向きを変えた。
男の右腕を膝で押さえる。
「刃物!」
駆け寄った警官が盾を差し入れた。
男の左手を押さえ、もう一人がナイフを取り上げる。
別の警官が右手首を固定した。
ガイは男の身体が動かなくなったのを確認し、膝を離した。
拘束具の締まる音がした。
男が罵声を上げる。
警官に両腕を押さえられ、そのまま連れていかれた。
ガイは傷口を押さえた。
血が指の間から流れている。
受けた拳の衝撃は、もう残っていない。
さっきの一撃ですべて使った。
裂けた腕は、そのままだった。
「グリットさん、腕を見せてください!」
警官が近づいた。
「先に連れてけ」
「もう確保しました。今度は腕です!」
ガイは左腕を上げようとした。
肘の途中で動きが止まる。
警官が清潔な布を差し出した。
ガイは受け取り、傷へ押し当てた。
足元の砂利には、男が投げ捨てた一本目のナイフが落ちている。
二本目も押収され、警官の手元にあった。
ガイはそれを一度確かめた。
男の怒鳴り声が、道路のほうへ遠ざかっていった。
夕方、処置を終えたガイが第九分署へ戻ってきた。
レンは管制室で報告書を開いていた。
左前腕、切創。
縫合、八針。
その数字を見て、ガイへ顔を向ける。
「八針って、何ですか」
「切られた」
「それは見れば分かります!」
レンは端末を持ち上げた。
「ナイフ一本だと思ってましたけど、二本持ってたんですよ。こっちも確認できてなかったとはいえ、あの距離で見落としたら――」
「確保した」
「そこは見てましたよ!」
レンは査定の欄を開いた。
四級ヴィラン、確保。
査定、四十点。
年度累計、九十四点。
報酬、八万円。
指揮者加算、一万二千円。
「点数は入りましたよ。報酬も予定どおりです。でも、左腕を八針も縫って取る点数ですか、これ」
ガイは包帯の巻かれた前腕を見た。
「そうか」
「そうか、じゃないでしょう」
レンは机へ端末を置いた。
「せっかく肩当てを調整して、拳の起こりも読んで、ちゃんと当たったんですよ。最後の最後で刃物って……」
ガイは言い返さなかった。
レンは録画専用ボディカメラから取り込んだ映像を開いた。
男の拳が三度、ガイの左肩へ当たる。
画面が揺れる。
四発目の前で、ガイの身体が動いた。
レンは再生を止めた。
隣に固定カメラの映像を並べる。
男の後ろ足が動く。
無線記録に、自分の声が入っていた。
『――今』
その直後、ガイが踏み込んでいる。
男の拳が外れ、体当たりが胴へ当たった。
レンはもう一度再生した。
訓練で何度も見た動きだった。
タイヤを振り、ガイが肩で受ける。
足の位置を見て「今」と告げる。
十回のうち六回しか当たらなかった動きだ。
それが、今日は当たった。
映像を止める。
ガイの左肩と、男の胴が重なっていた。
「……ちゃんと当たってるんですよね」
「おう」
「初めてですよ。俺の合図で、こんなにきれいに決まったの」
ガイは画面を見た。
レンは少し待ったが、返事はなかった。
代わりに、もう一度映像を再生する。
男が金網へ飛ぶ。
警官が走ってくる。
そして、左手が動いた。
短いナイフが見える。
レンはそこで再生を止めた。
画面には、ガイの前腕へ向かう刃が映っている。
勝てたことは分かる。
だが、ここを見落としている。
レンは端末を閉じた。
「次は腕の傷が治ってからにしてください。無理して出られても困ります」
「分かった」
「四級をもう一件受ければ、点数は増えますけどね。また刃物だったら、今度はもっとひどいことになるかもしれませんし」
レンは案件一覧を開いた。
第四分署から回された、もう一件の四級案件が残っている。
旧貨物線周辺に現れた四足型の獣だ。
報酬は一・三倍。
報告書は三枚。
レンは画面を眺めた。
「……まあ、こっちならナイフは持ってませんけどね」
ガイが缶コーヒーを机に置いた。
包帯の巻かれていない手で、案件票を指す。
「牙は、溜まらんぞ」




