第12話 一・三倍の獣
翌朝、第九分署の管制卓に、四級の案件票が二枚並んでいた。
レンは一枚目を開き、報酬欄を確かめた。
十万四千円。
「……悪くないな」
もう一枚は八万円だった。
どちらも第四分署から回された案件だ。担当のタイドが別の出動で手を離せず、第九分署へ対応の打診が来ていた。
一件目は四級ヴィラン。能力は拳の硬質化。
二件目は四級の獣。旧貨物線の周辺で目撃された四足型だった。
レンは獣の案件票を手前へ動かした。
「普通に考えて、こっちでしょう」
向かいに座るガイへ画面を見せる。
「四級の討伐報酬は八万円。獣なら一・三倍で十万四千円です。しかも査定点は、どっちも四十点」
レンは報告書の欄を指した。
「獣なら三枚で終わります。ヴィランを確保すると十二枚も書かされるんですよ。報酬は二万四千円高くて、書類は四分の一。選ばない理由がありません」
ガイは缶コーヒーを開けた。
「牙だ」
「……は?」
「牙と爪は、溜まらん」
レンは開きかけた表計算の画面を止めた。
「それは知ってますよ。でも四足型なら、体当たりもあるでしょう。前に三級のビーストを一人で倒した記録だってありますし」
「あれは違う」
「何がですか?」
ガイは答えず、案件票へ目を落とした。
レンも画面を見直す。
推定体長、二メートル以上。
前脚には長い爪があり、目撃情報には噛みつきによる車両の損傷も記録されていた。
体当たりなら、面の衝撃を溜められる。
だが、体当たりを受ける前に牙が届いたらどうなる。
ガイの外装は、刃や爪を正面から受けるためのものではない。
「……まあ、映像を見てからですね」
「おう」
レンは監視記録を開いた。
ところが、添付されていたのは静止画像だけだった。
「これじゃ動きが分かりませんね。タイドに映像を頼みます」
第四分署へ連絡を送り、もう一枚の案件票へ手を伸ばす。
「待ってる間に、こっちも調べておきます」
ヴィランの写真には、作業着姿の男が写っていた。
素顔で、外装も着けていない。両手は身体の脇へ下げられている。
ただ、腰には工具用の鞘があった。
そこにナイフが収まっている。
「……刃物持ちか」
レンは能力欄を拡大した。
硬くなるのは、握り込んだ拳の部分だけだった。腕全体を硬質化できるわけではない。
拳で殴るなら面の打撃だ。
ガイは受けて溜められる。
「相性だけなら、こっちも悪くないんですけどね。硬くした拳を受けて、あとから放出すればいいわけですし」
ガイは写真の腰を見た。
「刃物がある」
「見えてますよ。だから過去の映像を調べるんです」
レンは男の登録情報から、以前の案件を検索した。
三件見つかった。
どれも能力を使った記録が残っている。ただし、動画の読み込みに時間がかかっていた。
「……回線まで古いな」
レンが机を指で叩く。
読み込み表示が半分まで進んだところで、ガイが立ち上がった。
「先に車庫へ行く」
「俺も行きます。手首、確認したいんで」
レンは二枚の案件票を保存し、端末を閉じた。
車庫には、昨日の訓練で使ったタイヤが吊られたままだった。
九号車の横に立ったガイが、作業着の袖をまくる。
レンは黒い手袋を片方外した。
「昨日の訓練から時間もたってますし、もう一度お願いします。三秒だけです」
ガイが右手を差し出した。
「手、貸せ」
「はいはい。動かさないでくださいね」
レンは手首を握った。
一秒目。心拍が手のひらに伝わってきた。
二秒目には、前腕の筋肉が張っているのが分かった。手を伸ばすだけでも、肩まで余計な力が入っている。
三秒目。
左肩の奥に、昨日より強い強張りがあった。腕を前へ出そうとすると、その部分が先に引っ張られる。
レンは手を離した。
「……左肩、今日は調子悪いですね」
「そうか」
「そうか、じゃなくて。昨日、あれだけタイヤを受けたでしょう」
レンは手袋をはめ直した。
「その疲れが残ってます。昨日は十回中六回当たりましたけど、今日も同じように動けるとは限りません」
「おう」
「肩当ても調整し直します。外装、着てください」
ガイは登録章を斜め下から二度叩いた。
紺色の外装が全身を覆う。
二・八秒後、古い蝶番の音とともに装甲がかみ合った。
左肩には、タイドから譲られた肩当てが付いている。
レンはガイの正面に立った。
「受ける姿勢を取ってください」
ガイが左足を半歩引き、肩を前へ出した。
肩当ての下端が、背中側の装甲へ近づく。
昨日より腕の上がり方が小さかった。
「……ここですね」
レンは肩当ての内側を確かめた。
以前の持ち主に合わせて削られた部分は、そのまま残っている。
厚みも、重さも変わっていない。
今のガイの受け方では、腕を前へ出すたびに背中側の装甲と干渉していた。
「今日は、もう少し緩めます」
レンは固定帯を外し、留める位置を一段ずらした。
ガイが腕を動かす。
前へ。
横へ。
もう一度、肩を突き出す。
「どうです?」
「重いな」
「それ、何回聞いたと思ってるんですか」
「まだ重い」
「二回言っても変わりませんって」
ガイは腕を下ろした。
レンは肩当ての端を押さえ、最後に留め具の位置を確認した。
「これ以上は緩められません。受ける面がずれたら意味がないですから」
「おう」
「昨日の調整だって、今日には合わなくなってるんですよ。だから出動前に確認するんです」
レンは端末へ固定位置を記録した。
削り跡には触れていない。
勝手に加工すれば、強度が落ちる可能性がある。今できるのは、取り付け位置と受ける姿勢を合わせるところまでだった。
「四級が相手なら、なおさら慎重にしてくださいよ。今日は左肩に余計な負担を掛けたくないんです」
「分かった」
ガイが外装を収納した。
整備台に置いていた作業着の上着を持ち上げる。
そのとき、小さな金属音がした。
何かが上着の内側から滑り、床へ落ちた。
レンは足元を見た。
小さな金属片だった。
縁は熱で歪み、塗装の一部が縮れている。
残った表面には、青と白の斜線があった。
「落ちましたよ」
ガイの手が止まった。
床の金属片を見る。
ほんの一度だけだった。
それから腰をかがめ、左手で拾い上げる。
「何かの部品ですか?」
ガイは答えなかった。
金属片を上着の内ポケットへ戻し、作業着を羽織る。
レンはその手元を見たが、それ以上は聞かなかった。
今は肩当ての調整も終わったばかりだ。
調べるべき案件も二件残っている。
「とりあえず、今日はこれでいきましょう。受けられない攻撃まで受けようとしないでくださいよ」
ガイが上着の袖を引いた。
「お前に言われるとはな」
「……誰のために調べてると思ってるんですか」
レンは端末を持ち、管制室へ戻った。
午後、タイドから監視映像が届いた。
画面には旧貨物線の金網が映っている。
その向こうで、四足の獣が身を低くしていた。
短い首と太い前脚。
背中は丸く盛り上がり、前脚の先には長い爪が伸びている。
レンは再生速度を落とした。
獣が地面を蹴った。
金網へ向かって走り出す。
「……来る」
衝突する直前、獣の前脚が上がった。
爪が金網を裂く。
続いて頭を突っ込み、大きく口を開いた。
牙が鉄の支柱に食い込む。
支柱が曲がり、金網が引っ張られた。
最後に獣の胴がぶつかり、支柱ごと倒れる。
レンは映像を巻き戻した。
一度目。
爪。
二度目。
牙。
三度目に、ようやく体当たりが来る。
「……溜められるの、最後だけかよ」
もう一度再生する。
爪を避けたとしても、すぐ後ろから牙が来る。
その牙まで避けて、体当たりを待つ。
言葉にすれば簡単だが、獣の身体は大きい。近距離で二度避けるあいだに、逃げる場所がなくなる可能性もあった。
レンは昨日の訓練結果を開いた。
放出成功、十回中六回。
これはタイヤを相手に、決まった位置から受けた結果だ。
攻撃を避けた直後に同じ姿勢を作れるとは限らない。
まして今日は、左肩の調子も悪かった。
「……なるほどね」
レンは映像を止めた。
タイドからのメッセージが付いている。
『前脚が先に来る。気をつけて』
レンは短く礼を返した。
次に、ヴィランの記録を開く。
一件目は商店の監視映像だった。
作業着姿の男が、別の男へ殴りかかっている。
右の拳が硬質化し、振り下ろされた。
相手が避ける。
拳は壁に当たり、表面の一部が欠けた。
男はさらに距離を詰め、拳を振る。
何発か繰り返したあと、腰へ手を伸ばした。
レンは再生を止めた。
「……ナイフ」
鞘から抜いた刃が、画面の端に見えている。
もう一度、直前の場面へ戻す。
硬質化した拳を振る。
相手が下がる。
男が追う。
それから、腰に手を伸ばす。
刃を抜くまでに、いくつかの動作があった。
レンは二件目を開いた。
駐車場での騒動だった。
男が拳で車の窓を割っている。警官が近づくと、硬質化した拳を振り回し始めた。
右。
左。
もう一度、右。
警官が距離を取ったところで、男の手が腰へ下がった。
「……またかよ」
次の場面には、ナイフを構える男が映っていた。
三件目は工場の出入口だった。
男は硬質化した拳で扉を殴り、蝶番を壊している。
駆けつけたヒーローが近づいた。
男は右拳を振り上げる。
続いて左。
ヒーローの身体が重なり、男の右手が見えなくなった。
レンは再生位置を少し送った。
ヒーローが後ろへ下がる。
男の手には、すでにナイフがあった。
レンは三件の映像を並べた。
どれも最初は拳だった。
硬質化した拳で殴り、相手が下がると追いかける。
そして、途中から刃物を使う。
もちろん、次も同じ順序で攻撃する保証はない。
だが、少なくとも過去三件ではそうだった。
レンは獣の監視映像を横へ並べた。
獣は最初から爪を使う。
その次が牙。
体当たりを待つには、二つの攻撃を避けなければならない。
一方、ヴィランは最初に拳を使っている。
その拳なら、ガイは受けられる。
今のガイが使える放出も、その衝撃があって初めて成り立つ。
(……最初に受けられる攻撃がある)
レンは画面を拡大した。
男がナイフへ手を伸ばす場面だ。
腰へ手を動かし、鞘を掴み、刃を抜く。
その間に、できることはないか。
拳を使っているうちに、距離を詰められないか。
刃物を抜かせない位置へ、誘導できないか。
答えはまだ出ていない。
それでも、獣を相手にするより考えられることは多かった。
レンは報酬見込みの画面を開いた。
十万四千円。
八万円。
討伐後の書類、三枚。
確保後の書類、十二枚。
「……書類が多いほうを選ぶとか、正気かよ」
レンは報酬見込みの一覧を閉じた。
夕方、レンは車庫へ向かった。
ガイは九号車の横で、古いタイヤを吊っていたロープを巻き直している。
「案件、決めました」
ガイが手を止めた。
「どっちだ」
「刃物の男です。四級、拳の硬質化。こっちを受けます」
「獣は」
「見送ります」
レンは端末に獣の映像を表示した。
「体当たりの前に、爪と牙が来るんですよ。両方避けてから受けるのは、今の肩じゃ厳しいでしょう」
「そうか」
「刃物の男も安全じゃありません。でも、過去の記録では最初に拳を使っています。そこなら、こっちにもできることがあります」
ガイはロープを壁へ掛けた。
「分かった」
「ただ、まだ作戦は決まってません。刃物を抜く前に何ができるか、もう少し調べます」
「おう」
レンは管制室へ戻った。
二つの案件票を開き、獣の案件を見送る。
続いて、四級ヴィランの受諾ボタンを押した。
報酬見込み、八万円。
査定見込み、四十点。
書類は十二枚。
レンはその数字を確かめてから、男の使用履歴へ戻った。
能力は拳の硬質化。
腰にはナイフ。
過去の案件記録は三件。
三件とも、最後はナイフだった。




