09 婚約者の入れ替え
09 婚約者の入れ替え
後妻であるボトムズ伯爵夫人は、以前からエリザベスの存在を疎ましく思っていた。
エリザベスが跡取りであるかぎり、パトリシアは伯爵家の次女にすぎない。いずれ他家へ嫁ぎ、ボトムズ家の財産はエリザベスが受け継ぐことになる。
「どうしてエリザベスばかりなのです?」
ヒルズ子爵家から話を持ちかけられた伯爵夫人は、夫に詰め寄った。
「ボトムズ家の血を引いているのは、パトリシアも同じです。あの子だって、あなたの娘ではありませんか」
「だが、長女はエリザベスだ。跡をとるのは当たり前だ」
「パトリシアも、これから学べばよいでしょう。それに、結婚後の仕事はロバート様がなさるそうです。パトリシアが難しい帳簿を読む必要はありません」
伯爵夫人は夫の隣へ座ると、声をやわらげた。
「ヒルズ家も、パトリシアとの縁組を望んでくださっています。あの子はロバート様をお慕いしているのですよ」
「しかし、エリザベスとの婚約はどうする」
「解消すればよろしいではありませんか。まだ結婚したわけではないのですから」
あまりにも簡単に言われ、ボトムズ伯爵は眉をひそめた。
「エリザベスは納得しないだろう」
「お姉様なら、分かってくださいますわ」
いつから部屋の外にいたのか、パトリシアが扉のそばから声を上げた。
「パトリシア。聞いていたのか?」
「申し訳ございません、お父様。ですが、私……ロバート様をお慕いしております」
パトリシアは目に涙を浮かべ、胸の前で両手を組んだ。
「お姉様は賢くて、何でもおできになります。きっと、ロバート様よりもすばらしい方を見つけられますわ。けれど、私にはロバート様しかいないのです」
「まあ、パトリシア……」
伯爵夫人は娘を抱き寄せた。
「かわいそうに。ずっと我慢していたのね」
「お母様……」
二人が抱き合う姿を見て、ボトムズ伯爵の表情が揺らいだ。
彼は昔から、明るく甘えてくるパトリシアを可愛がっていた。
一方のエリザベスは、何を命じても黙って従う。つらくても泣かず、困っても助けを求めない。父親はいつしか、エリザベスは何をされても平気なのだと思い込んでいた。
「ヒルズ家は、本当にパトリシアを望んでいるのだな?」
ボトムズ伯爵が尋ねると、伯爵夫人はすぐにうなずいた。
「ええ。ロバート様ご本人も望んでおられます」
「そうか……」
ボトムズ伯爵は腕を組み、しばらく考え込んだ。
だが、考えていたのはエリザベスの気持ちではなかった。
ヒルズ子爵家はどうでるだろうかと考えていたのだ。
「分かった」
やがて、ボトムズ伯爵は顔を上げた。
「ロバートとの婚約は、パトリシアに替えよう」
「ありがとうございます、お父様!」
パトリシアは涙を拭い、うれしそうに父親へ抱きついた。
伯爵夫人も満足そうに微笑んだ。
「それでは、跡取りもパトリシアということでよろしいですわね?」
「ああ。ヒルズ家が支えてくれるのであれば、問題はないだろう」
それだけで、長年エリザベスのものだと思われていた立場は、パトリシアへ渡されることになった。
誰もエリザベスの気持ちを考えなかった。
ヒルズ家は、価値の上がった土地を欲しがった。
伯爵夫人は、実の娘に爵位と財産を与えたかった。
パトリシアは、姉の婚約者を欲しがった。
そして父親は、可愛がっている娘の願いをかなえることにした。
それぞれの思惑は、エリザベスを取り除くという一点で一致していた。
こうしてエリザベスは、何も知らされないまま、婚約者と跡取りの地位を同時に失うことになった。
婚約者が入れ替わることを告げられた日、エリザベスは父親の執務室へ呼び出された。
部屋へ入ったエリザベスは、そこに集まっている顔ぶれを見て足を止めた。
ボトムズ伯爵夫妻が座っている。その向かいにはヒルズ子爵夫妻がおり、別の面にロバートとパトリシアが座っていた。
両家の当主夫妻と、エリザベスの婚約者、それに妹。
ただの家族の話ではないことは、すぐに分かった。
「お呼びでしょうか、お父様」
エリザベスが尋ねても、父親はすぐには答えなかった。
ボトムズ伯爵は気まずそうに視線をそらし、机の上に置いた両手を組み直した。
「まあ、座りなさい」
「はい」
エリザベスは一人だけ離れた場所に用意されていた椅子へ腰かけた。
誰も口を開かない。
重苦しい沈黙の中、パトリシアだけが頬を赤らめ、ときどきロバートへ視線を向けていた。ロバートもエリザベスとは目を合わせず、落ち着かなさそうに膝の上で手を握っている。
やがて、沈黙に耐えかねたようにヒルズ子爵が口を開いた。
「エリザベス嬢。本日は、あなたとロバートの婚約について話すために来てもらった」
「私とロバート様の婚約について、でございますか?」
「ああ」
ヒルズ子爵は落ち着いた声で答えた。
「両家で話し合った結果、あなたとロバートの婚約は解消することになった」
エリザベスは、すぐには言葉の意味を理解できなかった。
婚約を解消する。
その言葉だけが頭の中で何度も繰り返される。
エリザベスはロバートを見た。
ロバートなら、何かの間違いだと言ってくれるかもしれない。少なくとも、何故このような話になったのか説明してくれるはずだ。
しかし、ロバートはうつむいたままだった。
「婚約を……解消するのですか?」
ようやくそれだけを尋ねると、今度はヒルズ子爵夫人が答えた。
「ええ。そのほうが両家にとってよいという結論になりましたの」
「両家にとって、でございますか?」
「そうよ。もちろん、あなたにも悪い話ではありません。あなたには、改めて別の縁談を探せばよいのですから」
ヒルズ子爵夫人は、まるで予定していた食事会の日取りを変更するかのような気軽さで言った。
エリザベスは父親へ視線を戻した。
「お父様も、ご承知なのですか?」
「ああ」
ボトムズ伯爵は短く答えた。
「家同士で十分に話し合って決めたことだ」
「その話し合いに、私は加えていただけなかったのですね」
「婚姻は当人だけの問題ではない。家同士のつながりに関わることだ。家長である私とヒルズ子爵が話し合えばよい」
ボトムズ伯爵は、娘に言い聞かせるように続けた。
「お前には、決まったことを受け入れてもらいたい」
エリザベスは、自分の膝の上に置いた手を見つめた。
家同士のつながりに関わるからこそ、これまで自分はロバートとの関係を大切にしてきた。
将来、二人でボトムズ家を守っていくのだと思い、ロバートにも家の仕事を理解してもらおうとした。彼が帳簿を見ることを嫌がっても、急かさずに待った。自分が多くを引き受ければ、それでよいのだと考えていた。
それなのに、自分の婚姻について話し合う席に、当人であるエリザベスだけが呼ばれていなかった。
「それでは、ロバート様はどなたと結婚なさるのですか?」
尋ねながらも、答えは分かっていた。
この場にパトリシアがいる理由など、一つしかない。
継母が、待ちかねたように答えた。
「ロバート様には、パトリシアと結婚していただくことになったのよ」
「パトリシアと……」
エリザベスは妹を見た。




