08 ボトムズ家
08 ボトムズ家
ボトムズ伯爵家は、王都にいくつもの土地と建物を所有していた。
大通りに面した大商店などではない。一本裏通りの庶民の商店街や小さな住宅などだ。
この商売を始めたのは、何代か前のボトムズ伯爵だった。
彼が、偶然、近くにいる時に当時の王子――のちに王太子になる――の襲撃事件が起こり、彼が身を挺して助けたことがある。
これを認められて子爵から伯爵になった。だからボトムズ家は貴族らしさに欠ける家柄であると言える。
まぁそのボトムズ伯爵が考えたのだ。
「これからは、貴族だからとすましていては、貴族らしく暮らしていける時代でなくなる。わが家も商売を始めるべきだ」
当時の伯爵は、そう考えたらしい。
しかし、商売をすると決めたものの、何を売ればよいのか分からなかった。
外国から珍しい品を仕入れるには、品物の価値を見抜く目が必要になる。食料品を扱うなら、天候や収穫量まで考えなくてはならない。店を開けば、従業員を雇い、客を集め、売れ残った品物をどうするのかも考える必要がある。
調べれば調べるほど、当時の伯爵は自分に商才がないことを思い知らされた。
「品物を売るのは難しい。だが、土地や家なら、急に価値がなくなることはないだろう」
そこで彼は、王都の土地を少しずつ買い集めた。
買った土地に家や店舗を建て、それを人に貸す。建物が傷めば修繕し、家賃が滞れば事情を確認する。それなら、商売の素人でもどうにか管理できると考えたのだ。
その判断は正しかった。
王都が発展するにつれて人口は増え、土地や建物を借りたいという者も増えていった。なかでも大通りに近い土地は、世代を重ねるごとに価値を上げていった。
ボトムズ伯爵家が所有する土地も例外ではなかった。
大きな利益を求めて危険な取引に手を出す必要はない。毎月決まった家賃を受け取り、代々の当主が試行錯誤して決めた配分で積み立てていく。建物に問題があればそこから修理費をだして修繕する。それだけだ。
だが、伯爵家が体面を保って暮らしていくには十分だった。
なんというか、ボトムズ伯爵家に生まれる者は、代々これといった特徴がなかった。
武勇に秀でているわけでもなければ、宮廷で重く用いられるほど政治に明るいわけでもない。かろうじて下級文官になった者がいる程度だ。
帳簿に収入と支出を記録し、借り手との契約を更新し、建物の修繕費を支払う。
それさえ間違えなければ、暮らしは成り立った。
だから、跡取りにも特別な能力は求められなかった。
きちんと帳簿をつけることができれば、それでよかった。
だが、帳簿に載らない仕事もあった。
店を借りている者の話を聞き、商売の様子を確かめる。家賃の支払いが遅れている者がいれば、すぐに追い出すのではなく、病人が出たのか、商売が傾いたのか、それとも単に支払う気がないのかを見極めなければならない。
店子同士で揉めごとが起これば、双方の話を聞いて仲裁することもある。
「隣のパン屋が、店の前に荷車を置くので困っております」
「こちらだって、好きで置いているわけじゃありません。裏口へ続く道が塞がれているんです」
そのような訴えを聞き、管理人や家令と一緒に現場へ向かう。どちらか一方に我慢させるのではなく、荷物を運び込む時間を決めたり、荷車を置く場所を新たに設けたりして、双方が商売を続けられるようにするのも当主の役目だった。
所有する建物の点検にも、定期的に回らなければならない。
屋根から雨が漏っていないか。壁にひびが入っていないか。階段や手すりが傷んでいないか。井戸や排水溝に問題はないか。
管理人から問題なしという報告を受けていても、実際に暮らしている者に話を聞けば、違う答えが返ってくることもある。
「二階の窓が、風の強い日に大きな音を立てるんです」
「裏庭の水はけが悪くて、雨が降ると泥だらけになります」
小さな不具合だからと放置していれば、やがて大がかりな修繕が必要になる。場合によっては、店子が怪我をするかもしれない。
早く見つけて直したほうが、暮らしている者のためにも、建物を所有するボトムズ家のためにもなる。そのため、歴代の当主は管理人から報告を受けるだけでなく、自分の目で建物を確かめることを大切にしていた。
地区が発展してからは、新たな問題も起こった。
新しい劇場が建ち、人通りが増え、次々と商店が開かれた。土地や建物の価値が上がり、家賃収入も増えたが、その一方で、酔客による喧嘩や置き引き、空き巣なども増えていった。
夜遅くまで営業する店が増えたため、騒音に悩まされる住人もいた。細い道に馬車が入り込み、通行人とぶつかりそうになることもあった。
発展したのだから仕方がないと放置するわけにはいかない。
ボトムズ家は店主や住人を集めて話し合いの場を設け、夜間の見回りをする者を雇った。暗い路地には街灯を増やし、壊れた塀を直して、犯罪者が身を隠しやすい場所を減らした。
必要があれば警備隊へ出向き、地区の状況を説明して巡回を増やしてもらう。商店には閉店後の戸締まりを徹底するよう求め、住人にも不審な者を見かけた場合は管理人へ知らせるよう伝えた。
どれも華やかな仕事ではない。
エリザベスは、ボトムズ伯爵と前妻との間に生まれた長女だった。
母親はエリザベスが幼い頃に亡くなっているが、エリザベスが将来の跡取りになることを疑う者はいなかった。
十歳にもならないころからエリザベスは店子と話をして、建物の点検業者に付いて回った。
教えられたことを素直に覚え、間違いがあれば自分で直す。
成長するにつれて、エリザベスは大人でも見落とすような数字の間違いまで見つけるようになった。
エリザベスは本当にきちんと帳簿をつけることができた。
家令だけでなく、親族も使用人も、エリザベスがボトムズ家を継ぐのだと思っていた。
父親であるボトムズ伯爵も、少なくとも表向きはそれを否定しなかった。
「お前はいずれ、この家を守っていかなければならない」
「はい、お父様」
「女だからと甘えることは許されないぞ」
「承知しております」
父に褒められることはほとんどなかった。
それでもエリザベスは、父親の期待に応えようと努力した。自分がしっかりしなければ、この家で働く使用人や、ボトムズ家の建物に暮らす人々を困らせてしまう。
そう信じていた。
やがて、エリザベスには婚約者が決められた。
相手は、ヒルズ子爵家の次男、ロバート・ヒルズだった。
「初めまして、エリザベス嬢」
初めて顔を合わせた日、ロバートは穏やかな笑みを浮かべていた。
「ロバート・ヒルズです。これから、どうぞよろしくお願いいたします」
「エリザベス・ボトムズです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ヒルズ家には長男がいるため、次男のロバートが子爵家を継ぐことはない。
そのため、ロバートがエリザベスと結婚し、ボトムズ伯爵家へ婿入りすることになった。
爵位を持つ家の長女と、爵位を継げない子爵家の次男。家同士の釣り合いも取れており、周囲から見れば妥当な婚約だった。
「ロバート様。こちらが、わが家の所有している建物の一覧です」
エリザベスは、将来夫となるロバートにも家の仕事を理解してもらおうとした。
「ずいぶん多いのだね」
「はい。古い建物もございますから、修繕の順番を考えなくてはなりません」
「君がすべて管理しているのかい?」
「家令たちに助けてもらっています。ですが、いずれは私たちの仕事になりますから」
エリザベスが帳簿を広げると、ロバートは少し困ったような笑みを浮かべた。
「君は本当に勉強熱心だね」
「当然のことです。私がボトムズ家を継ぐのですから」
「そうだね。君なら、立派な伯爵になれるだろう」
ロバートはそう答えたが、帳簿に手を伸ばすことはなかった。
それでもエリザベスは、あまり気にしていなかった。
家の仕事は自分が中心になって行えばよい。ロバートには、彼が得意とすることで助けてもらえばよいのだ。
そう考えていた。
だが、ボトムズ伯爵家が所有する土地が、ヒルズ家の面々の野心に火をつけた。
「この辺りも、すべてボトムズ家の土地なのか?」
馬車の窓から王都の大通りを眺めながら、ヒルズ子爵はロバートに尋ねた。
「はい、父上。あの商店から、向こうの集合住宅までがボトムズ家の所有です」
ロバートが答えると、ヒルズ子爵は感心したように目を細めた。
「以前は、それほど価値のある場所ではなかったはずだが」
「新しい劇場が建ってから、人通りが増えました。最近は、この辺りに店を出したいという商人も多いようです」
「なるほど。土地の値が上がるわけだ」
窓の向こうには、新しい店が立ち並んでいた。通りには馬車が行き交い、大勢の人々が歩いている。
数年前までは王都の外れの静かな場所だったが、今では商人たちが競って店を構えようとする一等地になっていた。
ヒルズ子爵は満足そうにうなずいた。
「ボトムズ家との婚姻は、思っていた以上に価値があるな」
「はい」
ロバートも異論はなかった。
ところが、エリザベスが成長するにつれ、ヒルズ家には一つの懸念が生じた。
エリザベスは賢すぎた。
彼女は帳簿に記された数字を正確に把握し、所有する土地の価値も理解していた。契約書を隅々まで確認し、不自然な支出があれば、納得するまで説明を求めた。
エリザベスがボトムズ伯爵になれば、ヒルズ家が土地や家賃収入に口を出すことは難しい。
「エリザベス嬢は、若い娘とは思えないほどしっかりしているそうだな」
ヒルズ子爵がそう言うと、ロバートは顔をしかめた。
「ええ。私にも、帳簿の読み方を覚えるようにと言ってきます」
「お前がボトムズ家に入るのだから、当然ではないか?」
「それは分かっています。ですが、エリザベスは何でも自分で決めようとするのです。私の意見を聞いているようで、自分で決めます」
それは領地や財産を管理する者として、間違った態度ではなかった。
しかし、ヒルズ子爵家にとっては都合が悪かった。
「エリザベス嬢を通さず、あの土地を自由に扱うのは難しいということか」
「おそらくは」
ヒルズ子爵はしばらく考え込み、やがて別の名前を口にした。
「妹のパトリシア嬢はどうだ?」
パトリシアは、ボトムズ伯爵と後妻との間に生まれた娘だった。
エリザベスほど勉強熱心ではなく、家の仕事にも関心がない。帳簿を見せられれば、数字が多くて頭が痛くなると言って逃げ出してしまう。
その代わり、愛想がよく、欲しいものがあれば甘えた声で父親にねだった。
ロバートも、エリザベスよりパトリシアと話しているときのほうが気楽だった。
「ロバート様は、難しいことをたくさんご存じなのですね」
パトリシアは、ロバートが何を話しても感心してみせた。
「私には、とても理解できません。お姉様は難しい話がお好きですけれど、私はロバート様のお話を聞いているだけで十分ですわ」
その言葉に、ロバートは満足した。
自分の意見に疑問を呈するエリザベスより、笑顔でうなずくパトリシアのほうが、妻として扱いやすい。
そして、パトリシアと結婚しても、ボトムズ家の土地が手に入るのであれば、ヒルズ家には何の問題もなかった。
「跡取りを、パトリシア嬢に変えさせればよい」
ヒルズ子爵が淡々と言うと、ロバートはさすがに驚いた顔をした。
「そのようなことができるのですか?」
「ボトムズ伯爵が承知すればな。エリザベス嬢は前妻の娘だ。今の伯爵夫人が、自分の娘に家を継がせたいと考えても不思議ではない」
その読みは当たっていた。




