10 パトリシア
10 パトリシア
パトリシアは一度うつむいたあと、おずおずと顔を上げた。その頬は赤く、口元には隠しきれない笑みが浮かんでいる。
「お姉様。申し訳ございません」
そう言いながらも、パトリシアの声は弾んでいた。
「私、以前からロバート様をお慕いしておりました。それに、ロバート様も私を選んでくださったのです」
「ロバート様も?」
エリザベスに見つめられ、ロバートはようやく顔を上げた。
「エリザベス。君には、申し訳ないと思っている」
「いつからですか?」
「え?」
「いつから、パトリシアとの結婚をお考えになっていたのですか?」
ロバートは答えに詰まり、父親へ助けを求めるような視線を向けた。
代わりにヒルズ子爵が答えた。
「それを聞いてどうするのだ。大切なのは、今後のことだろう」
「私にとっては、大切なことでございます」
エリザベスはロバートから目をそらさなかった。
「私は今日、この部屋へ来るまで、自分がロバート様の婚約者だと思っておりました。ですが、皆様はすでに私の婚約を解消し、パトリシアとの結婚を決めていらっしゃった。それならば、そのお話がいつから進められていたのか、知りたいと思うのは不自然でしょうか」
「そうやって何でも理屈で考えるところが、君のよくないところだ」
ロバートが小さな声で言った。
エリザベスは、目を見開いた。
「私のよくないところ、でございますか?」
「パトリシアは、もっと素直だ。私の話を楽しそうに聞いてくれるし、私の考えを否定したりもしない」
「私は、ロバート様のお考えを否定したつもりはございません」
「だが、君はいつも数字や契約の話ばかりだ。私が何かを提案しても、危険が大きい、帳簿が合わないと口を挟む。まるで私が何も分かっていないような言い方をする」
「間違いがあれば、ボトムズ家の財産を失うことになります。ですから、確認をしただけです」
「ほら、またそれだ」
ロバートはうんざりしたように息を吐いた。
「君と一緒にいると、いつも試されているような気分になる。だが、パトリシアは違う。彼女といると心が安らぐんだ」
エリザベスは何も言えなくなった。
ボトムズ家を守るために学んだことが、婚約者に嫌われる理由になっていた。
間違った判断で損失を出さないように意見を述べたことも、ロバートにとっては自分を否定する行為でしかなかったらしい。
「ロバートはパトリシア嬢を愛している」
ヒルズ子爵夫人が、二人を祝福するように微笑んだ。
「愛し合う者同士が結婚するのが、一番でしょう。あなたも姉なのですから、妹の幸せを祝ってあげてくださいな」
「ですが、ボトムズ家の跡取りは、私です」
エリザベスが父親へ向き直ると、継母がすぐに口を挟んだ。
「それも変更します。今後はパトリシアがボトムズ家を継ぎます」
「パトリシアが?」
「パトリシアも、あなたと同じくボトムズ家の娘です。この子に家を継ぐ資格がないとでも言うの?」
「そのようなことは申しておりません。ただ、パトリシアは家の仕事を学んでおりません。所有している土地や建物の場所も、まだ十分に把握していないはずです」
「結婚してから学べばよいでしょう。それに家賃をもらって記帳するだけでしょう? 学ぶほどのことでもないわ」
継母は平然と答えた。
「それに、難しいとしてもパトリシアがする必要はありません。結婚後はロバート様が仕事をなさってくださいます」
ヒルズ子爵も満足そうにうなずいた。
「我々も手伝う。これまでのように、ただ古い建物を貸し続けるだけではない。価値の上がった土地を有効に使えば、ボトムズ家はさらに発展できるだろう」
「ですが、長年暮らしている借り手もおります。その地域全体を考える時代になっております」
「それが生意気なのだ。余計なことばかり言う」
ボトムズ伯爵が顔をしかめた。
「今後のことは、跡取りとなるパトリシアとロバートが考える。お前はもう、ボトムズ家の経営に関わる必要はない」
幼い頃から学んできたものを、父親はその一言で切り捨てた。
エリザベスは、自分を囲む六人の顔を見渡した。
父親も、継母も、ヒルズ子爵夫妻も、すでに話は終わったという顔をしている。
ロバートはパトリシアの隣に座り、パトリシアは幸福そうに彼を見つめていた。
この部屋に、エリザベスの気持ちを尋ねようとする者は一人もいなかった。
(私は、いったい何のためにここへ呼ばれたのかしら)
相談するためではない。
許しを得るためでもない。
すべてが決まったあとで、従うように命じるためだった。
呆然とするエリザベスへ、継母が苛立った声をかけた。
「なにをぼんやりしているの。これから忙しくなるのよ」
「忙しくなる、とは?」
「パトリシアの結婚式に決まっているでしょう。ロバート様が待てないとおっしゃるので、できるだけ早く式を挙げることになったの」
継母は、机の上に置かれていた書類をエリザベスの前へ押し出した。
「式場の手配、招待客の名簿、衣装、料理、それから引き出物も決めなくてはならないわ。パトリシア一人では大変ですもの。長女として、しっかり手伝ってちょうだい」
「私が、結婚式の準備をするのですか?」
「当然でしょう。あなたはこういう仕事が得意なのですから」
婚約を解消されたばかりのエリザベスに、その婚約者と妹の結婚式を準備させる。
あまりにも残酷な要求だった。
しかし、誰一人としておかしいとは思っていないらしい。
「お姉様。お願いします」
パトリシアは胸の前で両手を組み、エリザベスを見つめた。
「私、結婚式のことなど何も分かりません。お姉様が手伝ってくだされば、きっとすばらしい式になりますわ」
「パトリシアのために頼むよ」
ロバートまでが、当然のように言った。
「君なら、きちんと準備してくれるだろう?」
その言葉を聞いた瞬間、エリザベスの胸の中に残っていた何かが、静かに冷えていった。
ロバートはエリザベスを妻にはしたくない。
だが、働かせるには都合がよいと思っているのだ。
エリザベスは、目の前に置かれた書類を見つめた。
泣くことも、怒ることもできなかった。
この場で感情をあらわにすれば、きっと妹の幸せを妬む心の狭い女だと言われるのだろう。
「……承知いたしました」
エリザベスは書類を手に取った。
継母は満足そうにうなずき、パトリシアは安堵した笑みを浮かべた。
「良かったわ。では、さっそく明日から始めましょう。時間がないのですから、急いでちょうだい」
「はい」
エリザベスはそれだけ答えた。
こうして彼女は、婚約者を失った悲しみに向き合う時間さえ与えられないまま、ロバートとパトリシアの結婚式の準備に追われることになった。
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