黒幕の失墜
エレノアとの絆を深め、公務の滞りを完璧に解消した翌週。
私は久しぶりに「王立学園」へと登校することになった。
王立学園――それは国中の高位貴族や富裕な商人、優秀な奨学生が集う貴族社会の縮図だ。
前世の記憶が戻る前のバカ王子(私)は、ここで公然とマリアとイチャつき、エレノアを冷遇し、授業をサボり倒していたという極悪な前科がある。
「アレン様、本当によろしいのですか? 今までのように馬車を別々にすることもできますが……」
豪華な王家の馬車の中。私の向かいに座るエレノアが、少し心配そうに紫の瞳を揺らしていた。
今日の彼女は、学園の指定制服である濃紺のジャケットとプリーツスカートを身に纏っている。凛とした制服姿もまた格別で、私の前世の乙女心(と現在の王子心)を激しく揺さぶる。
「何を言っているんだい、エレノア? 愛する婚約者と一緒に登校するのは当然の権利であり、私の至高の喜びだよ」
私は彼女の隣へ移動し、すっと彼女の腰に手を回して引き寄せた。
「ひゃい……っ! ア、アレン様、馬車の中とはいえ……っ!」
「登校中の短い時間すら、お前と離れていたくないのだ。ほら、少し肌寒いだろう? こうしていれば暖かい」
「あ、暖房が魔法で完璧に効いておりますけれど……っ!」
顔を真っ赤にしてパタパタと手を振るエレノアが可愛すぎて、私は思わず彼女の額にそっと口づけを落とした。
前世の限界社畜OL時代、満員電車で押しつぶされながら「あー、ハイスペ紳士に死ぬほど甘やかされたい……。日々の苦労を労って欲しい……」と現実逃避していた妄想が、今や、この体の副作用かなにかで最高の形で実現している。エアコン暴走で熱中症死した甲斐があったというものだ(苦しみながら死にたくはなかったが)。
やがて馬車が学園の正門を潜り、広場へと停車した。
「さあ、私の天使。降りようか」
私は真っ先に馬車を降りると、恭しくエレノアへ手を差し伸べた。
周囲には、登校してきた生徒たちが大勢集まっている。彼らは「あのバカ王子が今日こそエレノア様を完全に捨てるのでは」という下世話な好奇心の目を向けていたが――
私がエレノアの手を取り、彼女の腰にそっと手を添えて優しく抱き降ろし、そのまま恋人繋ぎで歩き出すと、広場全体が静まり返った。
「え……? アレン殿下とエレノア様が……手に手を取って……?」
「嘘だろ……!? 先日、大集会堂で婚約破棄するって噂だったのに……!」
「見てごらんなさい! 殿下がエレノア様を見るあの目……まるで世界で一番大切な宝物を見るようじゃないの! なんて素敵なのかしら!」
ざわめく生徒たちを余所に、私はエレノアの手に優しくキスを贈った。
「今日もお前は眩しいほど美しい、エレノア。私の視界にお前以外の景色が入ってこないのが困りものだよ」
「あ、アレン様……っ、大勢が見ておりますから……後ほどにしてくださると……っ!」
真っ赤になって耳まで隠すエレノア。
周囲の貴族令嬢たちからは「きゃあああ!」「ロマンチックすぎる!」「氷の令嬢があんなに可愛らしく……!?」という悲鳴のような歓声が上がった。
ふふふ、見せつけてやったぞ。
これで「王子と公爵令嬢の不仲説」は完全に払拭された。企業で言えば、SNSで流布された風評被害を最高の一手で払拭し、株価を爆上げさせたようなものだ。
しかし――。
(やっぱり、いるな)
遠くの校舎の二階の窓から、冷ややかな視線がこちらに注がれている事に、何故か気づいた。
そこには、青ざめた顔で私たちを睨みつけるマリア男爵令嬢と……その隣に立つ、気取った仕立ての服を着た金髪の青年。
――クロード伯爵家の嫡男、ジュリアン。
アレン王子の記憶を検索すると、すぐに出てきた。
彼は第二王子派(私の異母弟を王位に就けようとする派閥)の急先鋒であり、マリアを学園に引き入れ、アレン王子に近づけた張本人だ。
(なるほどねぇ……。ハニートラップで愚か王子を骨抜きにし、公爵家との婚約を破棄させて王室の信用を失墜させ、第二王子を繰り上げる作戦だったわけだ。典型的な『嫌らしい企業買収・乗っ取り工作』じゃないの)
前世で過労死寸前まで働いていた私の前で、そんな汚いコンプライアンス違反が通用すると思うなよ?
社畜の基本は「徹底的なリスクヘッジ」と「事前の根回し(ネゴシエーション)」だ。相手が罠を仕掛けてくる前に、こちらから証拠を固めて詰ませるのがプロの仕事である。
「アレン様……? どうされたのですか?」
私の雰囲気が一瞬変わったのを察したのか、エレノアが心配そうに覗き込んでくる。
「何でもないよ、我が愛しき薔薇。ただ、このひとときが愛おしいだけだ。……安心しなさい」
「アレン様……」
───
放課後。学園の生徒会室。
私は側近のシルヴァンと、密かに手配していた王宮暗部(かつてバカ王子時代には存在すら知らされていなかった影の監察組織)の報告を受けていた。
「殿下、ジュリアン伯爵令息とマリア男爵令嬢の動向がつかめました」
闇から現れた黒装束の男が、一冊の調査報告書を差し出す。
「今週末に開催される『創立記念前夜祭パーティー』にて、彼らはエレノア様に罠をかけるつもりのようです。エレノア様が学園の管理資金を私的流用し、マリア様へ嫌がらせを行っていたという『偽造文書』をパーティー会場で暴露し、公爵家の失脚を狙う腹積もりかと」
「ハッ、偽造文書ねぇ」
私は思わず鼻で笑ってしまった。
社畜時代、無能な上司が自分の失敗を押し付けるために作った雑な言い訳資料を何十枚も破り捨ててきた私からすれば、そんな古典的な捏造など子供の落書き同然だ。
「ジュリアン側は、すでにパーティーの進行を担当する貴族数名を買収済み。さらに、マリア様が泣き寝入りを装って会場で被害者を演じる手筈になっております。どうなさいますか? 事前に彼らを拘束しますか?」
「いや、甘いな」
私は優雅に紅茶を一口すすると、不敵な笑みを浮かべた。
「事前に止めてしまっては、相手は『そんなつもりはなかった』とシラを切るだけだ。コンプライアンス違反者を完全に社会的抹殺するには、『犯行の決定的な瞬間』を白日の下に晒し、言い逃れのできない証拠を提示するのが鉄則だよ」
シルヴァンと暗部の男がゾクッと背筋を凍らせる。
今の私から滲み出ているのは、数々のデスマーチを生き抜き、横領した協力会社を法的に叩き潰してきた「冷徹なサラリーマンの覇気」だ。
「シルヴァン。パーティー会場の音響魔法と投影魔法の準備は整っているか?」
「は、はい! 殿下のご指示通り、会場の全方位に音声を記録・投影できる魔道具を隠し設置いたしました」
「よろしい。それから、ジュリアンたちが偽造した文書の『本物』――つまり、彼らがマリアを通じて王室資金を吸い上げていた裏記録の原本も、暗部がすでに押さえているね?」
「御意。ジュリアン伯爵令息の私邸金庫から、寸分違わず複製し、原本も押収済みです」
「素晴らしい。完璧な『インサイダー取引・不正会計の証拠保全』だ」
私は立ち上がり、窓の外の夕暮れを見つめた。
「ジュリアンたちは、エレノアを陥れて私を絶望させるつもりだろうが……甘い。私のエレノアに泥を塗ろうとした罪は重いぞ。今週末のパーティー、彼らの人生の『最終決算』にしてやろうじゃないか」




