元社畜の底力
大集会堂での「超絶方向転換・全方向溺愛宣言」から一夜が明けた。
朝、王宮の豪華すぎる天蓋付きベッドで目を覚ました私は、ふかふかの羽毛布団の中で天井を見上げ、深く大きな溜め息を吐いた。
「……夢じゃなかった……」
手に触れる最高級シルクのパジャマの感触。自分の喉から出る、低く涼やかな男の声。そして、頭の中に残る「社畜OL」としての記憶と、「愚か王子・アレン」としての放蕩の記憶。
全てが紛れもない現実だった。
ぼんやりしている暇はない。ベッドから飛び起きた私は、すぐさま執務机に向かい、羊皮紙と羽ペンをひっつかんだ。
前世で嫌というほど叩き込まれた基本中の基本――そう、「タスクの棚卸し」である。
「よし、現状の危険度とやるべきことを整理しよう」
カリカリと音を立てて、羊皮紙に現状を書き出していく。
【緊急課題①:エレノアへのアフターフォロー】
昨日の今日だ。「王子が急に頭を打ったのではないか」「その場のノリで恥ずかしいことを言われたのではないか」と、エレノアやグランヴェル公爵家に疑心暗鬼を生じさせてはならない。私の愛が本物であり、生涯をかけて彼女を大切にするという姿勢を、行動で示し続ける必要がある。
【緊急課題②:前世(王子時代)のやらかしの清算】
これが一番ヤバい。記憶を掘り起こすと、このアホ王子はマリアに言われるがまま、学園の備品購入費やパーティ運営費を横領・私的流用していた。さらに公務をサボりまくり、書類は山積み。公爵家の監査が入れば一発アウト、即・廃嫡ルートである。
【緊急課題③:男爵令嬢マリアとその背後関係の調査】
ただの甘やかされた令嬢ならいいが、もしバックに反王家派の貴族がついていて、王子を骨抜きにして傀儡にしようとしていたのだとしたら? マリアを振ったことで、相手が強硬手段に出てくる可能性がある。
「……うん、完全に炎上案件のプロジェクトを引き継いだ時の絶望感と同じだ……」
頭を抱えたくなったが、泣いている暇はない。前世では「明日までにこの仕様書書き直して」という理不尽なデスマーチ(過酷プロジェクト)を何度も生き抜いてきたのだ。異世界転生したくらいで折れてたまるか。
コンコン、と控えめなノック音が響いた。
「アレン様、側近のシルヴァンでございます。朝食のお運びと、本日のご予定についてご相談が……」
「入って……いや、入れ」
扉が開いて入ってきたのは、片眼鏡をかけた知的な雰囲気の青年側近、シルヴァンだった。彼はどこか恐る恐る私を見ている。無理もない。昨日の今日だし、これまでの私は気まぐれで怒りっぽいダメ上司だったのだから。
「シルヴァン。朝食を摂りながらで構わない。至急、以下の3点を手配してくれ」
私が迷いのない手つきで書き上げた羊皮紙を突き出すと、シルヴァンは眼鏡の奥の目を丸くした。
「は、はい……? これは……?」
「第一に、王立学園の過去一年分の会計監査資料および、私が関与した全決済書類の原本をここに持ってきてほしい。第二に、グランヴェル公爵家に、本日午後のティータイムの打診を。エレノアと二人きりでお茶をしたい。第三に、王宮専属の生花店から、今朝摘んだばかりの最高級の『菫色の薔薇』を百本用意させろ」
「は……!? か、会計資料……? それに、エレノア様へ薔薇を……百本……!?」
シルヴァンが素で声を裏返した。普段なら「仕事? 後で後で~マリアと遊びに行くから~」と言っていた王子が、眉毛をキリッとさせ、開口一番に完璧な命令を下し、さらに昨日宣言した通りの狂気的な溺愛行動を開始しようとしているのだ。動揺するのも無理はない。
「聞こえなかったか? 私はこれまで、己の愚かさゆえに多大な迷惑をかけてきた。今日から全てを正す。まず自らが犯した会計上のミスを今日正午までに全て洗い出し、自腹(王子の私財)で補填する。文句はあるか?」
「い、いえっ! 文句など滅相もございません! すぐに……すぐに手配いたします!!」
シルヴァンは感極まったような、あるいは怪奇現象を見るような顔で深々と頭を下げ、脱兎の勢いで部屋を飛び出していった。
さあ、デスマーチの開始だ!
───
正午。
私の目の前には、天井に届くほどの書類の山が築かれていた。
シルヴァンをはじめとする側近たちが「数日はかかるだろう」と引きつった顔で見守る中、私は前世のOL時代に鍛え上げた超高速ブラインドタッチ――ならぬ、「爆速・羊皮紙斜め読み&高速サイン」を繰り出していた。
(ふむふむ、備品購入費の水増し請求……はい、この業者は出入り禁止ね。領収書の偽造……マリアのドレス代か、私財から返還処理。この予算組みは無駄が多すぎるわね。来期は二割削減! この助成金申請は通す、ただし進捗報告義務を課す!)
「……す、凄い……。アレン様が……まるで熟練の財務卿のように書類を処理していく……」
「計算が早すぎる……! 算盤も使わずに、一瞬で記録の矛盾を見抜いているぞ……!?」
後ろで側近たちがざわついているが、無視だ無視。こんなもの、決算期の深夜残業に比べればぬるま湯である。
エアコンっぽい何かが効いている部屋で、温かい紅茶を飲みながら仕事ができるなんて、ここは天国か!
結局、数ヶ月放置されていた膨大な公務と不正の清算は、わずか三時間で全て完了した。
「ふぅ……ひと仕事終えた後の紅茶は美味いな」
私がフッと汗を拭うと、シルヴァンたちはまるで神でも見るかのような目で私を見つめ、片手を胸に当て、頭を下げた。
「アレン様……! 感服いたしました! 殿下がこれほどの英才であられたとは……! 我々はお仕えする主君を見誤っておりました!」
「いや、今までが酷すぎただけだからね……? ともかく、これで会計はクリーンだ。エレノアや公爵家に顔向けができる」
時計を見ると、約束の午後二時十五分前。
私は急いで王子用の最高級の仕立て服に着替え、髪を整えた。鏡に映る自分は、相変わらず眩しいほどの金髪碧眼の超絶イケメンだ。
(良し。中身はアラサー社畜だが、外見のポテンシャルは世界最高峰だ。これを使わない手はない!)
私は用意させた百本近くの菫色の薔薇の花束を抱え、公爵家からの馬車が到着する王宮の庭園東屋へと向かった。
「アレン様……お約束通り、参りましたわ……」
東屋に現れたエレノアは、眩しいほど美しかった。
今日は淡いピンク色のシンプルな訪問着ドレスを身に纏い、銀髪を後ろで緩くまとめている。だが、その表情にはどこか緊張の色が濃く、私と目を合わせようとしない。




