【一】-3 悪辣執事、家族サービスを強制する
「ノーマン」
剥き身の剣を握って、
瞳をキラキラさせたエルシアが立っていた。
近いうちに父の椅子を奪われるとも知らず、
娘は馬鹿面で突っ立っていた。
何の用事かはわかる。
だが、帰ってきたばかりの少年には、
疲労が澱のように溜まっている。
せめて、コーヒーを飲みきるまでは……。
「一緒に遊ぼ」
「少し待っていただけますか?
今、準備しますので」
「ダメ。今すぐ」
剣を握って部屋に押し入る。
主としても非常識な振る舞いだが、
エルシアは剣を振るうことだけは、
遊び盛りの子どもだ。
「旦那様を呼びましょう」
「あの人は忙しい」
首を振る。
自分のことしか考えていないようだが、
父のことは考えているようだ。
ノーマンの記憶では、
何をするにも領地経営を多少犠牲にしてでも
娘の看病につきっきりだったのが領主だ。
それが、病が治れば、こうなるとは。
「私が何かを言っても迷惑になる」
「剣のことにはあんなに頭がまわるのにねえ……」
苦笑し、エルシアの手を引いて
自室から無理矢理に彼女の父親がいる所へ連れて行く。
「待って。本当に行くの?」
行き先を察したエルシアが両脚を踏ん張って、抵抗した。
細い手首からは想像もつかない膂力が大蛇のように暴れ、
小さくて柔らかいはずの両脚が大樹の根のように、床を掴んだ。
天才剣士の躯捌きだ。
だが、ムダだ。ノーマンには合気がある。
「もちろんです」
「イヤだ……どうして足が勝手に進むの……?」
相手の力を利用してむしろこちらの進行方向へ自ら進ませる。
手を握っている右手だけで、それくらいは容易い。
師匠にあらゆる武術を教わったおかげだ。
刀を振るうスペースがあれば一瞬で負けるだろうが、
いくら剣狂いでもここで斬撃を放つほど非常識ではないのがエルシアだ。
──その甘さを、俺は利用し尽くしてやる。貴様に剣の頂に立ってもらうまではな。
至高、有史最高の領域に突入したエルシア・ループライトの姿を、
自分はこの世界のすべてを手に入れた末の玉座から見る。
なんと素晴らしい未来なことか。
「旦那様ー! お嬢様が一緒に遊んでほしいそうです!」
お返しではないが、ノックなしにドアを開けた。
驚いて立ち上がった壮年の男性。
作業用の眼鏡を取って、
不躾な侵入に困惑している。
「ノックをしなかったことは謝罪します。
しかし、お嬢様の“キラキラ”欲求を解消するのを優先すべきと判断しました」
エルシアは言っていた。
「剣は光って綺麗だから好き。剣を振るうと踊るのと同じ動きだから好き」だと。
つまるところ、お嬢様に言わせれば剣とは極めて典型的な“女の子の趣味”らしい。
「だが……君がやれば」
「俺があなたの仕事をやります。
触れてはいけない書類は理解していますから」
そう言って無理矢理に父娘を部屋から追い出した。
執務机にうず高く積もった大量の書類。
二人が遊び終わるのは、二時間後くらいかと、予想をつける。
「ここで愚鈍な領主の仕事を奪えば……」
酷薄な笑みを浮かべ、
ノーマンは取り掛かる。
「俺がすべてを手に入れる日も近いってわけだ」
執務中に中断された書類は、
どれも途中まで適切な処理がされていた。
人間の限界を超えた量だ。
ノーマンとて、師匠直伝の秘技を使わねば脳の血管がちぎれる。
明日も知れぬ娘に向けていた情熱を、
領地経営に全て叩き込めば、こうなるというのか。
「だが今日は家族サービスに怠けてもらうぞ」
そうして、文字と取引と陳情の海にダイブし、
無限に集中を続けられる呼吸法によって、
領主が一週間かけるだろう仕事を終わらせきった。
「ありがとう、ノーマン!!
こんなに楽しい時は久しぶりだよ!」
「あなたも一緒に遊ぼ」
ドアを開けて泥まみれの父娘が
剣を握ったまま、
上気した頬と、あがった息で帰ってきた。
「そうでしょう。
俺に任せてくれれば何でも上手くいきますよ」
両脚を執務机に載せ、
上体を椅子にもたれかけさせ、
ノーマンは過集中の反動で鼻血が止まらないのを必死に隠した。
手応えはあった。
剣を振ろうとすると握力が逃げる、この体。
両親を殺したゴロツキ、エルシアを殺した剣邪。
──俺から奪う奴らがいるなら。
「ノーマン、鼻血凄いよ」
「さっきチョコを食べたんです」
「食べる暇があるならわたしと遊んで」
遅れて気づいた領主がバタバタ騒ぎ出す。
「ちょっと、血! 血!!」
リチャードが血相を変えてノーマンを抱きかかえ、
医務室に連れて行った。
力なく揺られ、少年は鼻にちり紙を押し付ける。
──俺は、こいつらの不幸をもらってやるよ。




