【十六】-2 鋼鉄の信条
「馬鹿な!?」
切断面はあまりにも滑らかで、
傷口を合わせれば、そのまま再び繋がるのではないかと
錯覚するほど鮮やかなものだった。
今度は、種も仕掛けも、見落としたトリックもない。
ノーマンの腕が、肩から完全に断たれた。
前の歴史の死闘でも、一度としてなかったことだ。
「臨兵闘者皆陣列在前!」
失血の恐怖を押し殺し、左手で印を結んで心を落ち着かせ、
揺れる心を丹田に溜め、息吹に載せて吐き出す。
同時に、獣のように歯で外套の裾を引き裂いた。
残された左手と口を使い、
裂いた布を右腕の断端より上へきつく縛り、巻きつける。
完全な止血には程遠いが、
切断面から噴き出す血の勢いを一時的に押さえ込んだ。
なぜだ。
今、確実に鋸を叩き落としたはずだ。
愕然としてエルシアの手元を見ると、
奪った鋸ではない、
無骨な剣が、彼女の細い手に確かに握られている。
造りに遊びも刃紋もない、ただの鉄の塊。
本来の多様な刃物の美を愛するエルシアなら、
絶対に見向きもしないような代物だ。
どこから取り出したのか。
目を凝らすと、
刃の輪郭が蜃気楼のようにぶれている。
無数の粒子で形作られた刀身は、
付着したノーマンの血糊を、
錆が鉄を食むように、うねりながら呑み込んでいった。
無数の極小の粒子が揺れているのを、確かに視認できる。
「リチャード様が言っていた、極小の機械か……?」
忍びの師も、かつて似たようなことを言っていた。
目にも見えない、
知能を持つ超極小サイズの機械が、
旧文明ではあらゆる場所で活躍していたと。
先代剣邪は言っていた。
卵のような殻の中から生まれ、
周囲を人造らしき設備に囲まれていたと。
やはり、剣邪という災厄は、
機械によって生み出されたものなのだ。
「わかったところで……!」
これこそ、忍者がこの荒野の世界に滅多にいない最大の理由だった。
忍者は、時代と土地の文明を貪欲に活用する。
戦国では妖術を使い、
中東では麻薬と踊りを使い、
文明の末期にはAIと機械を駆使する。
したがって、
その根幹たる機械に反乱を起こされれば、
残るものは、鍛え抜いた己の生身の肉体しかなかった。
「ナノマシンがタネか。
過去において、人が魔法や魔物、神々を超えた瞬間たる発明と聞くが、
確かに成す技を見れば納得だ」
「お逃げください。リチャード様。
俺が命を賭してエルシア様を封じます」
できない。大嘘をついた。
だが、口ではそう言うしかない。
歴史を遡ってからというもの、
ずっとループライト父娘が死なないために、盤面を動かしてきた。
思い通りにならないことばかりでも、
二人のために必死に頭を働かせ、策を巡らせ、
理想の盤面で未来に立ち向かうことを考えていた。
それなのに、すべて、すべてが、
準備不足のまま、最悪の事態に直面せざるを得なかった、
自分の不出来だ。
ノーマンはそう無理やりに考え、納得した。
この絶望の責のすべては、自分が引き受けなければならない、とも。
「俺には一人でなければ使えない忍術があります。
その手札を、今切ります」
これも大嘘だ。
完全な出鱈目ではないが、
そのような一発逆転の術ができるのなら、
前の歴史ですでにやっている。
しかし、リチャードだけでも死なせないためには、それが最善だった。
「武器を奪う」という唯一の封殺手段は完全に潰された。
あとは、目の前のエルシアを殺すしかない。
だが、ノーマンにそれは絶対にできない。
それならば、リチャードを逃がす。
せめて、二人が同時に死ぬ時を、先送りにする。
ノーマン・ロストが打ち出せる、知恵を振り絞った虚しい最善策だった。
「早く……! 早く行ってください!」
印を結ぼうと片腕の左手を構えながら、
自分の無力さへのじれったさに声を荒らげた。
そんなノーマンの肩へ、
巨大な手が置かれた。
振り払おうとしたが、できなかった。
その手には、たしかな覚悟の力、
そして親としての熱が込められていたから。
「我らは鋼鉄の民。
土より生まれ、火に育ち、
水の心を持ちて、風を拓く。
其れ全て、師たる鍛え手の導きが故に」
太く、おおらかな声で滔々と告げられたのは、
かつてノーマンがループライトの教えを受けると決断した時に、
暗唱することを強いられたもの。
鋼鉄の信条だ。
「今、そんなことを言っている場合じゃないだろう!」
リチャードは聞かない。
「我ら、鋼鉄也。
故に、我らは諦めを恐れぬ。
故に、屈辱を恐れぬ。
故に、死を恐れぬ。
進まぬことのみを恐れる也」
「……道半ばで曲がり朽ちれば、
我が骸は錆びた墓標。その末路に悔いはない。
信条を同じくする、家族が旅路の先を進むのだから」
無意識のうちに、
ノーマンの口が信条の結びの言葉を継いでいた。
その言葉を聞くと、
リチャードは心からの安堵の笑みを浮かべた。
「君に父と呼んでもらうのが夢だった。
いつか、叶えてくれ」
そう言うと、
ノーマンの視界が上下に激しく回転した。




