【十四】-1 元気
【十四】
その後も、日々は順調に過ぎようとしていた。
パトリックたちはチニスへ戻り、
何人かはまだマグリバに残っているものの、段階的に帰還していく。
特に何も問題はない。
パトリックには、離れていても、
状況を定期的に報告するよう伝えてある。
そのためには、マグリバとチニスの間を繋ぐルートを確固たるものにする必要があった。
「やるぜやるぜチャレンジだぜ~~!」
モヒカンが灼熱の荒野で、
いつものように残酷の限りを尽くしている。
他のモヒカンの三倍はあろうかという巨漢が、
両の掌で行商人を縦に挟んでいた。
頭と両足を、それぞれ上下から押さえる形だ。
一見すると、問題のない姿勢にさえ見える。
だが、行商人の全身はミシミシと軋みを上げていた。
「ひいっ! やめて、やめてくれぇ!!」
「人間は、どこまで縦に潰されても立ち続けられるかだぜぇ!
これまでの最高記録は、身長が三センチ縮んだところまで!
新記録に届くために、一緒に頑張ろうぜぇ!」
「お父さあん!」
大モヒカンが行商人を縦に潰そうとし、
その前では、中くらいのモヒカンたちが子どもを羽交い締めにしている。
「聞かれる前に教えてやろうじゃねえの!
こいつは、ちょっとしたテクニックだ!!
親ってのは、ガキの前だといつもより気合い入れるからよぉ!」
「やめてぇ! お父さんをイジメないでぇ!」
子どもが泣こうが、モヒカンは止めない。
むしろ、その泣き声をチャレンジを盛り上げる極上のスパイスとしか見ていない。
世界中の荒野で、日々繰り返されている凶行だ。
モヒカンに捕まれば、武装も護衛も失った者は、
嬲られるしかないのが荒野の定めだった。
「大丈夫だ……父さんは大丈夫だ……」
ミシミシという音が、メキメキという音に変わっている。
骨が本格的に折れ始めていた。
じわじわと、身体を縦に圧縮される形で。
「言うまでもないが、膝を屈したらその時点で反則。
ペナルティとして、ガキを八つ裂きにするからよぉ!」
「大丈夫……大丈夫だ……」
メキメキという音に、ギコギコという音が混じりだす。
命を玩具にする凶行の音が、
子どもの悲鳴に完全に呑み込まれていた。
「その意気だ! 頑張れ!
もうすぐで記録更新だからな。ガキを見て、気合いを注入し続けろよ。
ヒャーーーハハハハハ……ギコギコギコ……俺の頭頂部、ギコギコ鳴ってない?」
「あっ、気づいちゃった。
でも、あと三センチで新記録だから頑張って。
モヒカンが、どれだけ頭に刃が入っても気づかないか実験中」
「ヒイィィィ! やめっ、降りてっ!!」
大モヒカンは半狂乱になり、
頭頂部でノコギリを引くエルシアを叩き落とそうとする。
拘束から解放され、地面へ落ちかけた行商人を、
ノーマンが横から受け止めた。
「モヒカンモヒカン~斬れば斬るほど~~」
聞き覚えのある──いや、
絶対に彼女が知っているはずのない物騒な言葉を、
エルシアは鼻歌交じりに口ずさむ。
同時に、無骨な鋸が天女の羽衣のように、
しなやかにたわんだ。
上機嫌だ。
それは良いことだ。
だが、そのヘンテコな鼻歌を耳にし、
行商人を抱えるノーマンの腕が瞬時に強張った。
──斬れば、斬るほど。
剣邪が、斬るたびに強くなる災厄だったことを示す言葉。
あの戦いの中で、嫌というほど魂に刻み込まれた性質。
エルシアが、そんな言葉を歌にしていたことなどない。
教えた覚えも、一切なかった。
胸の奥に冷たい刃のようなものが滑り込む。
だが、エルシアの声は底抜けに軽い。
機嫌良くモヒカンの肉へノコギリを走らせる姿も、
いつも通りの無軌道な彼女に見えた。
軽やかで、自由で、
そして、とても美しい。
剣邪は倒した。
エルシアは生きている。
リチャードも、パトリックも、チニスの民も生き残った。
前の歴史では無残に失われたものが、今は確かにこの手の中にある。
わざわざあり得ない疑念を抱き、
泥水の中でようやく手に入れた絶対的な幸福に、
自分から傷をつける必要などない。
たまたま、あの戦いで耳にした言葉が残っていて、
それを気まぐれに口ずさんだだけだ。
ノーマンは、そう強引に結論づけた。
そう、結論づけることにしたのだ。
エルシアはノコギリについた血糊を相手の服で拭ってから、
今度はひと思いに頸動脈を斬った。
人を縦に潰そうとしていた大モヒカンが、
呆気なく崩れ落ちる。
「野郎! 大事な仲間を殺しやがってぇ!!」
仲間の死に激怒したモヒカンが、
次から次へとエルシアに挑みかかる。
棍棒も、斧も、ボウガンの矢も、
薄く柔らかな鋸に全て受け流された。
次の瞬間には、鮮やかな切断面、
時には荒々しい切り身を残して、
モヒカンたちが血の海へ伏していく。
「どちらに行くつもりだった。
チニスか、マグリバか」
「チニスです」
「よし。それなら、すぐ近くだ。
俺たちがモヒカンの確認をしたばかりだから、
次のモヒカンが棲み着くまでにも、しばらく間がある」
今こうしてモヒカンを見るのも久々だった。
一日ぶりだ。
いつもは、どこからこれほど湧いて出てくるのか不思議なモヒカンも、
都市を挙げて駆除作業を行えば、
きちんと効果が出る。
地道だが、盤面を支配するうえで重要なことだった。
「終わった。元気りんりん、体力アップ」
力こぶを作るポーズを取り、
まだやれることをアピールするエルシア。
ノーマンが行商人の介抱をし、
子どものケアもしている間に、
全てが終わっていたようだ。
帰ってきてからというもの、
お嬢様の熱意は極めて高くなっている。
以前は、ノーマンが声をかけなければ、
ベッドから這い出るだけでも時間がかかるタイプだった。
それが今や、自主的にふらふらと庭へ出ては、
ノーマンに「早く骸獣とモヒカンを斬りに行こう」と急かしている。
心身が健康になった。
ついに歴史が変わったのだ。
病弱な身体を押して、
ノーマンと遊びたい一心で活力を絞り出していた彼女が、
今では自分から動くようになった。
そう考えれば、最高に喜ばしいことだった。
ただ、体力が増えたにしては、
エルシアの足取りは以前と変わらず危なっかしい。
どこか、地面との繋がりを失っているように見える。
同時に、モヒカンを全滅させた直後だというのに、
呼吸一つ乱れていない。
額には汗もなく、顔色にも一切の変化がない。
元気になったというよりも、
肉体の疲労そのものを全く感じなくなっているようにも見えた。
けれど、病を患っていた頃から、
エルシアは苦痛を表情に出すことが少なかった。
加えて、モヒカンも骸獣も、
神童にとっては疲労を覚えるほどの相手でもない。
何より彼女は、剣を握っている時だけは、
身体の限界さえ忘れる少女だった。
そうだ。
これは今に始まったことではないのかもしれない。
ノーマンは、そう自分に言い聞かせるように考えた。
そう考えなければならないような気が、どうしてもしていた。
病が治った。
彼女は生き延びたのだ。
ついに、死と悲劇の未来を変えられた。
その確かな結果を疑ってしまえば、
全てを投げ打って成し遂げたことが、
まったくの間違いだったと認めることになりそうだった。
盤面を支配する参謀でありながら、
ノーマンはただの怯える子どものように、
その致命的なエラーから目を逸らした。
「やる気十分ですね」
行商人親子を見送り、手を振るノーマンを、
エルシアは横目でじっと見ていた。
そのことに気づいて視線を合わせると、
くすぐったそうにノーマンの視線から逃げる。
「どうしたんですか?」
「ノーマンが最近、積極的」
「何がです?」
「ふふん、とぼけるのが上手い。
ヒントは、最初の文字がパで、最後の文字もパ」
「パパ? リチャード様が何か?」
「またまたぁ。ひゅーい」
手を掲げ、
ハイタッチを求めてくるエルシア。
風邪を引いたように頬が赤い。
だが、憔悴しているようではない。
むしろ、元気を持て余しているようにさえ見える。
あまりにも様子が妙だった。
奇声とセットで絡んでくるようなタイプではなかったはずだ。
以前より明るくなっただけかもしれない。
何より、エルシアが楽しそうにしている。
その事実を前にすれば、
少しくらい様子が違っていたところで、問い詰める気にはなれなかった。
「ここだけでいいから、父をパパって呼んでみて」
「なぜ?」
「んもう、言わせたがりなんだから……」
「とにかく、もう帰りますよ」
「わたしがいい子にしたら、百日後に結婚するって断言したくせに」
「言ってねえ! いや、言ってないですよ!?」
バイクのエンジンをかけ、
その調子を確かめながら大声で否定した。
やられた。
リチャードが、完全に外堀を埋めようとしている。
“前向きに検討する”と言ったその場しのぎの言葉が、
そう歪められるとは。
「大丈夫。本心はわかってる」
ノーマンの後ろに跨り、
エルシアが腰を強く掴む。
「ノーマンは、わたしのことが大好き」
「なぜ、確信できるんです?」
「病気を治して、いつも一緒に遊んでくれて、お父さんとも仲良し。
間違いない。全部、わたしのため」
「くっ……!」
否定できないことばかり言われ、
ノーマンは口を噤む。
どうして、こんなところにだけ恐ろしい鋭さを発揮するのか。
「それに、わたしもノーマンのことが大好き」
背中に触れる確かな体温がある。
腰に回された細い腕がある。
前の歴史では、二度と得られなかったものだ。
ノーマンの口元が、
自分でも気づかないほどわずかに緩む。
気を抜いている。
いや、気を抜きたがっているのだ。
こんな時こそ忍法で心を凪にするべきなのに、
弱い理性が、まだこの温かな幸福にまどろみたがっていた。
これ以上口を開くのをやめて、
無言のまま走り出す。
バイクを走らせると、
チニス側からマグリバの領域へと入り、
道沿いには二人で壊した骸獣の残骸が転がり始める。
「骸獣もモヒカンも、だいぶ減った」
「…………お嬢様が頑張りましたからね」
無視したかったが、
できずに返事をしてしまう。
人生の指針は決まった。
しかし、玉座へ至るまでに、
どれほどの道のりが待ち受けていることか。
取り敢えずは、もっと人材が欲しい。
それも、隊を組み、
ノーマンやエルシアのように討伐と駆除をこなせる、
組織立った戦力となり得る人数が必要だった。
マグリバでは、どうしても何もかもがループライト家に一任されており、
新たな人材を育てるだけの時間的余裕がない。
チニスのように、
ある程度まで基盤が出来上がっている場所から、
組織を広げていくしかないだろう。
それにさえ、どれほどの時間がかかることか。
一歩一歩、積み上げるしかない。
「何あれ?」
砂地に連なる奇妙な足跡を、
エルシアが指さした。
停車し、ノーマン




