【十二】-1 戦後
【十二】
ノーマンが目を覚ますと、互いの眼球がくっつくのではという距離に、エルシアの双眸があった。
もう涙と鼻水と涎はないが、
髪色と違って濃い青色の双眸は充血しきっていた。
これは泣いていたというよりも、心配でつきっきりだったのだろう。
目元に濃い隈ができていた。
「起きた?」
「はい」
「よかった」
倒れ込むようにして、エルシアが覆いかぶさる形で横たわった。
自分の身体の上に、そのままエルシアがいるのを、ノーマンは感触で理解した。
柔らかさ、温かさ、普通ならシンプルに暑っ苦しくて跳ね除けたくなるが、
狭いベッドでそれをやるとお嬢様はベッドから落ちる。
前の歴史ではなかった出来事に、ノーマンは思わず印を結んだ。
「臨兵闘者皆陣列在前!」
千赤忍法・大火清流。
動揺する心を鎮めるための術だ。
太古、文明社会では下は大火事、上は大水という謎掛けがあったという。
答えは風呂だが、それは忍者が流したカバーストーリー。
答えは忍者。どれだけ心根が燃えても、術と理性で大水を生み出し、鎮火するのが理由だ。
「今、俺が起きたばかりですが」
水の心で心の揺らぎを完全に消し、
お嬢様の背中をそっと叩く。
今にも眠りに落ちる者特有の、呂律の回らない声が耳朶をくすぐる。
「起きたら安心した。一緒に寝て」
「俺もう起きますよ」
「一緒に寝て」
せっかく目を覚ましたのに。
そう反論するよりも、沈黙を選んだ。
大人しく、彼女の全身から力が抜けて規則正しい寝息がするのを待った。
眠ったエルシアの唇が、ほんの一瞬だけ動いた気がした。
だが、寝言にもならない。
ノーマンはそれを疲労のせいだと判断した。
すやすや眠ったエルシアの体の下からそっと抜けて、
ベッドから降りる。
床に足をつけて立っただけで、全身に超常の術の反動である激痛が走った。
力が入らず、壁に寄りかかるが、
腕を使うのも痛い。
全身がその調子だった。
力を込めようにも、痛みを受け取った四肢が片っ端からそれを拒絶している。
何とか部屋を出て、領主のところへ向かうと、
窓から賑やかになった庭が見えた。
リチャードがパトリックと何やら話をしていた。
二人の周囲をチニスの人間が行き来している。
あのままマグリバまで辿り着けたか。
道中の骸獣にどれだけ消されるかわからなかったが、
たしかに資源(民)が辿り着いた者もいたのは朗報だった。
「師匠! お目覚めになられたんですね」
震える脚で一歩ずつ歩くと、
パトリックがすぐに駆け寄ってきて肩を貸した。
「そこの君。すぐにこの人に杖を持ってきて」
「ノーマン! 良かった。
目が覚めたんだね」
「チニスの人々は……」
「無事だよ。君のおかげだ。
それと、エルシアが道中で発煙筒を焚いてくれたから、
私が駆けつけられた」
「ごく少数の犠牲でここまで退避できたんです」
「正確な数は?」
ノーマンに問われ、
パトリックは叱られるのかと恐れつつも、
おずおずと口を開いた。
「五名です。僕たちの前で亡くなった老婦人ですが、
連れ合いだった夫が、意気消沈して、後を追うように骸獣の囮を買って出て、そのまま……」
「ならば、死んだ彼らの遺族にとっては犠牲の少なさなんてどうでもいいことだろう」
老人が死んだのは戦力、リソースとしてはどうでもいいことだ。
この時代なら、いずれはそうなる。
だが、亡くなった者たちの関係者の気力が萎えるのは、統治におけるノイズとして見逃せない。
そうなってしまえば──
「もう俺等はおしまいなんだぜぇ!!」
都市内部でありえない類の声。
遮る人間を次々に殴り飛ばし、
巨大な男が足音を響かせてやって来た。
その頭は緑一色で天に挑むかの如く、逆立っている。
本来、荒野に生息するモヒカンが現れた。
都市部だというのに。




