【十一】-3 大泣き
亡者の目くらましの向こうから、
眉間に皺を寄せ、屈辱に耐える醜悪な死に顔を貼り付けた剣邪。
その首が跳ねられていた。
剣邪はノーマンだけを見ていた。
己を初めて斬った少年だけを。
己を侮辱し、己の正体を知っているかのように振る舞う、目の前の敵だけを。
そして、初めて"敗走"に追い込んだ、絶対の怨敵を。
だから、青空色の殺意に気づけなかった。
「何が……」
理不尽の化身たる絶対者が、
あまりにあっけなく終わっている。
目くらましの向こうから、
薄青色の、青空の少女がノーマンに飛び込んだ。
息もできないくらいに消耗したエルシアが、
斬首に使った投げナイフもそこらに放り投げ、
執事の首にお嬢様が抱きついた。
ほんの一瞬。
エルシアの瞳の奥に、白い刃のような光が走った気がした。
だが、次の瞬間にはもう、
それは涙でぐちゃぐちゃに滲み、彼女の奥へ沈んでいた。
「エル……」
呆然と抱き返すと、
彼女の全身が全速力で走ってきたせいで
足にも指にもまともに力が入っていないのがわかる。
どれほどの速度で、どれほどの力で、
逃げ去ろうとした化け物を後ろから粉砕したのか。
「どうして、そこまでして……」
「ぶっ」
鼻水が彼女の鼻から飛び出した。
腕の力だけでぶら下がったエルシアが、堰を切って泣き出した。
「ぶえ~~~~~ん!
よかったぁ~~~~!
死んでない~~~!」
「何を言ってるんですか……」
「だってあんなに今から死んでますって顔してたんだもん~~~~!
ずっと大きなの見えてたしプレッシャーも凄かった~~~!」
こんなに取り乱しているエルシアを見るのは初めてだった。
あんなに大切にしている武器すら放り投げて、
ノーマンにしがみついて号泣している。
「大丈夫です。大丈夫ですから」
本当は彼女が落ち着くまでは立っていたかった。
だが、もう限界だ。
全身の骨に罅が入り、
血管もあちこちが破けている。
脳細胞が息も絶え絶えに休息を求めている実感すらあった。
「ただ、少し、寝ます」
背中から倒れ、急速に意識が消えていく。
「ぶえ~~~~~~っ!
やっぱり死んじゃうんだ~~~!」
エルシアの鼻水と涙と涎が顔にぼたぼたと落ちてくる。
自分が重傷を負うと、彼女はこんな風になってしまうのか。
ぐじゅぐじゅになった鼻の穴から鼻風船さえ出ている現状、
ノーマンの知る彼女ではまったくない。
だが、もしも、自分が先に死んでいたら、
“あの時”、こんな顔にさせていたのかと思うと。
「良かった……」
そして、かつてノーマンのすべてを理不尽に奪ったあの剣邪を、
このお嬢様が最後にあっさり斬った“事実”を思うと、
痛快極まりなくて、おかしかった。
「笑わないで~~!
何もよぐない~~~!」
心も体も消耗しきってボロボロになって、
守った褒美は、顔中に降りかかる涙と鼻水と涎。
まあ、悪くはないとノーマンは思った。
少なくとも、こんなエルシアを見るとは、
ノーマンは一度も想像したことがなかった。
「大丈夫です。俺は死にません。約束します」
震える手で彼女の頬を撫でる。
戦いが終わったのを知ったパトリックたちが
大急ぎで駆けつけてくるのがわかる。
──このひとは、俺が絶対に、誰にも奪わせない。
号泣するエルシアの唇が小さく震えたが、
暗くなる視界では、それが何の形を作ったのかまではわからない。
視界が滲み、雲一つない青空に
エルシアの輪郭と色が混じり、
天からべたついたしょっぱい雨がびちゃびちゃ降ってくる。
何度目かの狂気的な独占欲の決意を新たにし、
ノーマンは今度こそ、意識を手放した。
──それにしても、ブサイクな泣き顔だ。笑えて俺は好きだけど。




