第十五話 孤独な観測者と、黒猫の決意 パート4
第十五話 孤独な観測者と、黒猫の決意
パート4
銀青色の『星路』は、星の海を貫き、遠い闇の中へまっすぐ伸びていた。
月明かりと星明かりを混ぜたような淡い光が、エリアたちの足元で静かに揺れている。
その先。
星すらほとんど見えない暗闇の奥で、かすかな銀色の光が脈打っていた。
まるで。
遠い場所から、誰かが呼んでいるように。
「……あそこに、ルナちゃんが」
エリアが胸元の『月響の鈴』へ、そっと手を添える。
――チリン……。
鈴が小さく鳴った。
深い『海の響き』。
澄んだ『氷の響き』。
二つの音が重なり、銀青色の道へ淡く返事をする。
「ええ」
ミラが静かに頷いた。
「この先には、世界のもっと深い場所へ続く扉があります」
「ルナが、一人で向かった場所……」
レオンが呟く。
ミラの銀色の瞳が、わずかに伏せられた。
「かつては、そうでした」
短い言葉だった。
けれど。
そこには長い時間を見送り続けてきた者の寂しさが滲んでいる。
エリアはミラへ向き直った。
「ミラさん」
「はい」
「ありがとうございました」
深く頭を下げる。
「ルナちゃんが何を怖がってたのか。どうして一人で全部抱えようとしたのか……知らないままだったら、きっと私たち、また間違えてました」
ミラはしばらく何も言わなかった。
やがて。
「私は、見せただけです」
柔らかな声だった。
「未来を見ることはできます」
銀色の視線が、星路の先へ向かう。
「残された可能性が、どちらへ続いているのかを示すこともできます」
そして。
再びエリアたちを見る。
「ですが、その先を選ぶことはできません」
エリアは頷いた。
「はい」
「未来を見るだけでは、何も変わらない」
ミラが静かに続ける。
「けれど――見たあとで、何を選ぶかは変えられる」
その言葉が。
星の海へ、静かに響いた。
「だから」
ミラの口元に、ほんのわずかな微笑みが浮かぶ。
「どうか、あの頑固な黒猫に」
一拍。
「一人では選べなかった未来を、見せてあげてください」
エリアの琥珀色の瞳が揺れる。
そして。
力強く頷いた。
「はい!」
隣で、レオンも静かに頭を下げる。
「ありがとう、ミラさん」
「……礼を言われるようなことではありません」
そう答えながらも。
ミラの表情は、先ほどより少しだけ柔らかかった。
「にゃあ!」
足元から、元気な声が響く。
コハクが銀青色の星路へ一歩踏み出していた。
右の琥珀色。
左の瑠璃色。
二つの瞳が淡く光る。
瑠璃色の『真実の窓』は、道を作らない。
ただ。
目の前の星路が確かに存在し、その先へ続いていることを見抜いている。
「コハク、もう行く気満々だね」
「にゃっ」
「ふふっ。分かったよ」
エリアは立ち上がった。
隣では、レオンも銀の音叉を胸元へ戻す。
背中の傷は、まだ痛む。
手にもわずかな震えが残っている。
それでも。
彼はもう、それを隠そうとはしなかった。
「行こう、エリア」
「はい」
レオンは銀青色の道を見る。
「ルナが一人で抱えてきたものを」
一度、言葉を切る。
「もう、一人では抱えさせない」
エリアが笑った。
「はい!」
「背負うんじゃない」
レオンも、ほんの少し笑う。
「隣に立つんだ」
胸元で。
――チリン……。
『月響の鈴』が鳴る。
エリアはその音を聞きながら、星路の先を見つめた。
怖さが消えたわけではない。
この先に何が待っているのか。
ルナを本当に救えるのか。
ノクスを止められるのか。
何一つ分からない。
それでも。
「ルナちゃんを連れて帰りましょう」
エリアが言う。
「今度こそ、みんな一緒に!」
「ああ」
レオンが頷く。
「帰ろう」
「にゃあ!」
コハクが先頭へ立った。
三人は、銀青色の『星路』を進み始める。
足元では。
一歩進むたび、星の光が静かに波打った。
エリアは一度だけ振り返った。
ミラは、まだそこにいた。
星の海の中。
一人。
けれど。
その銀色の瞳には、先ほどまでとは少し違う光が宿っているように見えた。
ミラは何も言わない。
ただ。
小さく頷いた。
エリアも頷き返す。
そして。
もう振り返らなかった。
怖さがなくなったわけではない。
迷いが、すべて消えたわけでもない。
それでも。
帰りたい場所も。
連れて帰りたい仲間も。
もう、はっきりしていた。
銀青色の星路は。
三人を、世界のさらに深い場所へと導いていった。
◇
――その頃。
猫カフェ『ルナ』では。
窓の外を、黒い靄がゆっくりと這い始めていた。
銀葉の森。
淡く光っていた木々の葉が、風もないのに小さく震えている。
森の奥。
黒い靄が、根から根へ。
影から影へ。
少しずつ近づいていた。
店内は静まり返っている。
カウンター。
椅子。
いつものテーブル。
どれもそこにある。
丸窓には、修復された金と銀と瑠璃色の筋が淡く残っていた。
その向こう。
銀葉の森の縁へ。
黒い闇が迫っている。
ソファの上。
柔らかな毛布に包まれた、小さな黒猫の耳が。
ぴくり。
動いた。
「……ん……」
かすかな声。
閉じられていた金色の瞳が、ゆっくりと開く。
最初に見えたのは。
見慣れた天井。
次に。
丸窓。
そして。
その向こうで蠢く黒い靄。
ルナの瞳が、わずかに細くなる。
「……馬鹿者どもめ」
かすれた声だった。
身体を起こそうとする。
けれど。
「……っ」
前足に力が入らない。
一度。
毛布の上へ身体が沈む。
それでも。
ルナはもう一度、ゆっくりと前足を立てた。
「……あれほど」
息を整える。
「巻き込まれるなと……言ったのに……」
その声に。
以前のような、相手を突き放す響きはなかった。
呆れ。
心配。
そして。
ほんの少しだけ。
隠しきれない安堵が混じっている。
「……まったく」
ようやく身体を起こす。
足元はおぼつかない。
それでも。
ルナはソファの端まで歩き。
丸窓の外を見つめた。
黒い靄は。
もう、銀葉の森の縁まで来ている。
昔なら。
すぐにでも飛び出していただろう。
自分一人で。
誰にも知らせず。
誰にも頼らず。
すべてを押し返そうとしただろう。
けれど。
今は。
ルナは動かなかった。
動けなかったからではない。
金色の瞳を細める。
その脳裏に。
いくつもの姿が浮かんだ。
琥珀色の瞳で、泣きながらも前へ進む少女。
蜂蜜色の瞳で、傷を抱えながら笑う青年。
瑠璃色の左目で、黙って道を見つめるハチ割れ猫。
「……本当に」
小さく息を吐く。
「世話の焼ける奴らだ」
それでも。
口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。
黒い靄が。
森の向こうで、また一歩近づく。
ルナはそれを見つめながら。
しばらく黙っていた。
そして。
小さく。
けれど確かに。
呟く。
「……頼んだぞ」
一度。
金色の瞳を閉じる。
「お前たち」
それは。
ずっと「我ひとりでいい」と言い続けてきた黒猫が。
初めて。
遠くにいる仲間へ託した、小さな祈りだった。
猫カフェ『ルナ』の静寂の中。
その声だけが。
温かな灯りの下へ、静かに溶けていった。




