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第十四話 溶けゆく孤独と、氷の響き パート1

第十四話 溶けゆく孤独と、氷の響き


パート1




「はいっ!」


エリアは凍える両手を構えた。


レオンの調律によって勢いを失った氷槍が、細かな氷晶となって周囲へ降り注いでいる。


キラキラと舞うその向こうで、黒い靄を纏った氷狼――ノクスが、全身の毛を氷柱のように逆立てて唸った。


――グルォォォォォォォッ!


悲痛な咆哮が、鏡の迷宮を震わせる。


氷狼の周囲で冷気が渦を巻き、砕け残った氷片が再び鋭い刃へ姿を変えようとしていた。


「エリア……!」


レオンが音叉を握り直す。


だが、その手にはまだ震えが残っている。


背中の傷も、消えたわけではない。


ほんの少し身体を捻っただけで鋭い痛みが走り、眉間に一瞬だけ皺が寄った。


それでも、レオンは痛みを隠そうとはしなかった。


「大丈夫ですか?」


「……痛むよ」


レオンは短く息を吐く。


それから、エリアを安心させるように微笑んだ。


「でも、一人じゃないからね」


エリアは強く頷いた。


隣にはレオンがいる。


傷も、恐怖も隠さず、それでも共に立つと決めた相棒が。


足元では、コハクが氷狼を睨みながら低く身構えている。


三人の役割は、もう決まっていた。


レオンが、乱れた響きをほどく。


コハクが、その中に残る正しい道を見抜く。


そしてエリアが、本当に壊すべきものだけを壊す。


「行きます!」


氷狼が大きく前足を振り上げた。


頭上に新たな氷槍が生まれ、一斉にエリアへ切先を向ける。


「させない!」


レオンが銀の音叉を指先で弾いた。


――チィィィン……!


高く澄んだ音が、氷の迷宮を満たす。


もう、何もかも一人で抱え込むための音ではない。


痛みも恐怖も残したまま、誰かと支え合うことを選んだ――今のレオンの響きだった。


黄金の波紋が、迫る氷槍の群れへ触れる。


槍そのものを力任せに壊したわけではない。


氷槍を形作り、飛ばしているノクスの不協和音を、一つずつほどいていく。


ピキッ……。


最前列の一本が震えた。


鋭かった穂先が形を失い、細かな氷晶へ崩れていく。


ピキッ。


パキンッ。


次々と響きがほどけ、氷槍の群れが空中で崩れ始めた。


だが、すべてではない。


「くっ……!」


レオンの呼吸が乱れた。


傷に耐えきれず、音叉を持つ腕がわずかに下がる。


ほどききれなかった氷槍が、数本だけ軌道を保ったままエリアへ迫った。


「にゃああっ!」


その瞬間。


コハクの左目――『真実の窓』が、瑠璃色の光を放った。


吹雪と氷晶が渦巻く視界の中へ、一本の細い光が走る。


ノクスの攻撃の隙間に、もともと存在していた正しい流れ。


『真実の軌跡』だ。


「見えた……!」


瑠璃色の道は、飛来する氷槍のわずかな隙間を縫い、一直線に氷狼の懐へ続いている。


「コハク、ありがとう!」


「にゃっ!」


エリアは氷床を蹴った。


防寒グローブは、すでに外している。


むき出しの指先は、凍えるように痛んでいた。


感覚も少しずつ失われつつある。


それでも、琥珀色の光だけは消えていない。


胸元では、『月響の鈴』が小さく鳴っていた。


――チリン……。


瑠璃色の光が、氷狼の身体へ走る無数の響きを映し出していく。


冷たく濁った、不協和音。


その中へ混じる、微かに違う響き。


エリアは目を凝らした。


(全部を壊すんじゃない)


氷狼そのものを粉々にする必要はない。


月響の鈴が示している。


ノクスを縛り、孤独を増幅させ続けている、黒く歪んだ響き。


壊すべきなのは、それだけだ。


かつては、触れたものすべてを壊すと思っていた力。


けれど今は違う。


何を壊し、何を残すのか。


自分で選べる。


「レオンさん!」


走りながら、エリアが叫ぶ。


「私があそこまで届くように、支えて!」


「ああ、任せてくれ!」


レオンが再び音叉を構えた。


震える手を、もう片方の手で支える。


――チィィン……!


黄金の波紋が、エリアの行く手へ広がった。


襲いかかる冷気を完璧に消し去る力ではない。


それでも、進路を塞ぐ不協和音を一つずつほどき、エリアが駆け抜けるための数秒を作り出していく。


「っ……!」


レオンの背中に痛みが走る。


足元が一瞬よろめく。


「レオン!」


エリアが振り返りかける。


「前を見て!」


レオンが叫んだ。


苦しげではあるが、その声には確かな意志があった。


「僕は大丈夫だ! 君は、君にしかできないことを!」


エリアは唇を結び、前へ向き直る。


「……はい!」


レオンが響きをほどく。


コハクが道を見抜く。


その二つに支えられ、エリアは駆けた。


瑠璃色の軌跡を一歩でも外せば、鋭い氷槍か凍てつく吹雪が待っている。


右へ。


左へ。


身体を捻り、崩れ落ちる氷槍の隙間を抜ける。


指先へ冷気が食い込み、針で刺されるような痛みが走った。


それでも止まらない。


氷狼が牙を剥いた。


『小娘が……!』


黒い靄を撒き散らしながら、大きく口を開ける。


喉の奥へ、白い冷気が集まっていく。


触れたものから感情の熱まで奪う、孤独の吹雪。


だが、その時にはもう、エリアは巨体の懐へ踏み込んでいた。


「……もう」


エリアは氷狼を見上げた。


そこに、敵を憎む色はない。


琥珀色の瞳にあったのは、ただ真っ直ぐな悲しみだった。


「独りで凍えなくていいんだよ」


氷狼の動きが、一瞬だけ止まった。


『……何?』


エリアは右手を伸ばす。


『月響の鈴』が強く鳴った。


――チリーン……!


瑠璃色の光が、ノクスの身体を走る黒い響きを鮮明に浮かび上がらせる。


その中に。


一本だけ、深く絡まり、何重にも捻じれた不協和音があった。


孤独を孤独のまま閉じ込め、悲しみを凍らせ続けている、歪んだ核。


エリアは、その一点だけを見据えた。


「見つけた」


琥珀色の光が、凍える指先へ集まる。


「壊すのは、あなたじゃない」


氷狼の赤黒い瞳が見開かれる。


「あなたを独りにしてる、この響きだけ!」


エリアの素手が、黒い不協和音へ向かって伸びる。


その指先が触れる寸前。


氷狼の奥から、微かに。


本当に微かに。


泣き声のような音が聞こえた。


――たすけて。


エリアの瞳が、大きく見開かれる。


「……やっぱり」


それは怒りでも、憎しみでもなかった。


凍りついた孤独の奥で、ずっと誰にも届かなかった声だった。


「ちゃんと、聞こえたよ」


エリアは泣きそうに笑った。


そして、琥珀色の光を宿した指先を、歪んだ響きへ触れさせた。


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