第十話 月響の鈴と、ふたつの時を宿す猫 パート4
第十話 月響の鈴と、ふたつの時を宿す猫
パート4
白い石の階段を上り、エリアとレオンは地下の聖域から地上のカフェへ戻ってきた。
黒い霧が去った店内は、やはり無残なままだった。
けれど、二人の顔に、もう絶望の色はなかった。
「ルナちゃん、少しだけお留守番をお願いね。必ず、響きを集めて帰ってくるから」
エリアは、カウンターの奥で毛布に包まれ眠っている小さな黒猫へ、そっと語りかけた。
「今度は、私たちが守る番だから」
首元の鈴を失ったルナは、今は守護者ではなく、ただ温かな命として、静かな寝息を立てていた。
レオンは無残に引き裂かれた深い青色のエプロンを脱ぎ、カウンターの上に丁寧に畳んで置いた。
「行ってきます。……この店は、僕たちの手で必ず取り戻すよ」
二人は旅の荷物をまとめ、古い床板を踏みしめながら、店の入り口へと向かった。
閉ざされた扉の向こうには、雨上がりの『銀葉の森』が広がっているはずだった。
だが、入り口の扉の前には、見慣れた一匹の猫が、ちょこんと座っていた。
「コハク……?」
エリアが思わず声を上げる。
白黒の鉢割れ猫、コハク。
普段は隠された扉や秘密の通路を見つけるのが得意な、おとなしい猫だ。
彼はおもむろに立ち上がると、扉の前へ歩み寄り、前足でカリカリと引っ掻き始めた。
それからこちらを振り返り、自慢げに「にゃっ」と鳴いた。
「……もしかして、一緒に行ってくれるの?」
エリアの問いかけに、コハクは顔を上げた。
薄暗い店内に差し込む外の光を受けて、彼の瞳が神秘的な輝きを放つ。
「あっ……コハクの目が……!」
エリアは息を呑んだ。
右目は、果てしない時間を閉じ込めたような、深い『琥珀色』。
左目は、どこまでも広がる夜明けの空のような、透き通った『瑠璃色』。
普段は眠たげに細められていた彼の瞳が、今だけははっきりと開かれている。
そこには、二つの時を宿した左右異なる色の輝きがあった。
レオンはその二つの瞳の輝きに、はっとして足を止めた。
「エリア。琥珀ってね、太古の樹液が長い時をかけて固まった宝石なんだ」
レオンはコハクの琥珀色の右目を見つめて、静かに呟いた。
「この子は……僕たちがまだ知らない太古の記憶を、その身に封じて守っているんだ。そして、左目の瑠璃色は……」
「世界律の濁りを見抜き、私たちが本当に行くべき『未来』を映し出す色……」
エリアが、手の中の月響の鈴を見つめながら言葉を継いだ。
過去と未来。
その二つの時を宿した猫が、今、彼らの道標として目覚めたのだ。
「にゃーん」
コハクは鈴を鳴らすように、しなやかな尻尾でエリアの手首をぽん、と叩いた。
『さあ、開けて』と急かすように。
「うん、分かった」
エリアは深く頷き、レオンと顔を見合わせた。
二人は瑠璃色に輝く月響の鈴へ手を添え、魔力を込める。
そして、扉の取っ手へ手を伸ばした。
――カァァァンッ……!
澄み切った鐘の音が鳴り響くと同時に、扉の向こうの景色がぐにゃりと歪んだ。
銀葉の森の緑は揺らぎ、代わりに眩いほどの光が溢れ出す。
その光の向こうには、まだ見ぬ世界各地の聖域へ続く道が広がっている。
コハクは一度だけ二人を振り返り、瑠璃色の左目を細めた。
それから迷いなく、小さな体を光の中へ躍らせる。
「行こう、エリア」
「はいっ!」
二人はつないだ手に力を込め、コハクの小さな背中を追った。
そして、新たな世界へ続く光の中へ、力強く踏み出した。




