第八話 雨宿りの客と、割れなかったカップ パート4
第八話 雨宿りの客と、割れなかったカップ
パート4
しばらくして、エリアは湯気の立つティーカップと、星形のクッキーを載せた小皿を運んできた。
「お待たせしました。カモミールとアップルのブレンドティーです。それから、こちらはお店からのサービスです!」
小皿には、淡い黄色のアイシングで飾られた、小さな星形のクッキーが載っていた。
「まあ……ありがとう」
女性は少し驚いたように目を瞬かせた。
「疲れたときは、温かくて甘いものが一番ですから。どうぞ、ゆっくりしていってくださいね」
エリアはにっこりと笑うと、邪魔にならないよう、そっとテーブルを離れた。
女性はティーカップを両手で包み込み、立ち上る湯気へ静かに息を吹きかける。
それから、ゆっくりと一口飲んだ。
カモミールのやさしい香りと、リンゴのほのかな甘みが、冷え切った体へじんわりと染み込んでいく。
カップを包んでいた女性の指から、少しずつ力が抜けていった。
「……おいしい」
誰に聞かせるでもない、小さな呟きだった。
その声からは、先ほどまでの重苦しさが、ほんの少しだけ薄れている。
足元では、ニケがまだゴロゴロと喉を鳴らしながら、女性へ寄り添っていた。
女性は星形のクッキーをひとかじりすると、ふうっ、と安堵の息を吐く。
下がっていた眉尻が、わずかに持ち上がった。
悩みが消えたわけではない。
それでも、冷たい雨の中で張り詰めていた心に、ようやく一息つけるだけの隙間が生まれたようだった。
その様子を見届けたレオンが、カウンターの奥で静かに微笑んだ。
「いい接客だったよ、エリア」
「えへへ……」
エリアは照れくさそうに頬をかいた。
「私、あのグラスを割らずに置けたとき、すっごく嬉しかったんです。私にも、ちゃんと守れるものがあるんだって思えて」
そう言って、自分の両手へ目を落とす。
砂漠で、巨大な影を壊した手。
今日、壊れやすいグラスを守り、疲れた客へ温かな一杯を届けた手。
どちらも、紛れもなくエリア自身の手だった。
この手は、壊すだけのものではない。
「レオンさん」
エリアは顔を上げた。
「私、世界を救う旅も頑張ります。でも……このお店の店員としても、もっともっと頑張りたいです」
一度言葉を切り、奥のテーブルへ視線を向ける。
女性はニケの頭を撫でながら、先ほどよりも穏やかな表情で紅茶を飲んでいた。
「ここへ来てくれた人に、今日みたいに笑って帰ってほしいんです」
エリアの琥珀色の瞳には、迷いのない光が宿っていた。
「うん。頼りにしているよ、エリア」
レオンは蜂蜜色の瞳を細め、エリアをやさしく見つめた。
窓辺のクッションでは、ルナが片目だけを開け、その光景を静かに見守っている。
(……ようやく、自分の力を信じ始めたか)
ルナは満足そうに尻尾を揺らした。
(不器用なだけの少女は、もう卒業というわけだな)
もっとも、慌てん坊なところまで直ったかどうかは、まだ分からない。
ルナはわずかに喉を鳴らすと、再び目を閉じ、小さな寝息を立て始めた。
外の雨は、いつの間にか小降りになっていた。
猫たちが喉を鳴らす音。
紅茶の甘い香り。
客の心へ静かに寄り添う、小さな店の住人たち。
過酷な旅の合間に帰ってこられる、ちっぽけで温かな場所。
森の奥の猫カフェ『ルナ』は今日もまた、迷い込んだ誰かの心を、やさしく調律していた。




