第一話 招かれざる客と、雨の匂い パート3
第一章 森の奥の猫カフェ
第一話 招かれざる客と、雨の匂い
パート3
一番奥の丸テーブルに腰を下ろした客は、膝の上で丸くなるニケの毛並みに、おそるおそる指を沈めた。
ニケが喉を鳴らすたび、客のこわばった肩が少しずつ下りていく。
カウンターの奥では、レオンが静かに新しい紅茶の準備を始めていた。
茶葉を量り、湯を注ぐ。
紅茶を淹れるときの彼の動作は、音楽を奏でるように滑らかだった。
レオンはふと目を伏せ、店内の“音”に耳を澄ませた。
エリアがカップを割ったことで生まれた、小さなさざ波。
そこに重なるのは、迷い込んできた客の心から漏れる、ひどく不協和な音のずれ。
彼には、人の感情の乱れが“音のずれ”として感じ取れるのだ。
――少しだけ、整えよう。
レオンの持つ『調律』は、光を放つような派手な魔法ではない。
湯の温度をほんの少し変える。
照明の明るさを絞る。
茶葉の香りを立たせる。
そうしたさりげない気配りの一つ一つに、彼の魔力がそっと宿る。
そうして怒りや不安の波をやわらげ、店内の空気を穏やかに整えていく。
「お待たせしました。ダージリンに、少しだけカモミールをブレンドしています」
客の前に置かれたカップから、ふわりとやさしい香りが立ち上った。
一口含んだ客の目から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
悲しいからではない。
張り詰めていた糸がふいに切れたような、安堵の涙だった。
誰も、客の事情を深くは聞かない。
それが、この店の優しさだった。
客席の隅には、なぜか誰も使わない白い椅子が一脚ある。
客たちも、無意識に避けているかのようだった。
けれど、その椅子は店内で浮いているわけではない。
まるで見えない誰かがそこに座り、客の涙を静かに見守っているかのように、温かく風景に馴染んでいた。
穏やかな時間が、店内に戻ってくる。
雨音すら、心地よいBGMに変わっていた。
窓辺で丸くなっていたルナも、その心地よい調和を感じ取り、ふうっと小さく息を吐いた。
――レオンの調律は、今日も完璧だ。
そう思い、もう一度まどろみの中へ沈もうとした、そのときだった。
ルナの金色の瞳が、不意に見開かれた。
視線の先にあったのは、温かな店内ではない。
雨に沈む、暗い窓の外だった。




