第一話 招かれざる客と、雨の匂い パート2
第一章 森の奥の猫カフェ
第一話 招かれざる客と、雨の匂い
パート2
店内の空気が、ほんの一瞬だけ止まる。
全員の視線が、音のした方――床に散らばった白い陶器の破片へ向かう。
そこに立っていたのは、猫の刺繍が入ったエプロンを着た少女だった。
うっすらと青みがかった銀髪を、高い位置でポニーテールにまとめており、琥珀色の瞳は、「やってしまった」と言わんばかりに見開かれていた。
アルバイトのエリアだ。
彼女は慌てて両手をぶんぶんと振った。
「ち、違うの! 今のは、えっと……カップが自分の可能性を広げたっていうか!」
無茶苦茶な言い訳だった。
しかし、カウンターの奥に立つレオンは、責めるどころか少し困ったように、けれどひどく優しく微笑んだ。
「うん。可能性が五つくらいに分かれちゃったね」
怒気のない、ひだまりのようなその声に、張り詰めていた空気がふわりと緩む。
エリアは「うぅ……ごめんなさい」と肩を落とし、しゃがみ込んで破片を拾い集め始めた。
破片を拾う指先は、ほんの少しだけ震えていた。
無意識のうちに、彼女はエプロンの下、胸元に提げている小さな銀の指輪をきゅっと握りしめていた。
(また、壊しちゃった……)
彼女が抱えているのは、ただの「不器用」ではない。
感情が揺れると、触れたものを壊してしまう、不思議な力だった。
大切にしたいものほど、うまく扱えない。
その力に、彼女はいつも怯えていた。
白い陶器の破片が、窓から差し込む光を受けてきらりと光る。
一瞬だけ、欠けた月のように見えた。
「怪我がなくてよかった。カップはまた選べばいいよ」
レオンの言葉が、エリアの背中にそっと降った。
その一言で、胸の奥でこわばっていた何かが、ゆっくりと解けていくのがわかった。
エリアは振り返り、今度は少しだけ照れくさそうに笑った。
そんな人間のやり取りを、猫たちはそれぞれの場所から見守っている。
茶トラのマロンがとことこと歩いてきて、割れたカップの破片を覗き込む。
興味深そうに鼻をひくつかせていた。
何かおいしいものが隠れていないか探しているらしい。
一方、壁際の棚の上からは、白猫のセレスが心底あきれたような顔でエリアを見下ろしていた。
『またやったのね』という声が聞こえてきそうな、気位の高い視線だ。
マロンが破片に触れそうになったのを見て、エリアは慌ててそれを遠ざけた。
「こら、マロン! これは食べ物じゃないよ。危ないから向こうに行ってて」
マロンは不満げに「にゃあ」と鳴くと、今度は客の足元へ向かった。
ニケと並んで、濡れたズボンの裾にすりすりと頭をこすりつける。
その愛らしい仕草に、迷い込んできた客の顔から、少しずつこわばりが消えていく。
「さあ、どうぞこちらへ。温かいお茶を淹れますから」
レオンに促され、客は一番奥の丸テーブルへと案内された。
ニケとマロンも、まるでエスコートするようにその後をついていく。
窓辺では、黒猫のルナが静かに目を閉じていた。
(まったく、騒がしい)
そう心の中で毒づきながらも、彼女の尻尾の先は、ほんの少しだけ心地よさそうに揺れていた。
この騒がしさがある限り、世界はまだ終わらない。
ここは、そういう場所だった。




