第一章 森の奥の猫カフェ 第一話 招かれざる客と、雨の匂い パート1
第一章 森の奥の猫カフェ
第一話 招かれざる客と、雨の匂い
パート1
その店は、地図には載っていない。
人里離れた「銀葉の森」のさらに奥深く、道なき道の先にひっそりと佇んでいる。
森の入口に看板が出ているわけでも、派手な広告があるわけでもない。
それでも、本当に“癒やされたい傷”を抱えた者だけは、なぜかこの店へたどり着く。
薄暗い森の中、迷い続けていた一人の客がいた。
雨は枝葉を叩き、濡れた外套からは冷たい雫が落ちている。
足元は泥に汚れ、心は行き場のない疲労で塗りつぶされていた。
諦めかけて立ち止まったそのとき、木々の隙間に、夜空に浮かぶ月のような丸い窓の灯りが見えた。
導かれるように歩みを進めると、蔦の絡まった白い壁の洋館が、森の奥にひっそりと現れた。
入口には、黒猫のシルエットと『LUNA』という手書きの文字が刻まれた木製の看板。
勇気を出して扉を押すと、小さなベルが「からん」と澄んだ音を立てた。
「いらっしゃいませ。猫カフェ『ルナ』へ」
カウンターの奥から響いたのは、熱い紅茶に落とした一匙のミルクのように、穏やかで柔らかな声だった。
そこに立っていたのは、蜂蜜色の髪をした青年、レオンだ。
彼は深い青のエプロンを纏い、まるで音楽を奏でるような滑らかな所作で、客を迎え入れた。
「ひどい雨ですね。まずは、こちらで水気を拭いてください」
レオンが差し出したのは、温かなタオルと、白い湯気を揺らす一杯の紅茶だった。
その湯気は、誰かのため息をそっとほどくように見えた。
店内に満ちているのは、古い木の床の香りと、焼きたての菓子の匂い。
そして、静かな“呼吸”の気配。
窓辺では、一匹の黒猫が片目だけを開けて客を見ていた。
金色の瞳。艶やかな黒い毛並み。看板猫のルナである。
彼女の視線は、客の濡れた服ではなく、胸の奥に沈んだ小さな傷を静かに見透かしていた。
(……また、雨の匂いを連れた客だ)
ルナが尻尾を一度だけ揺らすと、まるでそれが合図だったかのように、三毛猫のニケが客の足元へ歩み寄った。
ニケは迷うことなく客の冷えた膝に乗り、喉を小さく鳴らして丸くなった。
「ニケ、その人は初めてなんだから、優しくね」
レオンが微笑みながらそう言った、その直後だった。
「わ、わわっ! 大丈夫です、今のは事故じゃなくて――!」
客の背後で、元気な声とともに「ぱりん」と軽やかな音が響いた。




