第六話 はじまりの扉 パート4
第六話 はじまりの扉
パート4
「月響の鈴……昨日、上の部屋にあった空っぽの台座のことですね?」
レオンが尋ねると、アルカディアは巨大な首をゆっくりと縦に振った。
「いかにも。あの台座には、かつて『月響の鈴』が安置されていた」
白竜の低い声が、静かな聖域に響く。
「だが鈴は砕かれ、その力は無数の欠片となって、世界各地の遺跡へ散ってしまった。欠片には今も、鈴が奏でていた響きが宿っている。それゆえ、我らはそれを『鈴の響き』と呼んでいるのだ」
アルカディアの白銀の瞳が、泉の水面へ向けられた。
「すべての響きを集め、月響の鈴を蘇らせる。それこそが、世界を覆い始めたノクスを鎮める鍵となる」
アルカディアの言葉に、エリアは不安そうに首をかしげた。
「世界各地って……私たち、旅に出るんですか? でも、その間、お店はどうするの?」
エリアは地上にある猫カフェを思い浮かべる。
「道に迷ったお客さんが来ても、誰も迎えられなくなっちゃう……」
自分の力を少しだけ信じられるようになったとはいえ、つい昨日まで、エリアはこの店で皿を割ってばかりの店員だった。
『世界を救う旅』など、あまりにも話が大きすぎる。
するとルナが、誇り高い守護者の顔で、ふん、と鼻を鳴らした。
『心配無用だ、破壊の少女よ。この月の聖域は、ただ森の奥にあるだけの、ちっぽけな店ではない』
ルナは長い尻尾を、ゆらりと揺らす。
『店の入口にある、あの木の扉。一定の場所で我の鈴を鳴らし、魔力を込めて取っ手を回せば、銀葉の森ではなく――世界各地に点在する聖域の扉へ直接つながる』
「えっ!?」
エリアが素っ頓狂な声を上げた。
「あの『からん』って鳴る普通の扉が、世界中につながるってこと!?」
目を丸くするエリアの隣で、レオンが感心したように手を打った。
「なるほど。つまり、このカフェを拠点にしたまま、世界中を巡れるというわけだね」
レオンは顎に手を添え、真剣な顔で考え込む。
「それは助かるよ。旅先から戻れば、いつものキッチンで温かいものを用意できるから」
『……お前は本当に、どこまでも自分の調子を崩さぬな』
ルナが心底呆れたように溜め息をついた。
けれど、その尻尾の先は、どこか嬉しそうに揺れていた。
この青年がいれば、どれほど恐ろしい遺跡であっても、きっと最後には「いつものお茶の時間」へ変えてしまうのだろう。
「行きましょう」
エリアが、両手をぎゅっと握りしめて言った。
握りしめられたのは、もう手袋に隠されていない、白く小さな手だった。
「私の『壊す力』が、誰かを悲しみから助けるために使えるなら……私、行きたい」
エリアはルナとアルカディアを、まっすぐに見つめた。
「いろいろな場所へ行って、ルナちゃんたちと一緒に、泣いている人を助けたい」
「そうだね」
レオンも立ち上がり、空になったティーカップをバスケットへ戻しながら、ひだまりのように微笑んだ。
「世界には、まだ知らない茶葉も、ひとりで悲しみを抱えている人も、きっとたくさんいる」
彼はいつもと変わらない穏やかな声で続ける。
「旅の準備を始めよう」
アルカディアは、若く、まっすぐな二人の人間と、誇り高い小さな黒猫の弟子を、深い慈しみを込めて見つめた。
千年の後悔を抱えてきた冷たい聖域に、ようやく温かな希望の光が差し込んだ。
「頼んだぞ。新たなる『月の守護者』たちよ」
ルナは静かに立ち上がった。
『決まりだな。では、地上へ戻るぞ』
三人が店へ戻ると、ルナは入口の木の扉の前へ進み、その首元にある青い鈴を鳴らした。
――ちりん。
澄んだ音が店内を満たす。
ルナが魔力を込めると、古びた木の扉の輪郭が、淡い銀色の光を帯び始めた。
その向こう側から流れ込んできたのは、銀葉の森の風ではない。
乾いた砂の匂いと、遥か遠くで響く鐘の音。
まだ誰も知らない土地の気配だった。
エリアとレオンは顔を見合わせる。
そして二人は、小さく頷いた。
森の奥の猫カフェから始まる、世界の悲しみを癒やすための旅。
その最初の扉が今、ゆっくりと開いていった。




