第五話 壊す手と、調える音 パート4
第五話 壊す手と、調える音
パート4
店内に、ふわりと温かなミルクティーの香りが戻ってきた。
古木の床も、漆喰の壁も、まるで最初から傷などなかったかのように、修復されていた。
外の雨音はいつの間にか遠ざかり、雲の隙間から差し込んだ柔らかな陽の光が、丸い窓ガラスを透かして床に金色の模様を描いていた。
へなへなと座り込んでいたノアの目から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
今度の涙は、恐怖や絶望からこぼれたものではなかった。
限界まで張り詰めていた心の糸がほどけ、ようやく子どもらしさを取り戻した、安堵の涙だった。
「……う、あ……っ、うわああぁぁん!」
ノアは両手で顔を覆い、しゃくりあげるようにして泣き出した。
誰にも見せまいと必死に隠してきた、等身大の少年の涙だった。
「もう大丈夫だよ、ノア。ここでは、好きなだけ泣いていい」
レオンはそっとしゃがみ込み、少年の小さな体を、破れたエプロンごと優しく抱きしめた。
ノアはレオンの胸に顔をうずめ、しがみつくように声を上げて泣いた。
今まで一人で抱えてきた孤独を、少しずつ吐き出していくように。
そんな二人の足元に、どこからか「にゃあ」と鳴いて、三毛猫のニケと茶トラのマロンが歩み寄ってきた。
ニケはノアの背中に、すり、と体をこすりつけ、マロンは心配そうにノアの顔を覗き込んでいた。
猫たちの温かな体温と、レオンの穏やかな鼓動が、少年の心を、少しずつ満たしていった。
その光景を少し離れた場所から見ていたエリアは、ほっと息をつき、その場にぺたりと座り込んだ。
全身の力が抜け、指先が微かに震えている。
『……見事だった、エリア』
ふいに、足元から澄んだ思念の声が響いた。
見下ろすと、黒猫のルナが金色の瞳でエリアをまっすぐに見上げていた。
その瞳には、これまでの「危なっかしい店員」へ向ける呆れの色はなかった。
一人の頼れる仲間に対する、深い敬意と信頼が宿っていた。
『お前の力がなければ、ノアもこの店も、ノクスに呑み込まれていた。……我一人では、決して守りきれなかった』
「ルナちゃん……」
エリアは、外した布手袋をぎゅっと握りしめた。
自分の「壊す手」が、大切な場所を守れたのだ。
その事実が、じんわりと胸の奥を温かくしていく。
エリアは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を、袖で乱暴に拭った。
そして、とびきりの笑顔を浮かべた。
「えへへ……やった。私、初めて……ちゃんと、守れたよ」
不器用な少女のその笑顔に、ルナは小さく目を細め、尻尾をゆらりと揺らした。
(……ああ。人間というのは、本当に面倒で、脆くて、愛おしい)
ルナは、泣き疲れてレオンの胸で眠ってしまったノアと、それを優しく撫でるレオン、そして照れくさそうに笑うエリアを静かに見つめた。
数百年もの間、一人で未来を背負い、孤独な守護者であり続けてきた。
けれど、もう一人じゃない。
『破壊の少女』と『調律の青年』。
この二人と共になら、どんなに黒く重いノクスが目覚めたとしても、きっと世界の心を救うことができるだろう。
ちりん、と。
ルナの首元で、青い首輪についた鈴が鳴った。
今度は不吉な予兆としてではなく、新しい旅のはじまりを告げるように、澄んだ心地よい音を立てて。
森の奥の小さな猫カフェから始まる、世界の悲しみを癒すための旅。
その本当の幕が今、静かに上がろうとしていた。




