第五話 壊す手と、調える音 パート2
第五話 壊す手と、調える音
パート2
エリアは小さく息を吐き、両手にはめていた布手袋を、ゆっくりと引き抜いた。
あらわになった白く細い指先は、まだわずかに震えている。
けれど、その琥珀色の瞳からは、もう「逃げ出したい」という迷いは消えていた。
彼女は一歩、また一歩と、黒い泥水が蠢くノアの足元へ近づいていく。
「エリア、待って! 素手で触れるのは危険だ!」
レオンが制止しようと声を上げた。
ノクスの影そのものも危険だ。
けれど何より、彼は知っていた。
エリア自身が、自分の力で少年を傷つけてしまうことを、ひどく恐れているのだと。
しかし、エリアは振り返った。
不安げなレオンに、小さく微笑む。
「大丈夫だよ、レオンさん。私、自分の力を何のために使いたいのか、やっとわかったから」
彼女は再び前を向き、ノアを縛り付ける禍々しい黒い鎖を、まっすぐに見据えた。
「――今度は、壊すものを間違えない」
決意の言葉とともに、エリアは両手をためらいなく突き出した。
影が鋭い棘となって彼女の腕を弾こうとする。
だが、エリアは決して怯まない。
彼女の素手が、ノアの足首を締め付けていた最も太い泥の鎖を、がしっと力強く掴んだ。
その瞬間だった。
――ピキィンッ!
店内に、まるで薄いクリスタルグラスが弾けたような、高く澄み切った音が響き渡った。
エリアの指先から放たれた『破壊の力』。
それは、周囲を無差別に巻き込む暴走ではなかった。
正確に狙いすました刃のように、ノアの体を傷つけることなく、『ノクスの鎖』だけを捉えていた。
どろどろと蠢いていた黒い泥水が、一瞬にして黒曜石のように硬く固まった。
次の瞬間、光の粉となって美しく砕け散る。
バラバラになった闇の破片は、床に落ちる前に淡い粒子となって空中に溶けていった。
「え……?」
ノアが目を丸くする。
彼の足に絡みついていた重く冷たい束縛は、嘘のように消え去っていた。
ただ物を壊すだけだと忌み嫌っていた自分の手が、初めて誰かを救えた。
その事実に、エリア自身の目にもじわりと熱いものが滲む。
『……見事だ、エリア』
結界を支えていたルナが、心底から感嘆の思念を漏らした。
しかし、休んでいる暇はない。
鎖という「殻」を失ったノクスの悲しみは、行き場を失った黒い靄となって空間に漂い、なおも不協和音のようなすすり泣きを続けていた。
「殻は壊したよ! あとはお願い、レオンさん!」
「ああ。完璧なバトンタッチだ」
エリアの叫びに、レオンが力強く頷く。
彼は深い青色のエプロンを翻し、空中に漂う悲しみの靄へと、その長く綺麗な両手をゆっくりと広げた。




