第四話 迷い込んだ少年 パート3
第四話 迷い込んだ少年
パート3
「……怒らないの?」
ノアの口から、かすれた小さな声がこぼれた。
それはレオンへの問いというより、目の前で起きた、「失敗が許される」という光景そのものへの戸惑いだった。
「え?」
破片をちりとりに集め終えたエリアが、顔を上げる。
「うーん、レオンさんはね、本当に怒らないんだよ。私が何度お皿を割っても、ドジばっかりしても、最初に『怪我はない?』って聞いてくれるの」
エリアは少し照れくさそうに笑いながら立ち上がり、ノアの向かいの席に座った。
そして、テーブルの上のミルクティーとスコーンを指差した。
「だから君も、安心してゆっくりしていってね。……あ、お姉ちゃんはエリアって言います。君は?」
「…………ノア」
「ノアくんか。よろしくね」
エリアの笑顔は少し不器用だったけれど、そこには裏表のない明るさがあった。
ノアは、膝の上で丸くなるニケの柔らかな背中を、おそるおそる撫でてみる。
ゴロゴロという喉の音。
ミルクティーの甘い香り。
そして、決して自分を責めない大人たちがいる空間。
それは、ノアがこれまで生きてきた世界には、決して存在しなかったものだった。
彼の世界は、いつも冷たかった。
他人の顔色をうかがい、少しでも失敗すれば怒声が飛んでくる。
そんな、息の詰まる場所だった。
だから彼は、雨の森へ逃げ出したのだ。
温かすぎるこの場所は、凍りついていたノアの心を、あまりにも急に溶かしていった。
気づけば、ノアの視界はぐにゃりと歪んでいた。
「あ、あれ……?」
ノアは慌てて目をこすった。
けれど、後から後から大粒の涙があふれて、止まらない。
悲しいわけではない。
痛いわけでもない。
ただ、張り詰めていた糸が、温かさに触れてぷつりと切れてしまったのだ。
「ぼく……っ、泣いてもいい場所なんて、知らなかった……」
嗚咽と一緒にこぼれたその言葉は、誰にも聞かれないまま心の奥底へ沈められてきた、ノアの本当の悲鳴だった。
エリアが驚いて立ち上がる。
「えっ、あ、ごめんね、私なんか変なこと言った!?」
レオンも心配そうに、カウンターから身を乗り出した。
だが、その瞬間だった。
窓辺でノアをじっと見つめていた黒猫のルナが、全身の毛を逆立てて「シャーッ!」と鋭い威嚇の声を上げた。
「ルナちゃん!?」
エリアが振り返ったそのとき、店内の空気が、急激に冷たくなった。
甘いミルクティーの香りが消えた。
代わりに、ひどく淀んだ泥水のような匂いが鼻をつく。
ノアの足元――古木の床から、ぽた、ぽた、と。
インクをこぼしたような黒い水が滲み出し、あっという間に小さな水溜まりのような影を作り始める。




