第四話 迷い込んだ少年 パート1
第一章 森の奥の猫カフェ
第四話 迷い込んだ少年
パート1
その日、銀葉の森は、冷たい雨に沈んでいた。
木々の葉は重く濡れそぼり、昼間だというのに、森の中は夕暮れのように薄暗かった。
そんな雨の森を、びしょ濡れになった一人の少年が歩いていた。
年の頃は十二歳くらいだろうか。うつむきがちに歩く彼の名は、ノアという。
足元は泥にまみれ、体は芯まで冷え切っていた。それでも、ノアは立ち止まろうとしなかった。いや、立ち止まれなかった。
彼には、帰るべき「居場所」がどこにもなかったからだ。
「……寒い」
誰にともなくこぼしたつぶやきは、雨音に吸い込まれて消えた。
胸の奥に澱のように溜まった孤独と諦めが、ひんやりと心を侵していく。
そのときだった。
木々の隙間、深い霧の向こうに、ぽつりと温かなオレンジ色の灯りが浮かび上がった。
それは、夜空に浮かぶ月のような、丸い窓の灯りだった。
ノアは導かれるように、ふらふらとその光へ歩みを進めた。
たどり着いた先には、蔦の絡まる古びた洋館があった。
入り口には「LUNA」と書かれた木製の看板が掲げられている。
ノアはためらうように、冷え切った手を伸ばし、ゆっくりと重い木の扉を押した。
――からん。
澄んだベルの音が鳴り響いた。
「いらっしゃいませ。猫カフェ『ルナ』へ」
中から聞こえてきたのは、冷え切った体を包み込むような、ひだまりにも似た穏やかな声だった。
カウンターの奥に立っていたのは、蜂蜜色の髪をした青年だ。彼は深い青のエプロンを身につけ、驚くほど静かで滑らかな所作で、ずぶ濡れのノアを見つめていた。
「ひどい雨だったね。まずは、これで水気を拭いて」
青年――レオンが差し出したのは、ふかふかに乾いた、温かいタオルだった。
ノアはビクッと身をすくませ、警戒するように一歩後ずさった。
他人の「優しさ」は、ノアにとって、ときとして痛みを伴うものだったからだ。
だが、レオンはそれ以上距離を詰めようとはしなかった。
ただタオルをカウンターに置き、静かに新しい紅茶の準備を始めた。
その押しつけがましくない距離感に、ノアはほんの少しだけ息を吐き、恐る恐るタオルへ手を伸ばした。
店内には、古い木の香りと、焼き菓子の甘い匂いが満ちていた。
そして、あちこちから聞こえてくる、猫たちの穏やかな寝息。
ここなら、少しだけ休んでもいいのだろうか。
ノアがそう思いかけたとき、窓辺で丸くなっていた黒猫が、金色の瞳を開き、じっと彼を見つめた。
その黒猫の瞳の奥に、ノアは一瞬、言葉にならない深い畏怖を感じた。
まるで、心の奥底に沈んだ黒い泥水を、すべて見透かされているような気がして。




