第三話 日常の終わりと、黒猫の告白 パート2
第三話 日常の終わりと、黒猫の告白
パート2
『ノクス――そう呼ばれる影の名を、聞いたことはあるか』
ルナの澄んだ思念が、静まり返った店内に響いた。
『それは、怒り、絶望、そして孤独だ。誰にも受け止められず、行き場を失った感情が、長い時間をかけて澱み、意思を持ったものだ。かつて、古代の者たちはその痛みを直視しきれず、世界の底にある黒い湖へ封じ込めた』
ルナはゆっくりと瞬きをした。
金色の瞳に、深い哀愁が宿っていた。
『彼らは世界を滅ぼしたいわけではない。ただ、誰にも聞き届けられなかった悲しみを、世界中に響かせようと泣き叫んでいるだけなのだ。それが限界を超え、今、封印を破ろうとしている』
「聞き届けられなかった、悲しみ……」
レオンが、ぽつりとつぶやいた。
彼の蜂蜜色の瞳が、少しだけ伏せられる。
他者の痛みに敏感な彼の『調律』の力が、ルナの語るはるか遠い「悲鳴」に共鳴したのだろうか。店内の空気が、ほんの少し重く、冷たく沈んだ。
「待って、待ってよ!」
耐えきれなくなったように、エリアが声を上げた。
彼女は両手で頭を抱え、今にも泣き出しそうな顔でルナを見つめていた。
「古代とか、世界の底とか……急にそんな大きな話をされても! ここはただの、森の奥の猫カフェでしょう……?」
『ただのカフェではない。ここは、古代文明アルテミアが残した「月の聖域」だ。ノクスの影響から世界を守るための、防波堤の一つでもある』
「防波堤……じゃあ、ルナちゃんはずっと一人で、そのノクスっていうのと戦ってたの……?」
エリアの問いに、ルナは静かに頷いた。
客の心の乱れを癒やし、世界律の小さなひずみを整える。
それが、この店が日常の中で果たしてきた「戦い」だった。
しかし、もはやそれだけでは抑えきれない破局が迫っていた。
『……我ひとりの力では、もはや、この結界を維持できない』
ルナはカウンターからふわりと飛び下りると、古木の床を歩き、二人の足元で立ち止まった。
そして、まっすぐに二人を見上げる。
『お前たちの力が必要だ。調律の青年よ、破壊の少女よ。我と共に、世界の心臓へ向かい、ノクスの悲しみを鎮めてほしい』
それは、誇り高き月の守護者が初めて見せた、誰かを頼るための「お願い」だった。
レオンは静かにルナを見つめ返した。
エリアは自分の両手――触れるものを壊してしまうその手を、震えながらきゅっと握りしめた。
『来てくれ。お前たちに、見せなければならないものがある』
ルナは身をひるがえし、店のさらに奥へ向かって歩き出した。
そこには、普段は重いカーテンで隠されている、誰も開けたことのない「開かずの扉」があった。




