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5.失敗

用意された一室は、開放的で広々としていた。


王宮にある調度品と比べれば見劣りはするものの、ひとつひとつが丁寧に選ばれた品の良い家具や装飾が整えられており、そこに漂う空気はどこか落ち着いていて、いわゆる"娼館"のイメージとは大きく異なっていた。


(まるで貴族の迎賓室みたい……)


エマはそんな印象を抱きながら、部屋の中央にある長椅子に腰を下ろした。


「はあ、なんでこんな事に」


煌びやかに輝く街並みを、解放された窓からぼんやりと眺めながら、深いため息を吐く。


夜の花街は、昼間とは全く違った顔を見せていた。細く曲がりくねった石畳の路地には無数の灯篭が揺れ、赤や紫の光が壁や行き交う人々の顔を妖しく照らす。建物の窓にはレースのカーテン越しに人影がちらつき、艶やかな笑い声や楽器の音色が、どこからともなく流れてくる。仄暗くも華やかなその光景は、どこか夢のようで、現実感が薄い。


目を付けていた人物とは、どうやら身分を隠して花街を訪れていたオーウェンと既に繋がりを持っていたらしく、彼がその男を連れてくるまでの間、エマはこうして部屋で待機するよう言われていた。


(なぜ私が適任だと思われたのだろう)


確かに、カールソン家にいる妙齢の女性はエマしかいない。だがエマ自身、男性を魅了する自信など一切ない。


王宮ではそれなりに丁重な扱いを受けたものの、それは彼女が令嬢だからに過ぎず、女性として見られていたわけではなかった。


(私が誰かを誘うような器に見えるのだろうか……)


そうこうしている内に、扉の外から足音が近づき、やがてオーウェンの明るい声が響いてきた。


「ギブソン様のような方に、ぜひおすすめしたい上玉でして〜」


軽やかで滑らかな口調。いつも通りの軽妙な話術に聞こえるが、その中にどこか相手を持ち上げて取り入るような節がある。


「そうかそうか、それは楽しみだな」


応じる男の声は、図太く荒っぽい。王族を相手にしているなど露とも知らず、完全に己が上位に立ったつもりでいるようだ。


「さあさあ、こちらにどうぞ」


オーウェンの案内で部屋へと現れた男は、大柄で肉厚な体つきをしており、その体格はオーウェンの二倍はあろうかというほど。粗野な雰囲気を漂わせ、着こなしている服こそ上質だが、それ以外に品格らしきものは感じられない。


下品な笑みを浮かべ、まるで品物を見るような目で室内をぐるりと見渡すと、ゆっくりとエマに視線を向けた。


「ようこそいらっしゃいました」


エマはオーウェンに教わった通り、柔らかく微笑みながら礼を取る。しかしその丁寧な所作を見た男は、あからさまに顔をしかめ、面倒そうに視線を逸らした。


(お気に召しませんか)


オーウェンはその様子を見て微笑を浮かべると、軽く会釈をして部屋を後にした。ドアが閉まると、部屋に残されたのはエマとその男のふたりだけ。


空気が一気に冷えたような気がした。


「こちら、大変貴重な酒なのですよ」


エマは卓上に置かれた酒瓶を持ち上げ、グラスに注ぎながら微笑む。酔わせて気を緩ませ、情報を引き出す。そういう方針だった。


しかし男は無言のまま、無造作にグラスを取り上げると一気に煽り、テーブルに音を立てて置くだけだった。返答も、視線もない。


(やはり役不足か)


出来る限りの愛想を売りながらも、この作戦の失敗を肌で感じずにはいられなかった。






「いやあ、惨敗でしたね」


戻ってきたオーウェンが、どこか楽しげな調子で笑いながら声を上げた。まるで自分が失敗した張本人ではないかのように、どこか他人事のようでもあった。


その横でエマは、椅子にぐったりと腰を沈めていた。慣れない艶っぽい仕草に神経をすり減らした結果、疲労感が全身に広がっている。頬に一筋の汗が伝い、化粧がわずかに乱れていた。


「まあターゲットは他にもいるから、めげずに頑張ろう」


オーウェンはまるで慰めるように笑いながら、手にしたうちわでエマに風を送る。その仕草は優しげだが、言葉の軽さと裏腹に、本気で反省している様子はあまり見えない。


「いえ、私では無理です。町に戻って作戦を立て直しましょう」


ぐったりとしたまま、しかしエマの声には珍しく強い決意が込められていた。もうこれ以上、無理に男相手に笑顔を作る真似はしたくない――そんな心の声がそのまま言葉に現れていた。


「そうしたいところだけど、僕にはあまり時間がないからね……でも、確かにこのままでは上手くいかないかも。そうだ!胸に詰め物をしてみよう」


まるで「襟が曲がってるよ」とでも言うかのように、オーウェンは悪びれもせず口にした。


「……」


エマは言葉を失い、一瞬ぽかんとオーウェンを見つめたが、すぐに視線を逸らして深いため息を吐いた。もう呆れるのも疲れる。そう言いたげに立ち上がり、窓辺へと向かう。


窓の外には、眩い光が溢れていた。花街はまるで昼のような熱気に包まれている。


(こんな時間に、こんなに人が……)


道行く男女の笑い声、絡みつく香水と煙草の匂い、華やかな衣装――。昼間見た光景とは違う、夜の花街ならではの妖しさがそこにはあった。


ぼんやりと眺めていたエマの耳に、突然聞き覚えのある大声が飛び込んできた。


「あれ? エマじゃねーか!」


ぎょっとして身を乗り出す。視線の先、通りの中央には、エマの兄弟たち、そして彼らを囲むようにして通行人たちの注目を一身に集めている男――ノアがいた。


あまりにも端正な顔立ち、真っ直ぐな背筋、抜けるように整った所作。花街のど真ん中にいてもひときわ目を引くその存在感に、周囲の娼婦たちがあからさまに目を輝かせていた。


「お前みたいな貧乳、誰も選ばねーぞ!」


兄弟の一人が、馬鹿笑いしながら悪意も悪戯も混ざった声でエマをからかう。


(まずい)


ただまっすぐこちらを見つめるノアにどう言い訳するか。エマの頭は高速で動いていた。


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