21.デイジーその後
都から遠く離れた場所に、静かな田舎町があった。
自然に囲まれたこの地では、人々は決して豊かとは言えないものの、質素な暮らしを慈しむように日々を送っていた。
花を摘んで瓶に挿し飾り、子どもたちは森で採れた木の実をそのままおやつとして食す。
何度も繕われたあとがあるドレスは古く、女性達は化粧っ気がなかったが、とびっきりの笑顔を浮かべる彼女達は美しく輝いていた。
小さな庭に咲き誇る花々の傍に、白い木製のテーブルと椅子が置かれている。
テーブルの上には、木の実を練り込んで焼かれた手作りのクッキーと、庭で摘まれたハーブを煎じたハーブティー。
透明なガラスのカップに湯気をたてるそのお茶を、イザベラは黙ったまま静かに啜っていた。
「……」
向かいに座るデイジーは、じっと母の様子をうかがっている。
今回のティータイムのために、クッキーはソフィアの手ほどきを受けながら、彼女が一生懸命に焼き上げたものだった。
しかし、イザベラは一向に手をつけようとしない。
ハーブティーを口に含むばかりで、クッキーには視線すら向けていなかった。
二人きりの、張り詰めた空気。
付き添いのルイスとソフィアは、気を利かせてこの場を離れていた。
けれど、むしろその不在がデイジーの緊張をひどくさせていた。
母とふたりきりで向き合う時間――それは、どれほど長く感じられたことだろう。
まるで何時間も経ったかのように思える頃、ようやくソフィアの柔らかな声がその静寂を破った。
「お時間ですわ、イザベラ様」
デイジーはその声を聞いた瞬間、肩の力が抜けた。
息を吐き出すように安堵する彼女の目の前で、ソフィアがテーブルに目を落とす。
「あら……」
クッキーには、やはりひとつも手がつけられていない。
「イザベラ様、こちらのクッキーはデイジー様が、イザベラ様のためにお作りになったものです。よろしければ、お包みいたしましょうか?」
「え、あ……あの……」
慌てて口を挟むデイジー。無理に食べてもらいたかったわけではない。
ただ、少しでも母に何かを届けたかっただけだ。
イザベラは静かにカップを置き、短く一言返す。
「ああ、頼む」
ソフィアは台所から白い布とピンク色のリボンを取り出し、いくつかのクッキーを丁寧に包んだ。
それを付き人のルイスに手渡すと、イザベラは一言も発さぬまま、王宮の紋章が刻まれた馬車に乗ってその場を後にした。
「……ふう」
その姿が見えなくなった瞬間、デイジーは椅子にへたり込んだ。
「お疲れ様でございました、デイジー様」
ソフィアが優しく背を撫でる。その手はあたたかく、穏やかに彼女の心を解していった。
マリアーノ家との離縁から数ヶ月。
ソフィアと共にこの田舎町に暮らすようになって、デイジーはようやく本来の自分を取り戻しつつあった。
最初は戸惑いもあった。
贅沢も、飾り気もない日常――けれど、それが少しずつ心地よく感じられてきたのだ。
見栄を張らず、正直に向き合ってくれる人々に囲まれて。
彼女は初めて、自分の足で立つという感覚を味わっていた。
だが、そんな日々の中、イザベラが定期的に訪れるようになった。
「……どうしてお母さまは、私に会いに来るのかしら」
憂いを含んだ声で呟く娘に、ソフィアは微笑を浮かべて答える。
「イザベラ様は、ご心配なのです。たった一人の娘が、慣れぬ土地で暮らしているのですから」
「そうかしら?」
素直に受け取れず、デイジーは小首をかしげた。
その頃、王都へ向かう馬車の中。
イザベラは膝の上に置かれた小包を開けると、丁寧に包まれたクッキーを取り出し、一口かじった。
「……甘い」
その呟きに、隣のルイスがくすっと笑う。
「君は甘いもの、苦手だろ?」
そう言って手を伸ばそうとした瞬間――
無言でイザベラはさっとその手を払いのけた。
「……あの子、変わったな」
再びクッキーを口にしながら、ぽつりと呟く。
「そうだね。君の判断は、間違っていなかったみたいだ」
かつて、イザベラは王命の裁きの場で、マリアーノ家の責任を問う代わりに、デイジーに離縁を命じた。
そして、彼女をソフィアに託した――それが、少なくとも今は正解だったように思えた。
「……あの子には、貴族の生活は向いていなかった」
それは、イザベラが以前から感じていたことだった。
些細なことで感情を爆発させてしまうデイジーに対して、イザベラはただ目をつぶることしかできなかった。
「次は、何か手土産を持って行こうかと思う」
「でも、ドレスや化粧品はソフィアに止められているんだろ?」
昔のデイジーは、お金をかけた装飾品なら何でも喜んでいた。
けれど今は、貴族のような環境に触れさせたくないというソフィアの願いがあり、それらを贈ることはできなかった。
珍しく思案顔になった彼女に、ルイスが提案する。
「君も作ってみればいいじゃないか」
ちらりと、彼女の手元にあるクッキーに視線を送る。
しばし沈黙のあと――
「……検討しよう」
イザベラはそっけなく言いながらも、もう一度クッキーを口に運んだ。




