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19.婚約破棄

「災難でしたわねぇ」


ふわりと優雅に微笑みながらも、労わりの声を掛けるのはエミリアだった。


場所は王城内にある、令嬢専用のカフェテリア。


日差しが柔らかく差し込むその空間は、上品な花々で彩られ、日常を忘れさせるような優雅な雰囲気に包まれている。


誘拐という非日常の出来事に巻き込まれ、取り調べや諸々の拘束からようやく解放されたエマ。


数日ぶりの自由なひととき、彼女は気心の知れた友人であるエミリアとアイラとの久々のお茶会を楽しんでいた。


「それにしても怖いですわね……犯人が分からないなんて」


エミリアが周囲に気を配りながら、声を潜めて言う。


彼女の声は震えてはいないが、警戒心がにじんでいるのは明らかだった。


実際、この誘拐事件は王族関係者の間でも秘匿とされ、一般には公表されていない。


マリアーノ家が関わっている事実や、デイジーとアーチーが縁を切られた件についても、エミリアやアイラはまだ知らない。


だが、社交界に通じた彼女たちの耳にも、やがてその噂は届くに違いない。


時が経てば、彼らの不在が真実を物語ることになるだろう。


「確かに、城内でも危険があるなんて、エミリアさんももっと門番に媚びを売っておいた方が良いですよ。門番だけでなく、騎士や役人にも幅広く。いざという時、優先的に守って頂けるかもしれませんから」


アイラが告げると、エミリアは目を丸くして身を乗り出した。


「こ、媚びなんて売ってませんわ!!」


頬を染めて声を上ずらせるその様子は、実にエミリアらしい。


「先ほどもカフェテリアまでの道を尋ねていらしたでしょう?あの門番に」


淡々と追撃するアイラに、エミリアはさらに顔を赤くする。


「な、なぜそれを!?……まさか、つけていたのですか?」


動揺を隠しきれず、ぎこちなく咳ばらいをするエミリア。


(道を聞く以外のアプローチ方はないのか)


どうやらエミリアの恋愛に関しては、まだまだ前途多難なようだ。


「それよりも、今は騎士団長様とデイジー様の破局に、城中が大騒ぎですわ」


話題を変えようとエミリアが切り出す。


マリアーノ家との縁が切られた以上、王専属騎士であるノアとデイジーの婚約は継続できず、正式に破談となった。


この件は、リアム王とイザベラの合意の元で決定されたものであるが、当然ながら城内では大騒動となっている。


「だからですか、先ほどから令嬢達がどこか殺気立っているのは……」


アイラの言葉に頷きながら、エマは周囲を見渡す。


きらびやかな衣装に身を包んだ令嬢たちが、あからさまに牽制し合い、火花を散らしているのが見て取れた。


(一応、王の側室達なのだが)


だが、この異様な空気も無理はない。


「王専属騎士との婚約」とは、貴族社会においては垂涎の的であり、権威と名誉、そして王家との強い繋がりを意味する地位なのだ。


「王専属騎士との婚約は、貴族にとって喉から手が出るほど欲しい立場ですわ。きっと今頃、国中から婚約者候補が押し寄せているところでしょうね」






以前開かれた舞踏会にて知り合ったオリビアの繋がりで、名だたる貴族たちが一堂に会し、王城の晩餐会は穏やかで華やかな空気に包まれていた。


その中央にはリアム王が悠然と座し、背後には彼の忠臣たるノアが気配を消して控えている。


貴族たちは皆、夫婦揃って招待され、王の威光に気圧されつつも、オリビアの朗らかで柔らかな空気にほぐされ、ぎこちなくも会話を楽しんでいた。


「いやぁ、私たちのような下々の者にまで、このような光栄な場を設けて頂けるとは……。我々もさらなる豊かな国を築くため、微力ながら全力で貢献させて頂きますぞ」


恰幅の良い紳士が、まるで家族を讃えるような暖かい笑みでリアム王に言葉を贈る。


「ああ、我らが望む国の未来を、共に輝かせよう」


リアムの重厚な声が会場に響き、紳士の目がますます輝きを増す。


(望む国、か……)


ノアは無言でその言葉を反芻する。


リアム王が目指すのは、身分に関係なく誰もが人間らしい暮らしを営める国だ。


しかし、目の前の貴族たちが望む未来も果たして同じ方向を向いているのか、その答えをノアは知り得ない。


だが、今ここで忠告するつもりもない。王が選び、王が導くのなら、それを静かに見届けるのが彼の役目だからだ。


「そういえば、この前の舞踏会に娘も参加しておりましてな。王妃様のご采配、まことに素晴らしかったと感嘆しておりました。流石は王妃様、見る目が違いますな」


話題を変えたつもりの紳士の言葉に、会場の雰囲気が和らぐ。


「お褒め頂きありがとうございます」


オリビアが優雅に一礼し、リアムも満足げに目を細める。


「親の私が言うのもおこがましいですが、我が娘はそれはそれは美しく、器量も良く礼儀も正しく育っておりましてな。もしや専属騎士様の婚約者候補などに……」


にこやかに続く紳士の提案を皮切りに、周囲の貴族たちが一斉に火花を散らし始める。


「お待ちください!私の娘も負けておりませんぞ。剣術をたしなみ、戦場に立っても恥じぬ才覚の持ち主でして」


「我が娘は社交界における人脈も広く、間違いなく騎士団の顔として申し分ありません!」


次々に飛び出す娘自慢。場はたちまち熱を帯び、まるで競り市のような賑わいを見せ始める。


「はあ……またこの流れか」


溜息を吐くリアム。


デイジーとの婚約破棄が公となって以来、彼は毎日のようにこの手の売り込みを受け続けていた。


国政について語る場も、気づけば娘婿探しの場へと変わってしまうのが常だ。


「これでは国の話が出来ない。ノア、早々に婚約者を決めるぞ」


呆れを滲ませつつも、決断を下すリアムの声が背後に響く。


ノアは無言でうなずいた。


(また婚約者か……)


ノアは静かに瞼を伏せ、周囲の熱気に包まれた場の空気から一歩身を引くように思考を沈めた。


デイジーと破談になったとはいえ、王専属騎士という立場が自由を許すわけではない。


むしろ今後は、王や国家にとって有益な人物と結ばれるべき存在として、より戦略的な縁談を強いられる立場になったのだ。


それは当然のことだった。彼は王に忠誠を誓った身。己の幸せよりも、王と国に資することを優先するのが使命であり、その役目を果たす覚悟もある。


――あるはずだった。


だが、どうしても消えてくれないものがある。


ふとした瞬間に浮かぶのは、あの冷たげな瞳、紫の髪、不愛想に見えながらも誰よりも正直で、まっすぐなあの横顔。


(……いけないな)


自分にはふさわしくない感情だとわかっている。けれど、それでも。


指先にはわずかな力が込められる。


使命と心。その狭間で揺れる思いを、彼は誰にも悟られぬよう胸の奥に押し込めた。


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