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17.おいかけっこ

「どういうことだ!!」


謁見の間に響くリアムの怒声に、呼び出されたエミリアは青ざめたまま立ち尽くしていた。声を荒げたとはいえ、リアムはエミリアを責めているわけではない。しかし、責任感の強い彼女にとってはその一言が胸に突き刺さり、まるで自分がエマの失踪に関与したかのような錯覚に陥る。


「リアム様、落ち着いてください。状況を正確に把握しなければ、カールソン嬢を見つける術も見失います」


隣で諭すように声をかけるオリビア。しかし、その声もわずかに震え、内心の不安を隠しきれていないのが誰の目にも明らかだった。


日中の宮殿内で、令嬢が堂々と攫われた――。それは国の警備体制の甘さ、管理意識の低さを露呈する一大事であった。何より、宮殿の中に手引きをした者がいる可能性が、事態を一層深刻にしていた。


「……なぜこんな事態に」


リアムは低く呟く。オリビアとの穏やかな茶会の後、部屋へ戻ったはずのエマが姿を消し、その報告を受けた時点で王は即座に関係者を緊急召集した。


エミリア、アイラ、当時警備に当たっていた騎士たち、そして王族直属の騎士団長ノア。緊張と焦燥感が部屋中に充満し、全員が険しい表情で沈黙を守る。


「なぜ外部の者が宮殿内に入れたのか。門番、報告を」


オリビアに促され、リアムはようやく冷静さを取り戻し、門番に視線を向けた。


本来であれば、こうした報告は騎士団長であるノアが取り仕切るはずだった。しかし、彼はその場にいながら、まるで別の世界にいるかのように沈黙を守り、鋭い眼差しで何かを考え込んでいる。


「わ、私が門番をしておりましたが、怪しい者などは一人も見かけませんでした……」


怯えた様子で答える門番の青年。声が震え、肩をすくめながら目を伏せる。


「それならば、なぜエマが消えたのか」リアムが低く問いかけると、その場にいた全員が沈痛な面持ちで視線を交わした。


一方、ノアは一人、思考を巡らせていた。一般人が通行証もなく王宮に入ることは不可能。だが、もし騎士の制服を身に纏い、正規の手続きを踏んでいるように装えばどうだろう。制服を偽造すること自体は困難だが、王族の力を使えば可能性はゼロではない。


(まさか……)


ノアの瞳に怒りの色が宿る。そのまま無言で門番へと歩み寄り、間合いを詰める。


「騎士を見かけたか?」


突然の問いに、門番は目を見開いた。


「え……?」


怯えた門番がさらに身を縮める。ノアの尋常ならざる威圧感に、場の空気が一気に張り詰めた。







デイジーはアーチーの腕を振りほどき、無言で部屋を出て行った。人形のような無表情のまま、まるで逃げるように。


その後ろ姿を不安げに見送るアーチーの様子を、エマは冷ややかに見つめ、皮肉気に鼻で笑った。


「何がおかしい……」


怒りを露わにするアーチー。しかし、その怒りはどこか虚ろで、必死に自分を誤魔化すようだった。


「自身の欲望に溺れ、国を敵に回し、挙句の果てには愛する娘にすら見放された男。そんな男に、オリビア妃が心を寄せるはずがないでしょう」


的確に本質を突くエマの言葉が、アーチーの胸に鋭く突き刺さる。


「黙れ!」


怒声と共に振り上げられた手が、エマの頬を打った。


「っ……う!」


衝撃に耐えながらも、エマは顔を逸らさずアーチーを睨み返す。その瞳に宿るのは、怯えでも屈辱でもなく、ただ純粋な軽蔑だけだった。


(この男は、壊れたのだ)


そう確信しながら、エマは心の中で呟いた。


「そうか、そうか、そうかそうか!君も女の子だったね?だから愛らしいデイジーや可憐なオリビアに嫉妬しているのだろう?」


アーチーは狂気を孕んだ瞳でエマの身体を舐め回すように見つめ、歪んだ笑みを浮かべた。その視線が皮膚にまとわりつくような感覚に、エマは身震いしそうになるのを必死に堪えた。


(あと少し……)


彼女の手首を縛っている縄は、素人同然の雑な結び方だった。デイジーやアーチーが慣れない手付きで縛ったせいか、力を込めればもう少しで外れる。だが、時間が足りない。


「大丈夫だよ、君もとても良いものを持っているじゃないか。きっとちゃんと愛してあげれば、愛らしい女の子になれるだろう」


アーチーの声は甘く囁くようでいて、背筋に冷たいものが這い上がるような不快さを孕んでいた。彼にとって“女”とは、支配し、飾り立て、自分の欲望を満たすための玩具に過ぎない。


「よかったね、やっと女の子になれるよ」


ニタリと嗤いながら、アーチーの手がエマの服に這い寄る。


その瞬間——


「……どんッ!」


勢いよく縄が解け、エマはアーチーの胸を突き飛ばす。虚を突かれたアーチーの身体がよろめき、エマはその隙に扉へと駆け出した。


(動けるうちに……!)


しかし、誘拐された際に嗅がされた薬の影響が色濃く残り、脚は思うように動かない。視界が揺らぎ、吐き気さえこみ上げてくる。


「おいかけっこかぁ、やっぱり女の子はかわいいなぁ」


背後から聞こえるアーチーの声は、下卑た獣そのものだった。エマの必死の逃走をまるで遊びの延長のように楽しんでいる。


「っく……」


力を振り絞り、エマは一室に飛び込み、内側から鍵を掛けた。


「これは困ったなぁ、鍵を掛けられたら開かないじゃないか」


アーチーは楽しげに鼻歌を口ずさみ、余裕そのものだった。おそらく屋敷のマスターキーを持っているのだろう。


(どうする……この体では逃げられない。でも、あいつの慰み者になるなんて絶対に嫌だ)


背筋を悪寒が走る。手元を探れば、懐から何かがこぼれ落ちた。


チャリ——


金色に輝く小さな笛。それはノアがかつてエマに手渡した、緊急時の合図用のものだった。正義感と忠誠心を持つ彼の顔が脳裏に浮かぶ。


(こんな距離で届くわけがない……けど、やるしかない)


覚悟を決め、エマは震える手で笛を吹いた。


鋭い音が部屋に鳴り響いた、その瞬間。


カチャリ、と鍵が開く音。


「逃がさないよ」


アーチーがゆっくりと部屋に入ってきた。エマは反射的に部屋の隅へ駆け寄ったが、アーチーの腕がその細い手首を捕らえ、無造作に床へ押し倒す。


「つかまえた……」


顔を近づけ、憎悪と欲望が入り混じった表情を浮かべるアーチー。エマの心臓が凍りつく。


「イザベラ様は……!」


エマの叫びにアーチーの動きが止まった。


「貴方を必ず裁くでしょう」


その言葉に、一瞬アーチーの顔が緩み、デイジーに似た幼さを宿す。しかし、すぐに下卑た笑顔が戻る。


「ふふ、君はわかってないなぁ。彼女は僕を裁かない。裁かれるのは君さ」


アーチーの言う通り、イザベラは夫を裁かない。裁かれるのはいつも彼の手駒にされた女性だけだ。


「全てを王の元に公にした時、お前は必ず裁きを受ける!」


「分からないかな?君は王の元には戻らない、僕の妻がそうさせない。——ぐおっ!!」


突然、アーチーの体が弾き飛ばされた。


鈍い衝撃音と共に、その大柄な体がまるで軽い人形のように宙を舞い、壁に叩きつけられる。衝撃で壁にひびが入り、砂埃が舞い上がった。


その光景は、エマにとって既視感のあるものだった。


以前、違法な取引を行っていたアジトに共に乗り込んだ時、屈強な男たちを次々と吹き飛ばしていった――あの時と同じ、鮮やかで無駄のない動き。細身の体からは到底想像できない破壊的な力だった。


「な、なぜここに――ぐぅっ!」


アーチーが狼狽しながら声を上げたが、その言葉すら途中で掻き消される。ノアの拳が容赦なく振り抜かれ、彼の顔面を正確に打ち据える。鼻血が飛び散り、アーチーの体が再び壁に叩きつけられる。


その拳は、決して止まることがなかった。


ノアの瞳は冷たい光を宿し、憎悪と殺意が剥き出しになっている。普段は柔らかく整えられた微笑を浮かべるその顔が、今は鬼神の如き形相で歪んでいた。


「貴様が、よくも……!」


呟きにも似た声が漏れるたび、拳が唸りを上げる。


エマは腰を抜かし、その場に崩れ落ちながら、呆然とその光景を見つめるしかできなかった。


まるで別人のように、ノアは冷酷な暴力を振るい続ける。殺気は空間そのものを震わせ、誰一人としてその場で彼を止めることができなかった。


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