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8.空を見上げたのは

ッガッシャ―ン!!


「っい、いかが致しましたか!?アーチー様!」


大きな物音を聞きつけた侍女が勢いよく扉を空ける。


濃い化粧をして誤魔化している様だがその程度では老いは隠せない。


苛立ちながら乱れた前髪を掻き上げると、笑みを浮かべ侍女の方へ振り返った。


「誤ってグラスを割ってしまったよ。すまないが片付けてもらえるか?」


足元には砕けたガラスが事故とは思えない程散らばっている。


「はい!喜んで!」


だが侍女は気にする様子もなく、むしろアーチーから頼まれ事をされたと嬉々としてグラスを片付け始めた。


デブリンが消えてからというもの、アーチーの周りには妙齢の女性がいなくなってしまった。


(リアムの仕業だ・・・俺に不都合な契約を結ばせて俺のビジネスを邪魔しやがった!)


アーチーが手広く広げていたビジネスは、以前訪れが3人の令嬢の手によって不正を見破られ、その甘汁を吸えなくなっている。


収入源を持たないイザベラが所有する資金を使用する他ないが、その出資先を妻にバレるわけにはいかない。


今まで散々女性へ貢物を送り、妻不在をいい事に他国にまで足を運んでは好みの女性を口説き落としていたが、今はその資金がない。


更にデブリンの存在を認知したイザベラが侍女の採用にまで目を光らせ始め、アーチーは手も足も出ない状況だ。


「あ、あの。アーチー様!お怪我は・・・?」


グラスを片付けた侍女が物欲しそうな目でアーチーを見る。


「ないよ。ありがとう。もう仕事のお戻り」


柔らかな笑みを浮かべるその目には冷たい光が宿る。


「は、はい!」


微笑みかけられた事に気分を良くした侍女が浮足立ちながら部屋を後にした。


「・・・っくそ!!リアムのやつ!!」


再びあの侍女が現れては困るため、ソファに置いてあったクッションを壁に投げつける。


幼少期からその美貌を買われ、女性に不自由した事がないアーチーにとって今は地獄でしかない。


女遊びの激しいアーチーは、元々結婚などする気はなく、イザベラからの一方的にアプローチに逆らえず婿養子となったのだ。


そこに愛はなく、イザベラの持つ権力と金、そして自らの美貌を武器に女遊びを続けていた。


「お前がその気なら・・・こちらも牙を剥こうじゃないか・・・」


自身を追い詰めた相手がまさか3人の令嬢である事も知らず、リアムへの憎悪を燃やし始める。


若き王を追いやり、そして、自らの欲しい物を手にするために、、


怪しい光を目に宿したアーチーは秘かに企み始めた。





春の爽やかな風が吹き抜け、名の知れない花々が咲き誇る。


どこまでも続く草原には建物も人もなく、贅の限りを尽くしていた人間が好む場所とは思えなかった。


「それは何という花でしょうか?」


先ほどから地面に咲く小さな花を凝視しているデイジーにソフィアが話し掛ける。


マリアーノ家が持つ保有地には、煌びやかな宮殿やサロン、舞踏会用の会場などがある。


だが、王族の権限で与えられた土地は広く、全ての土地が開発されている訳ではない。


その一つが今いる草原で、まだ人の手が加わらないこの土地にデイジーが赴きたいと言ってきたのだ。


「・・・わからない。でも、小さくて可愛いの」


「・・・そう、ですか・・・」


(意味があるのかしら)


デイジーの幸せ探しを始めてからというもの、まともな教育が出来ていない。


この前は城下町で可愛い物探し、その前は子供が読む絵本を買いあさり一番可愛い本を見つけると一日中付き合わされた。


デイジーの幸せを見つけ、それを目標もしくは餌に令嬢教育を進めようと考えていたソフィアにとって、この数週間が徒労に感じる。


中々その場から動こうとしないデイジーに呆れ、ソフィアもその場に腰を下ろす。


しっかりと地面にハンカチを置き、腰を落ち着けるソフィアと違い、デイジーは何も敷かずに地面に座り込んでいる。


そんな行動すら咎めることが出来ない状況に苛立ちながら、持って来たティーセットで紅茶を入れ、気を落ち着かせる様に自分に言い聞かせた。


「・・・花でしたら、マリアーノ邸にもございます」


一人でティータイムを終え、それでも動こうとしないデイジーに思わず言葉が漏れる。


失態だとは思ったが、デイジーの不可解な行動に納得がいかなかったのだ。


「・・・・うん。知ってる。あれはお母さまが好きなお花・・・綺麗で、沢山手入れされていて、自慢のお花・・・・でもディはこっちの方が好きなの」


職人が手間暇かけて咲き誇らせた薔薇よりも、人の手に掛からず野ざらしの中咲く花を愛おしむ令嬢は珍しい。


(何か理由があるのかしら)


ここに来て脳裏に希望の光がチラつく。


「どうして、こちらの花の方が好みなのですか?」


デイジーの幸せ探しを終え、早急に令嬢として一人前に育てたいソフィアが食い気味にデイジーへ尋ねた。


珍しい品が好きならばそれを収集しやすい立場になればいい。


自然を愛しているのならば、それを保護できる権利を持てばいい。


どちらにしろデイジーが完璧な令嬢となる事で手に入るのだ。どんな答えが返ってきても全ては『完璧な令嬢』になる必要性を訴えるつもりでソフィアは耳を傾けた。


「そのままだから」


「はい?そのまま、とは?」


小さな花から目を逸らさず、ポツリと答える。


具体的な回答を欲しがるソフィアは自身の焦燥を隠し、その続きを促した。


「この花はそのままなの。他の何かにならない。誰かが花を成長させる事も見た目を良くするために葉を切る事もないの」


「は、はぁ」


つまり着飾る事も自身を偽る事もなく自然体で生きている花を好きだと、そう言いたいのだ。


それは今のデイジーを変え、完璧な令嬢に育て上げるには邪魔な考えだ。


(ただ自然体で生きたいと・・・やはり、子供)


抱いていた希望を打ち砕かれ、疲労がどっと増したソフィアが肩を落とす。


デイジーの余りにも幼稚な考えはソフィアの限界を超えていく。


柔らかい風に靡く手入れの行き届いた桃色の髪をただぼぉっと見つめながら、ソフィアは心に諦めの感情が広がっていくのを感じていた。


「あなたは、どんな子だったの?」


「どんな・・・子?」


やっと野花から視線を上げたデイジーが老婆とも言えるソフィアに不思議な質問を投げかける。


(今更、そんな事・・・)


厳格な父と母に育てられ、デイジーとは真逆の生活を送っていた幼少期。


楽しい事や悲しい事も全て胸の内に秘め、ただ両親のため世間体のためにと歯を食いしばって生きてきた思い出が思い返される。


幼い頃からソフィアは優秀で、他の者の手を煩わせる行動はしなかった。


「私は、大人しい子でした」


「ふーん。大人しく何をしていたの?」


刺繍を習い、詩を読み、家のために経済を学び、社交界に出ては立ち居振る舞いを鍛え上げ、それから・・・・


「空を見てました・・・」


子供でありながら遊ぶ事を許されず、時間に追われ、失敗をすれば自身を責め、いつも自由な時がなかったあの頃。


ただ少しだけ、本当に時々空いた時間が出来た。


外にも行けず、遊び道具も持ち合わせないソフィアは、薄い雲が流れる青い大空をただ見詰めていた。


その時だけは、自分が解放された気がしたのだ。


「今は見ないの?」


「今は・・・」


(そうかいつの間にか)


大人になり子供達が手を離れ、令嬢としても学ぶ必要のない完璧なソフィアには、幼少期とは違い自由な時間がたっぷりある。


だが、唯一自身を解放していた空を眺める時間はなくなっていた。


それは心が大人になったのか、自由な時間が増え自身が解放されたのか、それとも、求める物を見失ったのか、、、


「・・・デイジー様。聞いてください。どうか怒らずに聞いてください」


静かに話し始めるソフィアの視線は、どこまでも続く大空に釘付けだ。


ただ懐かしそうにそして、寂しい色をした瞳は決してデイジーには向けられない。


「何?」


そしてまた、デイジーの視線もその大空へと向けられている。


「デイジー様のお考えは素敵だと思います。誰しもがありのまま、自身を飾らず、そのまま愛されるのは大変幸せな事でしょう・・・ですが、デイジー様の生きる場所でそれは許されません」


自身を否定されたデイジーはいつもならば大暴れしているところだが、今日は珍しく静かに耳を傾けている。


「貴方は完璧な令嬢にならなくては・・・でもそれは、ご両親のためでも、ましてや屋敷にいる従者達のためでもない。貴方自身のためです。」


「私自身のため」


「貴方が自然を愛せるように、今は苦しくても貴方自身を愛してくれる人と出会い、そしてその人達も自分自身も守る力が必要なのです。貴方は偽りが嫌いでしょう。仮面の下に感情を隠し、笑みを浮かべながら唾を吐く人間など気味が悪いのでしょう。ですが、その者達に貴方の本当の心を傷つけられないように、そしていつか貴方を心から愛してくれる人間をその者達から守るためにも、今は力を付けなくてはなりません。貴方が野に咲く花を可愛いと言う心を、守り続けるために、どうか私に協力させてください」


ただ真っすぐ空を見つめる視線には、曇りがなく。


偽りのない言葉には飾り気も気高さもない。


何もない草原で流れる時間は穏やかで優しく、煌びやか宮殿よりも、整えられた庭園よりも満たされた空間となっていく。


「貴方は、もう空が嫌い?」


どれくらいの時間が流れたのか、暖かい風に冷たさが差し始めた頃、デイジーがポツリと口を開く。


「今は特に・・・でも、これから好きになれそうです」


いつまでも天に目を向け続けるソフィアの表情は柔らかく、まるで子供の様な無邪気な笑みを浮かべていた。


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