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7.幸せの定義

カールソン領での滞在期間は短かったが多忙な日々だった。


久しぶりの帰省だからといってエマを甘やかす事のない両親は、農作業や経営に関する雑務、食事の用意や洗濯など最大限までエマを使い回したのだ。


それは帰りの馬車が来るまで続き、疲労感たっぷりのエマを見た御者に怪訝な顔をされたが、それ以上に怪訝な表情をしたエマが目の前の男を睨みつけていた。


「いやぁ。王都の馬車は快適だね。ちょっと腰は痛いけど、座り心地はいいし何より広さが違うねぇ」


狐目をした男は鼻歌交じりに外の景色を楽しんでいる。


このくそ忙しい中、どうメルリダから外出許可を得たのかは不明だが、エマは父であるグレルと共に王都へと向かう事になった。


「帰りは馬車を拾ってくださいね」


「ええ!?王族が出してくれないのぉ?」


「牢でしたら提供して下さると思いますよ」


ケチ―っと唇を尖らせ不満を漏らすグレルは、数年前に王都で詐欺を働いている。


王族相手に宝石を騙して奪い、それを直ぐに課金して領地へと持ち帰ったのだ。


今までは王都には足を踏み入れず、何かあれば遣いを出していたのだが、今回はそうもいかないらしい。


現在、父が最も力を入れている事業『花街』に関わる商談があるそうで、本人自ら足を運びたいとの事だ。


「最近花街の存在が表に出始めてしまってね。国王様の耳にでも入れば潰されてしまう可能性もあるでしょう?だから、先手を打ってこちら側が顧客を管理する事にしたのさ。今は誰でも迎え入れている花街だけど、今後は信頼性の高いお客様の紹介でのみ受け入れようと思ってるんだ」


父の話によれば、大々的な売り込みをしていないにも関わらず、花街には毎日大勢の男達が詰め寄せるらしい。


娼婦達の色香に魅了された男達は口々にその素晴らしさを語り、更なる客を集める。


そしてそれは、良くも悪くも国中に『花街』という存在を知らせる事になったのだ。


「そんな大規模な顧客を管理出来るのですか?」


先日初めて足を踏み入れた花街は、大勢の男達が来訪していた。


そんな状況が毎日続く花街の顧客となれば、カールソン領の民を管理するどころではなくなってしまう。


「もちろん僕一人では無理だよ。各領地の領主達に協力を求めているのだけど、王都の管理者だけは中々首を縦に振ってくれなくってね」


「王都の管理者?それは国王様ではないのですか?」


「本来はそうだけど、今は王都に色んな人が押し寄せてるでしょう?管理に困った王宮がバートンという商人に依頼を掛けたんだ」


バートンは前国王の頃から王都で名をはせる腕利きの商人で、貴族としての称号はないものの、匹敵する程の人望と地位を持っているという。


「彼はリアム王が君臨する前から王都民の情報を管理している。最近では王都でたんまり稼いだ金で花街を訪れるお客様も多いらしいからね。彼の協力は必須なのだけど・・・・」


細い目を更に細め、深くため息を吐く。


繁忙期に領地を離れなくてはならない程の商談の様だが、雲行きは怪しいらしい。


「やはり個人の情報を提供するのは抵抗があるのですか?それとも情報を大金で買えとでも?」


バートンという人物は知らないが、今まで年月をかけて集めてきた情報を早々に公開するとは思えない。


ましてや王宮から依頼された仕事だ。田舎の領主などに提供する方がどうかしている。


エマの疑問にグレルはう~んっと首を捻り、細い指を顎に添えた。


エマは知っている。


この仕草をする時は、厄介事が起きる前兆だ。グレルの中で目的を達成する手順は既に決まっており、達成するために必要な材料を吟味する時の癖なのだ。


この癖を目撃した家族は巻き込まれまいと身を隠すのだが、今は馬車の中。この密室で逃げ場などない。


(嫌な予感がする)


暫くの沈黙の後、怪しげな笑みを浮かべたグレルが静かに告げる。


「実はエマタンにも協力してほしいんだ」


面倒な頼み事を。





泣き腫らした目はぷっくらと膨らんでしまい、赤みを帯びていた。


もう朝食の時間はとっくに過ぎているにも関わらず、ソフィアの現教え子であるデイジーはベットから出てこない。


毎日の飽きもせずに泣き、喚き、怒鳴り続ける少女の体力には驚き、呆れ、そして同情してしまう。


「・・・うう・・」


よく手入れの行き届いた爪には淡いピンク色のネイルが塗られている。


髪も肌も容姿に関する事であれば侍女達が完璧に整えてているのだが、それ以外の事となると誰一人デイジーに関わろうとする者はいない。


デイジーを起こすのはソフィアの役割ではないのだが、誰も彼女に近付こうとしないため仕方なく毎朝部屋を訪れているのだ。


「レディ、もう起きて下さい。朝は身支度を整え、完璧な姿で皆に挨拶するのは淑女の務めですよ」


デイジーの趣味であるピンク色のカーテンを開けると、太陽の光が部屋を照らし始める。


大人でも大きなベットの中に小さな女の子が一人。


お気に入りのぬいぐるみを顔に押し付け、自身を照らす光が目に入らないようにしていた。


「もう少し・・・」


「いけません。朝起きるのが遅くなれば、夜の就寝が遅れます。そうすればまた朝起きれなくなるでしょう」


空気を入れ替えるため窓を開けると、先程まで淀んでいた部屋に新鮮な空気が流れ込む。


手入れが行き届き、埃一つない部屋ではあるが、デイジーの陰鬱な空気のせいか淀んで感じるのだ。


「あなたはいつも理屈ばかりね。早起きをする事になんの意味があるの」


ソフィアに叱られ一晩泣き続けていたせいか、いつもより元気がない。


望まない陽光に不快感をあらわし、ぼさぼさの髪の毛を邪魔そうに掻き上げる。


いつもはソフィアの話に対し耳を傾けないデイジーだが、疲労と眠気のせいか静かに質問してきた。


「いつ、誰に見られても恥ずかしくない様、姿を整えるのは淑女の務めです」


きっちりと髪を結い上げ、皺ひとつないドレスを身に纏ったソフィアは正に完璧な淑女だ。


幼い頃から厳しく育てられ、『淑女とは何か』を言い聞かせられてきた彼女にとってデイジーの質問は考えるに値しない事だった。


「なんで?綺麗にしたら褒めてもらえるの?綺麗じゃなかったら叱られるの?どうして務めなんて果たさなくちゃいけないの?」


ただじっと抱えていたぬいぐるみに視線を落とし、ソフィアとは目を合わせようとしない。


ただ起床を遅らせるため戯言を吐いているのだと思ったソフィアは、教えられてきた完璧な答えをデイジーへ返す。


「貴方が幸せになるためです。立派な淑女になれば、周りから認められ、ご両親もお喜びになるでしょう」


周りがデイジーから離れるのは彼女の拙さゆえ。


貴族としての振る舞いさえ覚えれば社交界でもこの館でも彼女の事を周りは受け入れる。そうソフィアは思ったのだ。


「・・・らない・・・」


「はい?」


「いらないわよ!そんなの!!」


大声を上げたデイジーが持っていたぬいぐるみをソフィアへと投げつける。


先程まで大人しかったデイジーが再び暴走を始めたため、人を呼ぼうと扉へと駆け出した。


老体のソフィアでは激しいデイジーの暴力を抑えつけられないのだ。


「私じゃなくてもいいじゃない!!」


だが、背後から聞こえる悲痛の叫びがソフィアの足をぴたりと止めた。


「・・・っう、う・・・私じゃなくてもいいじゃない・・・そんなに完璧な物が欲しいならお人形さんでも買えばいいわ!!・・・ディは・・・もう・・・幸せじゃなくていい!!・・・っうわぁぁっぁぁぁん・・・」


侍女を呼び、いつも通り安定剤をデイジーに与える事が正しい選択なのだろう。


彼女の爆発する感情に目を向けず、自分の目的のために完璧な淑女へと育て上げるそれがソフィアの役割だ。


だが、デイジーの悲痛な叫びが、心からの苦しみの声がソフィアの体を動かなくする。


「人形など、、ご両親はあなたの幸せを願って、、」


「願わなくていいわ!その願いはっ・・・私を幸せにしないものっ・・う・・・う・・・」


肩を落とし、弱弱しい声で泣き続けるデイジーに優しい言葉を掛けるわけにはいかない。


彼女への甘やかしは人生の妨げ、その延長上に今の彼女がいる。それをソフィアは知っている。


ソフィアの教育の厳しさに泣き出し、悲痛を訴える者は少なくない。


令嬢が両親の愛情の不足、上流社会の厳しさ、そこに身を置くゆえの孤独などを訴えかけてくるのはいつも通りの事だ。


見慣れた光景。


聞き覚えがある悲痛な叫び。


だが、ソフィアには反論する言葉が見当たらない。


(幸せ)


令嬢である事の幸せは、社交界で確かな地位を築き、両親が認める婚約者と結ばれ子供を作る事。


夫となる人物を影ながら支え、また自身の子供にも貴族として恥じない生き方を教える。それが、令嬢の幸せであり役割だと教わってきた。


年に一度は家族で集まり、自分の子供やその孫、愛する人々に囲まれながら食事会を開く。


美しい音楽と美味しい食事。人々は笑みを絶やさず、親し気に、そして上品に戯れるのだ。


そこで流れる豊かな時間は正に『幸福』と呼べるだろう。


ソフィアは悲痛を訴える令嬢達に伝え続けた。


今の苦痛の先には万人が受ける事は出来ない幸福と豊かさがあるのだと。今は幸福を得るための試練なのだと。


だが、目の前の泣き崩れるデイジーに同じ言葉を伝え様とは思わなかった。


彼女の言う『幸せ』がこの教育の先にあるのか疑問に思えたからだ。


「では、貴方の言う『幸せ』とはなんでしょうか?」


一定の距離を保ちながら、ソフィアはデイジーに向き合う。


凛とした姿勢を崩さずに真っすぐ視線を向けるソフィアは威圧的だ。それを本人も自覚しているためか、視線はデイジーの背後へと逸らされている。


デイジーがそんな気遣いを知るわけもなく、流れ続ける涙をスカートで拭い続けながら吐き捨てた。


「そんなの分からないわよっ!」


(やはり、ただの阿呆)


何か彼女を知る情報が得られるのではと期待していたが、口にした言葉は感情的な叫びだけ。


落胆の色を隠さず大きなため息を吐くと、侍女を呼ぶために踵を返した。


(人よりも堪え性がなく、ただ嫌だと叫び続ける・・・これはもう赤子も同然・・・)


まともに会話も出来ない赤子を立派な令嬢に育て上げるなど不可能であり、この仕事は失敗する。イザベラの依頼を失敗した人間がどうなるのか、それを想像するだけでも苛立ちが募る。


デイジーとの出会いを恨みながら、荒々しく扉に手を掛けると、


「どうして皆『幸せ』を知っているの?なんで皆、同じ『幸せ』が好きなの!?」


叫び声に近い質問がその手を止める。


「令嬢の将来は一般人とは違います。家のため、そして家族のために貢献できてこそ『幸せ』を得られるのです」


「違うわ!だってディは『幸せ』を知っているもの!お母さまに『美しい』と褒められた時!・・っお父さまに『可愛い』と撫でられた時!・・・お、お母さまが好きな薔薇が咲いて・・・庭がバラの香りで包まれて、、、その庭をノアと一緒にお散歩した時・・・・心が温かくなったのよ・・・ディの『幸せ』は確かに感じられるものだけ、貴方の言う『幸せ』じゃ温かくならない・・・」

 

(彼女なりの『幸せ』の定義ですね。短絡的で目の前の事しか見られていない彼女にぴったりですが、そこを利用できれば)


デイジーの事を少しでも知れたソフィアに希望の光が見え始める。


まだ小さな光ではあるが、自身の身の安全のためにも手放すわけにはいかない。


「では、デイジー様の言う『幸せ』を探してみませんか?」


「え?」


デイジーの目線に合わせるため腰をかがめ、優しい声色で話し掛けた。


常に正しい姿勢を保ち、威圧的なオーラを放つソフィアが途端に柔和な貴婦人へと変化する。


(まずは彼女を理解し、信頼を得ない事には進まない)


デイジーが今までの令嬢達とは異なる人物であると痛いほど感じ取ったソフィアは、長年取り組んできた教育内容を変更する事にした。


成功しようと失敗になろうと、この仕事を最後だと決めた彼女は、目の前の我儘娘に全力で向き合おうと気合を入れ直したのだった。


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