3.帰省
眠気を誘う春の陽気。
冬の間はその身を隠していた花々も、ポツリ、ポツリとつぼみが開き始める。
その愛らしさに人々は歩みを止め、日常で荒んでしまった心を癒すのだ。
煌びやかな王宮にも、その愛らしい春の訪れが顔を出し始めており、日々の業務に殺伐とする人々の心を癒していく。
ただ、一人を除いては。
「令嬢達が王城に来て1年になる。そろそろ故郷も恋しかろうと一時的な帰郷を考えているのだが・・・」
「はい。良いと思います」
穏やかな気候の中、相変わらず書類の山に埋もれているリアム王が専属騎士のノアに声を掛けた。
先ほどから何度も声を掛けているのだが、不機嫌そうに眉間に皺を寄せた従者からは素っ気ない返事が返される。
(恐らく生誕祭からだな)
生誕祭を終えたリアムは、無事に民が冬を乗り越えられるようにと様々な策を打ち続けた。
奴隷の様な生活から解放された民達ではあるが、完全に貧困から救い出せた訳ではない。
働く事の出来ない高齢者や体に障害を抱える者、中には伴侶を失くし子供達を一人で養う女性などもいる。
それら全ての民を救済するのは一苦労で、町の状況把握から予算の立案、そして貴族達から出る抗議の対処など、生誕祭の後は毎年、息を吐く暇もないほど忙しいのだ。
だからであろう。リアム王が従者の異変に気が付いたのはここ数日の事だった。
常時張り付けた笑みを崩さないノアのあからさまに不機嫌な様子は珍しい。主に対して無礼な態度ではあるが、その希少な光景を面白いと捉えたリアム王はしばらく放置する事に決めたのだ。
従者の様子を時々観察しながらも淡々と書類の整理をしていると、見覚えのある文字に目が留まった。
「・・・あの女狐」
「どうなさいました?」
ポツリと吐いた悪態にノアが素早い反応を見せる。
主人の異変を瞬時に察し駆けつけるノアの優秀さに感心しながらも、目にした手紙への怒りが収まらない。
― 若き国王へ ―
長らく会えていないが、いかがお過ごしでしょうか。
日々、国のために尽くしているとはいえ、どうかご無理はなさらないで下さい。
さて、先日の我が愛娘と貴方の側室が起こした不祥事ですが、側室の方々に無償で奉公して頂く事で示談という運びになりました。
王の側室が我が愛娘に手を上げる粗暴な人間という真実は受け入れ難いのですが、私自身、『男』という生体を理解している所存です。
オリビア妃の様に物静かな女性では、至らない点もあるのでしょう。
多様多種な人間で溢れ返る王城を見ると、我が弟の事を思い出し懐かしくなりますね。
若き王は昼の職務も忙しいのですから、どうかお体には十分お気を付け下さいませ。
― イザベラ・マリアーノ ―
短い文ではあるが、リアム王の逆鱗に触れるには十分な要素を含んでいた。
「俺を前国王同様のクズだとでも言いたそうだな」
「さらっとデイジー様の件はこちらの責任にしてますね」
手紙一枚で人の神経を逆なで出来るイザベラの文才に呆れながらも、リアム王自身、イザベラ同様に『側室』という存在を良く思っていないのは事実だった。
オリビア妃の周囲を固めるため、各地から令嬢を招集させるまではよかった。だが、その令嬢達を長期にわたり滞在させるには理由が必要になる。
仕方なく『王との子をなし、領地間の絆を深める』という名目で彼女達を繋ぎとめたが、リアム王に『側室』は必要ない。
真実を知らない貴族達の間では『前国王同様に女たらし』だと噂され、その度に屈辱感を味わってきたのだ。
「・・・側室を、解放するか」
「!!?それは、どういう意味でしょうか?」
リアム王の一言にノアが激しい反応を見せる。
察しのいい従者ではあるが、険悪な顔つきで迫られるのは困る。
「落ち着け、ノア。俺は『側室』という立場から解放すると言っているのだ」
息が掛かる程の距離で詰めてくるノアの肩を押し返す。
ノアが以前より感情表現が豊かになったのはいい事なのだが、荒ぶる感情を抑制できない場面が目立つ。
「解放とは、どういう事でしょうか?」
息を整えノアが鋭い目つきはそのままに再度疑問を口にする。
「令嬢達はもともと『オリビアの後ろ盾』として集めた人間だ。選抜も進んだ今であれば、『側室』としてではなく、『王妃の協力者』として契約を結べばいい」
契約の内容は個々によって異なるだろうが、王妃の後ろ盾を貰えるとなれば首を横に振る者もいないだろう。
もちろん協力者になるのであれば、彼女達自身も王妃のために尽くして貰うつもりだ。
領地間の商流や上流階級の人脈、何よりも王家からの信頼を得る機会は誰しもが欲しいはずだと考えていたリアム王の脳裏に、ふと不愛想な紫髪がよぎる。
「有力候補はカールソン嬢なのだが、彼女の選択は読めないな。ノア、何か情報はないか?」
「・・・・・・」
「ノア?」
主人の問いかけに応答しない従者は、大きな瞳を見開き固まっている。
陶器の様な肌に人間離れした美しい容姿で静止するノアは、他人が見れば精巧に作られた人形だと勘違いされそうだ。
「・・・・ノ」
「特にありません」
長い沈黙に再び声を掛けたリアム王を遮り、食い気味の返答が返される。
そこには感情を見透かすことが出来ない、いつも通りの笑顔で笑うノアがいた。
(腰が痛い)
王都を出てから殆ど休みもなく馬車に揺られている。
寛容な若き王が帰省を許してくれたのは嬉しいのだが、与えられた時間が短すぎる事にエマは不満を抱いていた。
カールソン領へは馬車に揺られて丸一日掛かる。
王から与えられた外出期間を考えると、カールソン領に滞在できるのは3日間がいいところだ。
たったそれだけの滞在で再び馬車に押し込められ長旅に出ると思うと気持ちが沈んでいく。
馬を走らせれば移動時間は短縮されるのだが、王の側室が一人、馬を走らせて遠出するなど許可を与えられるはずもなく、渋々馬車に乗り込んだのだ。
「長旅、お疲れ様でございます。ではまた3日後にお迎えに上がります」
エマを乗せ、共に長い時間を過ごしてきた御者は、疲れた顔を見せる事もなく、礼儀正しい態度で儀礼通りの挨拶を交わした。
さすがに王都へ戻るとは思えないため、恐らく付近の町で宿を借りるのだろう。
カールソン領は広大な領地を保有しており、その大半は農地として使用されているが、旅人用に作られた町もちゃんとある。
残念ながらエマの暮らす街では、農地とそこで働く人々の家が建つだけの簡素な町だが、付近の町には宿屋や食堂、男性の欲を満たす娼館なども存在するのだ。
特に年々増加していく人口を問題視していたカールソン領では、娼館の利用を推奨しており、妻がいる身の男であっても娼館の利用は公認されている。
幸いな事に娼館の利用を『裏切り』だと糾弾する女性はおらず、むしろ有り余る欲を晴らしてくれるのは大助かりだと喜ぶ者が多い。
農地での仕事のみならず、子供の面倒に家の管理、それに加えて夫の相手などしていられないのだ。
(ちょうどこのくらいの時期だったな)
久しぶりに戻った故郷の様子を観察しながら、エマが王城へ招集された時の事を振り返る。
比較的暇になる冬を越すと、カールソン領は一気に忙しくなる。
作物の収穫に出荷、そして種植えとやるべき作業は多い。さらに領主ともなれば、出荷される作物の把握、そこから生み出される利益と損失、そして王家へ収める税の算出など仕事も増える。
毎年この時期になると、ひょろりとした父の体が一回り小さくなるのをエマは何度も目にしていた。
現在もカールソン領は繫忙期らしく、領民は出払っている様だ。
時々吹く暖かな風とそれに揺られる木々の音に癒されながら、懐かしい道を歩いていると、前方から春の陽気に相応しくない怒鳴り声が聞こえてきた。
「こんな忙しい時に娼館に行かせるな!この阿呆!!」
「ち、違うよ!メルリダ!遊びに行かせた訳じゃない!僕の後継者として、目で見て肌で感じる血の通った経営をしてほしいと思っての事だよ!?君だって実地調査が重要だと言っていたじゃないか?」
見覚えのある狐目の男が地面に膝を着き、悲痛な表情で目の前の女性に訴えかける様子が遠目に見えた。
必死な形相の男を前に、女は冷徹な光を瞳に灯し、片手に持っているフライパンを強く握りしめている。
「それに今はカールソン領全体が忙しくて、娼館を訪れる客が減っているらしいのだよ。このままでは、せっかく作った花街が衰退してしまうだろ?そこで僕達の子供が貢献できるのではっと思って・・・」
ッゴン!!
「貢献の仕方は他にもあるだろう!阿呆!」
見事なスイングを顔面に受けた男はゆっくりと地面に崩れ落ちていく。
悲鳴すら上げる余裕もなく気を失わせるとは、その技術力と経験値にエマは感心してしまう。
地面で白目をむく男の襟首を掴むと女はズルズルと引きずり家へと運んでいく。その途中、
「という事です。エマ」
ぴたりと足を止め、同じ紫色の瞳をエマへと向ける。
「馬鹿兄共を迎えに行きなさい」
王都からの長旅を終えたエマは、帰省して早々に母からお使いを頼まれるのだった。




