1.感情的な人たち
ソフィア・クレメントは今年で60を迎える。
本人は若き王が愛する『オリビア妃』を立派なレディにした時から、教育係の引退を考えるようになっていた。
しかし、やり切ったと思っていた仕事だったが、その功績を耳にした貴族達がソフィアの元を訪れては『娘の教育を頼む』と懇願するため辞めることが出来なかったのだ。
基本的に令嬢達は少々我儘に育っているため最初はソフィアに抗うのだが、両親から絶対的な権力を与えられた彼女は徹底して令嬢達を厳しく躾けた。
頭の下げ方や食事のマナー、姿勢や歩き方まで指示された令嬢達は涙を流しソフィアに抗議するが、ソフィアはその抗議の仕方、そして涙の流し方にすら躾を施してくる。
最終的には令嬢達が根負けし、早くソフィアから逃れたいと従順になるというのがいつもの流れだった。
「だから!私はお勉強なんてしたくないのよ!!」
ッガッシャァァァン!!
一間の休憩にと用意されたティーセットは、デイジーの手よって粉砕されてしまう。
手間をかけ蒸されていた茶葉は床に飛び散り、ケーキスタンドに飾られた美しいスイーツも地面に落ちてぐちゃぐちゃだ。
風が温かくなり始めた季節の昼下がり、ぽかぽかとした太陽の光に当てられ睡魔に襲われてしまいそうな陽気の中、マリアーノ邸は今でも冬の凍てつく寒さが収まらない。
「レディ。招かれたお茶会ではまず賛辞を述べる事が必須。礼も尽くさずスイーツに手を付けるなど問題外です」
床に散乱した残骸には目もくれず、ソフィアは上品に紅茶を口にする。
誰もが目を奪われてしまう美しい所作をデイジーは憎しみの籠った視線で睨みつけた。
マリアーノ邸は厄介事が絶えない勤務先であると有名だ。
そのためか、働く人間はここしか働き口がない貧しい家の出身か、どこの家にも雇ってもらえない無能の役立たずばかり。問題児のデイジーでさえ頭が痛い存在であるのだが、屋敷全体に問題があると把握したソフィアは頭を抱えたくなる。
「お茶ぐらい勝手にさせてよ!!あなたなんてだいっきらい!!」
血の気が多い性質なのか、少し注意しただけでヒステリックな反応を示すデイジーに対し、ソフィアは決して甘い顔を見せない。
(全く。これが王族?平民のオリビア妃の方が断然優秀ではないの)
平民であるオリビア妃を教育した事でその名を更に有名にしたソフィアには、彼女の教えを求める人物が後を絶たない。現在抱えている令嬢達だけで手一杯な状態なのだ。
しかし、これはイザベラから直接依頼された案件。彼女の前で首を横に振る者など社交界には存在しない。
「勝手ではこの社交界を渡ってはいけません。貴方が王族である限り、品位を保ち、感情は心の内に隠してください。貴方の立場を守るためにも、今は私の教育が必要なのです」
「っうるさい!!お母さまに雇われただけのおばさんは引っ込んでてよ!!」
ッバン!!
乱暴に扉を閉めるデイジーに付いて行く者は誰もいない。
残された侍女達は困り顔でデイジーの粗相を片付け、ソフィアにねぎらいの言葉を掛けていく。
(それが・・・貴方達の仕事?)
苦い顔をしながらソフィアは思う。
王族に生まれ、母親の十分な愛情を得られないデイジー。
王族でありながら、必要な教育を受けていない彼女は、『女性』であるからこそ、甘やかされ、そして見放されてきたのだろう。そう、ソフィアは思うのだ。
(噂通りの問題児ではあるけれど、実際会ってみないと分からないものね)
最初に出会った彼女は天使の様な笑みを浮かべ、懐っこい態度で屋敷へ迎え入れてくれた。
家には依頼主であるイザベラも、彼女の兄弟も、そして殆ど無職である父親すらなかった。
彼女が案内してくれたのは一色しか持たない庭園、質素で機能的な応接間、最後に異常なまでに色鮮やかな自身の部屋だった。
彼女は言った。
「お母さまはこれが好きなの。ディには分からないけど。でも、お母さまは凄い方だから。きっと正解なのよ」
自身の趣味嗜好は自室の中に収め、いつ戻るかも分からない母の色に染められた屋敷に住まうデイジーは、噂に聞く様な『我儘姫』には見えなかった。
表面上の賛辞を述べられ、愛情が不足しているにも関わらず誰にも気づいてもらえない。
そんな悲しい存在にソフィアには見えたのだ。
以前は貧困街と呼ばれ人々から避けられていた場所も、今では閑静な住宅街に変わっていた。
(大胆な政策をしたものだ)
元の街並みを知るエマは、真新しい建物が並ぶ光景を眺め感心していた。
王都へと押し寄せる民を受け入れるために作られた建物は、シンプルな外装のこじんまりとした家が多い。
決して贅沢とは言えない住まいであるが、これらを無償で提供する国王の懐の深さに民は感謝している事だろう。
しかし、国の財を平民へと惜しげもなく使用する行動は貴族達からの受けが悪い。前国王と正反対の政策を打つ若き王に反感を持つ者も多いのは確かだ。
「最近物騒な話が絶えませんわね」
テーブルに広げられた書類に目を通しながら、ため息交じりにエミリアが雑談を始める。
途方もない仕事量を前に一息つきたくなったのだろう。
夫であるアーチーの金の出所を断てと命じられた3人は、イザベラが手配した民家に集められていた。
王族が所有しているとは思えないほど質素な作りで、中には大きなテーブルが一つに人数分の椅子が用意されている。部屋の隅にある小さなキッチンには食器などは見当たらず、誰かが生活していたは思えない。
恐らくアーチーの目を欺くためにイザベラがわざわざ借りた民家なのだろう。
「王都はいつでも物騒では?」
エミリア同様に疲労の色が浮かぶアイラは、片手で自身の黒髪をぐしゃりと掴み、目の前の書類を睨みつけている。
彼女の両脇には同じような書類が山積みになっており、足元には箱に詰められ未だに開封されていない書類達が眠っていた。
莫大な財を持つマリアーノの商業記録からアーチーの不正を見つけ出す。その地道な作業は3人の気力を確実に削っていった。
「王都ではなく貴族間の事ですわ。最近、貴族の間では国王様に対する反発が強くなっているそうですのよ。元々評判の良い方ではありませんが、前回の王族会議でさらに反感を買ってしまったとか・・・」
「エミリアさんの耳には王族会議の内容まで入ってくるのですね」
社交に疎いエマは、エミリアの情報網の広さに思わず感心してしまう。
「貴族達の間ではこの話で持ちきりですのよ?なぜお二人は知りませんの?」
反対に疑問だとエミリアが眉を顰める。エマ達の社交性の低さは以前から感じ取っていた様だが、ここまで無知であると呆れてしまうらしい。
「会議の内容は知りませんが、エミリアさんが王城の門番にしつこく話し掛けている事なら知っていますよ」
「っだぁぁぁっぁ!!なんでそんな事!っち、違いますのよ!ただ、ずっと外にいるなんて大変だなって!!」
アイラの思わぬ情報にエミリアが激しい反応を示す。
国王やノアを避けていたエミリアだが、ちゃっかり他の異性に目を付けていたらしい。
「外にいるのは彼の仕事ですよ。それに毎度『道に迷ってしまいましたわ』って話し掛けるは止めた方がいいのでは?道も覚えられない阿呆だと思われますよ?」
「っな!なんでそんな事までー!!」
本当にどこから仕入れてくる情報なのか、エミリアの恋模様をアイラは詳細に把握しているようだった。
「落ち着いてください。それより、王族会議ではどの様な話し合いがされたのです?」
興奮するエミリアが書類の山を倒さない様に体を抑え、どうどうっと背中を優しく撫でる。
不器用なエミリアのアプローチも気になるが、今は会議の内容の方が重要だ。
「・・・ふぅ。国王様が一部の貴族からその権限を剥奪なさったそうです。元々その方たちは前国王との繋がりが深く、立場以上の金や権力を持っていたそうですの。ただ、目立った動きもなかったので咎める者もいませんでしたが、最近になって人身売買に手を染め始めたらしく」
「奴隷。ですか」
「はい。恐らくは」
暗い表情をしたエミリアの話を聞きながら、エマが尋ねる。
以前は当たり前の様に平民は貴族達から奴隷扱いされていたが、リアム王が王へと君臨した後は奴隷を持つことも人を商品として売買することも禁止されている。
貧しい家の子供を安価で買い取り、市場で高額な商品へと転売する奴隷商は手っ取り早く稼ぐ手段だ。業者によっては調達費を浮かせるために人攫いをする者までいるらしい。
「前国王から受けていた恩恵も底を尽きたのでしょうね。王に取り入る以外何も出来ない人達でしょうし」
どうやらアイラもデイジータイプの王族が嫌いらしく、嫌味を含めた推測を口にする。
「国王様の判断は正しいと思いますわ。ただ、その噂に尾びれが付いて『貴族嫌いの国王が貴族の権利を剥奪し始めた』と口にする者がいるらしく。王城を襲撃するなどという物騒な話も聞きますのよ」
「誰ですかその短絡的思考の阿呆は」
軍を所持する権力者ならばともかく、王城など容易に襲撃できるはずもない。襲撃どころか門をくぐる事さえ困難だと思われるが、正義感の強い人間ほど突発的で短絡的な思考になりやすい。
ただ、そういう人間は感情に左右されやすいため、リアム王がもう少し貴族に接する態度を和らげるか、オリビア妃を社交の場に出させるかすれば懐柔出来るだろうエマは思った。
ッカラン
「お疲れ様。作業は順調かな?」
社交界の噂話をエミリアから聞かされていると、扉に付けられたベルが鳴り、平民を装ったルイスが顔をのぞかせた。
イザベラからの指名と王城側からの同意を受け、ルイスが護衛に選抜されたのだ。ノアも最後まで粘っていたが、主であるリアム王からも反対され渋々断念したらしい。
周囲の見回りをすると出ていったルイスの手には、小麦色の紙袋が抱えられている。どうやら商店街の方にも『見回り』に行った様だ。
「順調です。遠方まで見回りご苦労様です。町の様子は如何でしたか?」
護衛の役割を果たすつもりはあるのか疑問なルイスに対し、エマが嫌味交じりの質問をする。
「賑わっていましたよ。相変わらずね」
だが気にした様子もないルイスは、テーブルの空いたスペースに紙袋を置き、何やらゴソゴソと作業を始めた。
取り出したのは3枚のナプキン。その上に何やら芳ばしい香りを放つ物体を置いていく。
「さて、そろそろ休憩にしたらどうだい?」
ルイスは同席するつもりがないらしく、令嬢の分だけ並べた品を笑顔で差し出した。
「こ、これは、あの有名なミッチェルゼのクロワッサンでは!?主人が頑固者で有名なお店で貴族どころか王族ですら容易には手に入らないと噂の・・・」
ルイスが差し入れた品は相当な有名店のものらしく、終わりの見えない作業に暗い目をしていたエミリアが生気を取り戻し始める。
「そ、そんなにすごいのですか?」
同様に死に顔をしていたアイラもエミリアの興奮を目にして影響され始めた。
「知り合いがそこで働いていてね。特別に分けてもらったよ」
元々は王専属騎士という立場にいたルイスが王都のパン屋に知り合いがいるなどと俄かに信じがたい。
だが『あの』イザベラでさえ信頼を寄せる様な人物だ。ノア同様に人の心を惹きつける能力が長けているのだろう。
「僕は外の様子を見ているから、ゆっくり味わってね」
そう言い残すと再び扉のベルを鳴らし、出て行ってしまった。
(随分慣れているな)
以前目にした堅苦しい礼服を脱ぎ、平民同様の服を身に纏ったルイスは町の人間達に大変馴染んでいる様子だった。
エミリアの話によるとルイスは前国王の王専属騎士であったが、その立場を自ら放棄したと言う。
忠誠心を最も重要視するロックウェル家では、追放はされなかったものの、ルイスの存在は無きものとして扱われているらしい。
(平民として王都で暮らしているのか?)
ルイスの現状に関して思考を巡らせながらもも差し入れられたパンを口にする。すると、
「んぐぁ!こ、これは?」
その衝撃にエマから令嬢らしからぬ声が漏れる。
「これが噂のミッチェルゼ・・・中毒性がありますわ」
「なんですか!これは!!なんですか!?」
それはエミリア達も同様で、パンを口に入れる度にその魅力に取り憑かれていく。
財産や立場などなくとも令嬢達の心を鷲掴みにするルイスは、やはり人たらしなの才があるのだろうとエマは深く納得した。




