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27.名を呼ぶ理由

「え!?じゃあ、オリビア妃を襲った『粗暴な男』ってリアム王だったのですか?」


会場を抜け厩にいるレタスンに餌やりをしていると、厩の管理者であるマシューという若い調教師に出くわした。


度々レタスンの様子を見に行っていたエマとは雑談仲間で、馬の事だけではなく王城での出来事などの世間話もする仲だった。


マシューは王城で働く人間にしては地味な容姿をしており、ノアの様な華やかさはない。


ここ最近、刺激的な生活を強いられていたエマにとってはその存在が有難く、レタスンの様子を見に行くついでに彼との会話を楽しんでいた。


「『粗暴』と言いましても意図的ではありませんでしたし。思いっ切り振りかぶってはいましたが・・・」


そう話しながらレタスンにブラシをかける手つきは慣れたもので、レタスンも目を細めながら時折愛おしそうにマシューへ頬ずりをしている。


以前は暴れ馬として厄介者扱いされていたレタスンだったが、調教薬を用いる事でかなり従順になった様だ。


特に顔を合わせる頻度の高いマシューがお気に入りらしく、エマですら嫉妬してしまう程に懐いている様子が窺えた。


「ただ、ご令嬢方が王と王妃の出会いについて話されるたび違和感は感じていました」


マシューは元々、騎士として王城に勤めていたのだが、彼の温和な性格と仕事内容が合っておらず、自ら厩への異動を申し出たと言う。


騎士時代に当時王子であったリアム王に駆り出されたマシューは、偶然にもリアム王とオリビア妃の出会いの場に居合わせていた。だが賢明な彼は、物語の事実をあえて口にする事はなく、噂として聞き流していたらしい。


(だからオリビア妃は笑っていたのか)


令嬢達の間で語り継がれる夢物語の真実がまさか王子様の暴行事件から始まるとは想像もつかなかったエマは、先程話をしていたオリビア妃の顔を思い浮かべる。


夫の名誉のためにも話を修正する事はなかったが、彼女にとっては笑いごとで済む様な話になっているらしい。


「リアム王の財布を盗むなど想像するだけで背筋が凍りますが、以前の王都は荒れていましたからね。罰を受ける可能性があっても犯罪に走らざるを得ない人間はそこら中にいましたし」


オリビア妃が庇ったスリの少年は、相手が未来の国王などとは思いもしなかっただろう。


煌びやかな通りの角を一つ曲がれば、光の当たらない闇の空間が存在する王都は、正に天国と地獄。


商売のために何度か父親と足を踏み入れていたが、その度にあからさまに目に映る貧富の差が薄気味悪く思えた。


「エマ様も王都へいらしていたのですか。でも、あの頃の王都は貴方の目を引く物などないように思えますが」


マシューの言う通り、以前の王都では貴族達が喜ぶ高級品しか置いておらず、宝石だとか流行の服などに興味のないエマには用のない場所だった。


「表通りで物を買う事はありませんでしたが、王都やその周辺には小規模な畑を所有する方々がいましたので、試作品の作物などを提供して実験に協力してもらいました」


「実験、ですか?」


「はい。カールソン領で育つ作物が他の土地でも栽培できるかを試したのです」


もちろんその環境に応じて育て方を変える必要はあったが、もし栽培が可能となれば作物の種とそれを育てる技術力を売ることが出来る。


『強欲な狐』こと実の父が発案した方法で、『作物よりも軽量で流通がさせやすい』と一時期力を入れていた商売だ。


ただ父が犯罪まがいの行為に及んだのをきっかけに王都からは随分足が遠のいていた。


犯罪者の娘として投獄されるのを恐れていたのもあるが、その頃から王都が混乱し始めたのを覚えている。


若き王子が愚王と呼ばれる父へ反旗を翻している間、あの煌びやかな王都からは血生臭い噂しか耳に入らなくなったのだ。


「エマ様はいつも面白い発想をされますね。羨ましいです。僕なんて馬の世話しか出来ないから。毎日同じことの繰り返しで・・・」


レタスンのブラッシングを終えたマシューが額に浮いた汗を袖で拭った。


満足そうに鼻を鳴らすレタスンを見つめるその瞳は十分満たされている様に見て取れる。


「マシュー様の調教術は素晴らしいです。調教薬があるとはいえ、レタスンをここまで従順に出来るのは一種の才能かと思います。出来る事ならカールソン領にいらしてその技術を・・・」


「彼には王都での仕事があります。貴方にも、ね」


マシューの小さな肩に手を置きながら話に熱を籠らせていると、苛立ちのこもった声がずんずんと近づいてきた。


その声の主は強引にエマの手を引くとマシューを一瞥し指示を出す。


「もうすぐ国王様が戻ります。貴方は馬の誘導をお願いします」


「は、はい!!」


王の専属騎士でありマシューの上司とも呼べる立場のノアから直接命令を下されたマシューは、その責任感に瞳を輝かせながら一目散に厩を出ていく。


(多分、彼の天職だな)


先ほど自身の仕事を卑下していたが、やはりただの社交辞令だった様だ。


王家専属の調教師とはいえ休暇は貰っているはずなのだが、マシューだけは必ず厩にいる事がエマには不思議だった。


他の者達が交代で厩の番や世話をしている中、馬の世話に情熱を燃やす彼だけは年中無休で活動しているらしい。


マシューの情熱に感嘆しながらも腕を掴んで離さない騎士の存在をない物には出来ないとエマは無理やり笑みを浮かべる。


「申し訳ありません。騎士様のお手を煩わせたくはなかったのですが、すぐに会場に戻りますね」


張り付けた笑みを浮かべ、その場をやり過ごそうとするが、ノアの拘束が解ける気配はない。


管理が行き届いているとはいえやはり厩は汚れが目立つ。そんな中、ノアは白い礼服を身に着けており、それが汚れないかとエマは心配になった。


「あの・・・」


「彼の事は名で呼ぶのですね」


「へ?」


眉を寄せ真っすぐに見つめてくるノアは悲しい表情をしている。


自分自身もそうだが最近の彼は変だとエマは思う。時折見せるむき出しの感情にも戸惑ったが、彼の瞳に籠る憂いや熱がエマの心を強く揺さぶるのだ。


「か、彼は身分も低いですし、えっと、それに、レタスンの世話もしてくれているので・・・」


親しみやすいマシューの顔を思い浮かべながら、言い訳を並べる自身の行動もやはり変だと感じていた。だが、なぜかノアの悲しい瞳を見ると、エマの心は罪悪感に苛まれてしまう。


「私は貴方が凍死するところを助けました」


「う・・・」


痛いところを付かれたとエマがノアから目を逸らす。


「アーチーのアジトも潰しましたし、イザベラ様の屋敷にも・・・」


だが逃れる事を許さないノアが腕を掴みながら一歩、また一歩と距離を詰める。物理的に壁に追いやられると同時に精神的にも圧迫を受けるエマの表情が苦しそうに変化していく。


「わ、分かりました!分かりましたから、あの、でも他の令嬢の前ではさすがに・・・」


どこまでも追い詰めてくるノアの胸を押し、どうにか距離を保とうとする。


なぜ自分がノアの名を呼ばないといけないのか、納得のいく理由は見つからないが、この執拗な騎士が諦めるとは思えなかった。


「では私の前だけ『ノア』とお呼びください」


秘密裏に交わされた約束は、以前ノアが企てた『令嬢達の防波堤』の役割は果たせない。むしろ、彼の厄介な婚約者の逆鱗に触れるであろう、何の利益も生まない行為。


二人きりの時だけ親密な名を口にするその関係を何と呼ぶのか、エマは追及しなかった。


「ノ、ノア様・・・」


「ノアです」


「っ!?ノ、ノア・・・」


意を決して口にしたその名に目の前の瞳が熱を帯びるのを感じる。掴まれ続けている腕には力がこもり、彼の体温が服を越して伝わってくるのだ。


「もう一度、お願いします」


ノアが一歩、エマへと距離を詰める。腕を掴んでいた手はいつの間にか腰へと移り、優しく腰を支えてくれる。


「ノア・・・」


「もう一度・・・」


体を密着させたノアから甘い香りが漂う。最近は貴族達の間では花から抽出される『香水』が流行っていると聞いていたが、恐らくそれだろう。


淑女の嗜みだと言ってエミリアからプレゼントされたのだが、調教薬のトラウマでまだ付けられていない。


発せられるバラの香りに当てられたのか、それとも美しい人形の様だったノアが熱を帯びた瞳を向けてくるせいか、エマの頭はクラクラと眩暈を起こし始める。


「・・・ノ・・ア」


吐息が掛かりそうなほど近い距離で、エマは彼の求める限り名を呼び続けた。そして、


「ッブリッヒヒィィィン!!」


ッズッドッオン!!


目の前にいたノアは一瞬で吹き飛び、気が付けば壁に叩きつけられていた。


「っ!!・・・こ、この・・・」


犯人と思われるレタスンは鼻息荒く好戦的な態度でノアを見下ろしており、柵の中に入れられているにも関わらず勝気満々だ。


「丁度いいですね。私は狩りに行けなかったので、これを王への献上品として差し出しましょう」


青筋を立てながら腰の剣に手を掛けるノアの姿は藁や土にまみれている。


『騎士様』ともてはやされ、いつも涼しい顔をしている彼からは想像もつかない姿に笑いを堪えながらも愛馬を守るべくエマが躍り出た。


「お待ちください!レタスンに悪意はありません!」


「悪意以外にないでしょう!?」


体に付いた藁を叩き落としながらエマに苦い顔を向ける。


確かにタイミングといい蹴り飛ばした対象と言い意図がある様に思える行動だが、レタスンはただの馬だ。


悪意と呼べるものはない。強いて言うのならば野生の本能。そう、つまりは、


「母性本能です!レタスンは私を娘の様に思っているのでしょう。だからこそ娘に襲い掛かる敵を・・・」


必死でレタスンを救済しようと言い訳を並べていたが、その方向性がおかしい事にエマが気付き始める。


まだ藁を十分に払えていないノアがその作業を中断し、腕を組みながら見覚えのある呆れ顔を見せつけてくる。


「なるほど、私は敵、ですか」


「あ、いや、敵っといいますか・・・えっと・・・」


しどろもどろに言葉を発するエマへ腕を組んだ状態のノアが詰め寄る。


再び詰め寄られたエマだが先ほどとは違い、そこにはクラクラする様な甘さはない。


「敵ではなく?なんでしょうか?」


じりじりと距離を詰めるノアの表情には怒気が含まれ始め、先程素晴らしい蹴りを繰り広げたレタスンはマシューが用意したのであろう餌箱に顔を突っ込み食事中だ。


どうやら気分屋さんらしい。


守るべき存在にすら見放されたエマは、怒気を帯びながらも近寄ってくるノアを見て、っふと先程の場面が頭をよぎる。



『「ノア・・・」』


『「もう一度・・・」』


『「・・・ノ・・ア」』



「っだぁぁっぁぁ!!もういい加減にして下さい!この!エロおやじ!!!」


そう叫ぶと力の限りノアへ体当たりをしそのまま厩の外へと駆け出していく。


余りの唐突な叫びにレタスンが餌箱から顔を上げるが、そこにはエマの姿はなかった。


「・・・エロ、・・・おやじ?」


残されたのは未だに藁まみれのノア一人。


よろよろと後退して行くと先程蹴り飛ばされた壁へと背中が当たる。


その壁に寄り掛かりながら呆然と腰を落とした。


口を開け瞠目する姿は幼く可愛らしいのだが、今はそれを称賛する令嬢もいない。


いるのは先ほど自身を蹴り飛ばした憎たらしい馬だけで、その馬も無意味に上唇を見せて挑発してくる始末だ。


「お前、本当に馬だよな?」


度々豊かな感情表現をするレタスンへ疑問を投げかけるも、彼からは機嫌のよさそうな鼻息しか返ってはこなかった。


お読みいただきありがとうございます!

第三章はこれで終わりです。


そろそろ完結かな。

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