21.狐男
女性は淑女として男性は紳士としての振る舞いを求められる社交界では、人々は常に笑みを絶やさず、上品な立ち居振る舞いを身に着けている。
高貴な世界で生き残るために必要な条件は、金、地位、人脈、そして品。
どれが欠けても侮蔑される世界では皆、感情を隠すための仮面を持っている。
だがそんな社交界でも、唯一許される人間もいる。
それが『王族』だ。
貴族達が行きかう表通りの中心で、デイジーはヒステリックな叫び声を上げる。
「突然出てきて何よ!?私を転ばすなんて貴方達死刑よ!!」
短絡的な思考を垂れ流しにする娘に対し、目の前の人物はただ口を閉ざしていた。
一人は初老の男でにこやかな狐顔をしている。
同じ釣り目のイザベラと異り、柔和な笑顔を絶やさない男はどことなく頼りない。
もう一人は小柄な人物で、ローブから顔を出さないため人相は不明だが先ほどの声を聞くところ女性であることが窺えた。
この場をどう治めようかとノアが周りを観察をしていたところ、
「大変申し訳ございませんお嬢様。お怪我はございませんか?」
動き出したのは狐の男。
貴族にも劣らぬ上品な振る舞いでデイジーの足元へと膝を着く。それに倣いローブを被った女も地面にひれ伏した。
突然人を吹き飛ばす無礼者とばかりに激昂していたデイジーも深々と首を垂れる姿に一瞬たじろぐ。
「あ、謝って済むと思うの?貴方は王族を突き飛ばし怪我を負わせたのよ?平民の首一つで治まると思わないで頂戴」
だが、完全に怒りを抑える事は出来ない。
デイジーの言う怪我とは転倒した際に付いた掠り傷を指しているのだが、それと人の命を天秤にかける程、自身の命は尊いと強固な姿勢を崩さない。
「いいかげんにしろデイジー。意図的ではないし謝罪もしている。むやみに民の命を奪うな」
見かねたリアムが彼女の対応を指摘するも、頭に血が上っているデイジーは誰にも留められない。
「なによ!!やっぱり私より修道女がいいんでしょ!?酷いわよリアム!こんなに傷つけられたのは生まれて初めてだわ!」
リアムの制止を恐ろしいほど曲解する彼女の瞳には、彼に対する嫉妬心しか映っていないかった。
デイジーの怒りは更に加速させてしまったリアムは、諦めた様に口を閉じた。
道を歩く貴族達、リアムが護衛にと引き連れている騎士達、そしてリアムでさえも我儘姫の暴動を止めようとする者はいない。
(これで何度目だろう)
見慣れた光景にノアが心の中で溜息を吐く。
きっと目の前で膝まづく二人は『王族への侮辱罪』として兵に連れて行かれ、そして罰を受ける。
直接的な体罰の時もあれば金銭で解決する者もいた。
デイジーはそうやって自身の気を晴らすのが好きなのだ。
最初は何度もリアムと共にデイジーの暴動を止めようとしたノアだったが、その度にデイジーの怒りは増幅し、そして必要以上の罰を加算させる結果となった。
だからこそ、ここで口を閉ざすのが最良なのだと、やるせない思いを抱えながらも傍観に徹する事を決めていた。
これからデイジーは怒りのまま喚き散らし、被害者はただただ謝罪の言葉を述べながら地に額を擦り付けるというお決まりの展開になるだろうと誰もが考えていた。その時、
「貴方より見目麗しい方がいるのですか?」
一心不乱に命乞いをする役割の狐の男から場違いな発言が飛び出す。
「は?」
「絹の様に艶やかな髪。ピンクサファイアのような輝かしい瞳。そして何よりも、簡単に包み込めてしまう程に小さなこの手・・・」
賛辞を述べながら男は自然な流れでデイジー手を優しく両手で包む。
「っな!?」
いきなり初対面の男から触れられたデイジーは驚きの声を発するが、その手を振り解こうとはしない。
男は決して人を魅了する顔だちとは言えないが、独特な雰囲気を醸し出していた。吊り上がった目からは知性を感じ、彼の振る舞い一つ一つに色香が漂い始める。
先程まで頼りない印象であった男は、一瞬にしてデイジーの頬を染める対象へと変化したのだ。
(一体、この男は?)
男の代わり様に周囲は驚きを隠せないが、二人の間に介入する事はなかった。
「わ、私には婚約者がいるのっ!!」
赤くなった顔をップイっと逸らすデイジーだが、その手は未だに男から離れず、彼女が不快に思っていない事が分かる。
「そうでしたか。それは残念です。・・・まるで晴天の下、その美しさで人々を笑顔にさせる大輪のひまわりの様な女性に出会えたのは初めてでして。大変失礼いたしました」
軽い拒絶にあっさりと引かれた手をデイジーは名残惜しそうな表情を浮かべる。
手を離した男は再び美しい所作で立ち上がると女性の様な細い指を顎に当て思案顔を作る。
出会った当初は猫背で分からなかったが、男はノア達以上に背が高く、デイジーはその顔を一生懸命見上げていた。
「では、こういうのは、どうでしょうか?」
暫く沈黙を作った男は怪しげな笑みを浮かべながらデイジーの目線まで腰を落とす。内緒話をする様に顔を近づけるとデイジーの顔は更に赤くなる。
「私は旅の商人ゆえこの街を出なくてはなりません。ですが必ずここに戻る日が来ます。その時には、私とお話をしては下さいませんか?」
「お、お話?」
胸に手を当てながら恍惚とした表情でデイジーは男の話に聞き入っている。もう彼女の頭には婚約者もそれに従う麗しの騎士さえも存在していない様だ。
「はい。お話です。お話だけでしたら、婚約者様も大目に見てくれるのでは?」
「そ、そうね。そのくらいなら・・・」
隣にいる婚約者へ目を向ける事もなくデイジーは独断で男との約束を取り付ける。
リアムも自身が婚約者であると名乗り出るつもりもなく、この場が収まるのをじっと待ち続けていた。
「よかった!嬉しいです。貴方と再びお会いできるのを楽しみにしております。あ、でも・・・行けませんね」
「な、なに!?」
デイジーの回答に満面の笑みで喜びを表現していた男が深刻な表情で再び黙り込む。
男の思い悩む顔にデイジーの表情にも不安が感染していく。
「いえ。私は平民ゆえ、貴方様に会いに行こうと家の者が私を入れてはくれないでしょう。待ち合わせをしてもいつ頃王都に来られるか分かりません。やはり、貴方と私では住む世界が違うのでしょう・・・」
「そんな事ない!ディがお城の兵達に貴方の事を伝えておくわ!」
諦めの雰囲気を作り始めた男に対しデイジーが必死の形相で食らいつく。
いつもなら『汚らしい』と目に入れる事すら拒否するであろう粗末なローブを掴み、男を離すまいと懇願の表情を浮かべていた。
「それはいいですね!でしたら兵達にも分かり易い様に証を頂けませんか?」
「証?そうね、何を渡せばいいかしら?」
自身の意見に男が賛同してくれた事に胸を撫で下ろし、嬉々として男の提案を受け入れる。
「うーん。こちらの首飾りなどはいかがでしょう?貴方の心に近いこの証を私は肌身離さず持ち歩きます。それに・・・」
そう言うと男はデイジーの耳元に顔を落とす。
「少し、いやらしい意味も込めて、ね?」




