19.無知な婚約者
冬は一番厄介な季節だ。
春は実りも多く心地よい気候の中過ごせる。
夏は暑いが川が近くに流れているため涼を取れる場所も多々ある。
秋は春同様に過ごしやすい季節で、赤く染まる木々たちはオリビアの心を癒していた。
だが、冬は違う。
作物の収穫量が減ると共に、暖を取るための薪の供給量が少ない。
1年を掛けて冬に備えた薪を倉庫にしまっているのだが、それでも追いつかないのだ。
貧困街で暮らす子供達は基本的に栄養が足りず、夏の暑さや冬の寒さに耐えられる体力を持っていない。
夏場は川の水が大いに活用できたが、冬場は彼らを助けられる術が限られてしまうのだ。
「今年は弟が『森林保護』に注力してしまってな。これしか渡す事は出来ないのだよ」
そう話すイザベラは、味も香りも色すらないお湯を口に運んでいる。
彼女に渡したのはただ水を温めただけの白湯だ。
父の世代からこの教会に通い続けるイザベラを敬虔な信徒と捉える人は多いが、オリビアには彼女が神の教えを取捨している様に思えてならない。
しかし、決して従順な信徒ではないイザベラだが、彼女が受け入れてくれた『貧しき者へ手を差し伸べよ』という教えのおかげで、こうして冬を越すことが出来るのだ。
「いえ。こんな窮地に手を差し伸べて下さるのはイザベラ様だけです」
同じく味のないお茶を口に運びながらオリビアが応える。
事実、何度も教会を閉じなければならない場面で救済の手を差し伸べてくれるのはイザベラだった。
彼女は自身の権利と財産を有効に使い、人材や物資を提供し続けてくれる。
(彼女の聡明さが少しでもあれば)
数週間前から教会に顔を出さなくなった男の顔をふっと思い出す。
正義感が強く一生懸命。痛いほど真っすぐで同時に不器用な王子の姿はオリビアにとっては滑稽で、そして愛すべき対象でもあった。
リアムの献身の心は誰にも負けない程強いのだが、その行動は結果を伴わない。
彼の行動は一時的に教会を潤すと同時に困窮する人々の嫉妬心をあおり、彼から更なる利を得ようとする者達を増やした。
心だけでは人を救う事など出来ない。
イザベラは決して貧困街の人間に同情を向ける事はない。
どんな場面でも『王族』としての顔を崩さない彼女は貧困街で恐れられる存在だが、人々の邪心を掻き立てないその振る舞いにオリビアは感謝しているのだ。
「あの、リアム様は・・・お元気ですか?」
常日頃から浮ついた話を全く口にしないオリビアから、甥の状況を尋ねられたイザベラは、細い目を微かに開かせる。
「甥は・・・・・・・・・・・・・元気だ」
長い沈黙ののち、返された言葉は淡白なものだった。
「リアム!!お誕生日おめでとう!!」
愛らしい笑みを浮かべながらデイジーがリアムへと飛び付いた。
いつもはピンクや赤など女の子らしい色を好むデイジーだが、今日はリアムの誕生祭である事から青い生地に金の刺繍が施された落ち着きのあるドレスを身に着けている。
しかし、本人はその恰好が不服らしく、結い上げられた髪には大きなピンク色の花を挿し、耳や胸元など至る所に輝かしい宝石をあしらっていた。
毎年行われるリアムの誕生祭には、多くの人々がお祝いに訪れる。
客人達は王族や由緒ある貴族など上流階級の人間であるため、彼らを満足させようと使用人達が年に一度気合を入れる日でもあった。
用意された会場には庭師が丹精を込めた美しい花々が飾られ、会場にはテーブルや食器、ナプキン一枚に至るまで一級品が使用されている。
「とっても素敵な夜ね」
奇跡的に降り注いだ雪を窓から眺めながら、デイジーはその幻想的な世界に感嘆の息を漏らす。
ピンク色に染まった頬に手を当てる姿は愛らしく、周りの人間は『天使だ』、『妖精だ』ともてはやすが、婚約者であるリアムの表情は浮かない。
「リアム様、何かお飲み物はいかがでしょうか?」
自身の誕生祭であるにも関わらず不機嫌な空気を醸し出すリアムに気を利かせたノアが声を掛ける。
彼も主人の生誕を祝おうと金の刺繍が施された白い礼服に青いマントを羽織っており、その姿を見た人間は言葉もなく固まってくれるのでノアも動きやすい様だ。
「私あま~いカクテルが欲しいわ!一緒に行きましょ」
ノアの言葉に早く反応したのはデイジーで、ノアの腕に飛びつくと猫なで声で甘え始める。
「デ、デイジー様!はしたない事はお止めください!」
デイジーの侍女が慌てて制止するが、我儘姫を聞く耳を持たない。
最近ではリアムのそっけない態度に愛想を尽かしたデイジーが従者であるノアへ心を移していると社交界でも噂になっていた。
戸惑った様子のノアを横目にリアムは会場から離れるためバルコニーへと向かう。
デイジーが誰と懇意になろうが、自身の事を『異常者』と呼ぶ者達がどんな噂を立てようと興味がなかった。
バルコニーから城下を見ると、王子の生誕を祝おうと賑わっている様子が窺える。
夜の闇にも負けず街を照らす炎は美しく、冬の寒空を幻想的に映しているのだが、ある一部は相も変わらず暗澹としている。
「寒い、か?」
その寒空の下にいるであろう思い人に対し、返る事のない問い掛けをしてしまう程、そこには冷徹で救いようのない世界が広がっていた。
甘い香りが鼻腔をくすぐる。
贅沢品である砂糖をふんだんに使い、苺などの果物と生クリームがたっぷりと乗ったケーキが卓上に用意されている。
大人達が集まる会場とは異なり、リボンやぬいぐるみで飾り付けられた部屋には、上等なドレスを身に纏った少女たちが集う。
「デイジー様が羨ましいですわ。リアム様のような美しい方が婚約者で」
「本当ですわね。ましてやその従者がノア様なんて、皆さまの憧れですのよ」
話題の中心は国王の姪であるデイジー。
年の近い令嬢達は彼女をもてはやし、機嫌を取り続ける事が日常となっていた。
「でも最近リアムが冷たくて・・・ノアの方が優しくて好きだわ」
自身の婚約者を差し置いてその従者を立てるデイジーの姿に皆は苦笑いする。
先ほど会場でノアの腕に抱き着くと言う醜態を見せた彼女を咎める者はここにはいない。
「そ、そうだわ!リアム様と言えば貧困街にある教会へ通ってらっしゃると聞きましたわ。あんな所まで足を運ぶなんて大変信仰深いのですね」
そう話す少女は自身の胸の前で手を合わせると神へ祈りを捧げるポーズをとる。
貧困街へ出入りするリアムの行動は、貴族の間でも『異常者』と噂されていたが、その理由が教会へ赴く事だと知ると人々は彼の事を『敬虔な信徒』として尊敬し始めた。
イザベラの様に王族や貴族の中には信仰心の強い者が多く、若者でありながらも神を崇めるリアムに対し好感を持つ者が増えているとの事だ。
「でもそのせいでリアムはぜんっぜんディに構ってくれないのよ。いっつも『しゅうどうじょ』とかいう場所に行くってそればっかり!」
頬を膨らませながら許嫁の愚痴を口にするデイジーを少女達は気まずそうに見つめていた。
互いに目を合わせてはそらし、居心地の悪そうに肩をモジモジとさせる者さえいる。
「なぁに?ディ、変な事言ったかしら?」
周りの反応に違和感を感じたデイジーは目つきを険しくする。
お茶会に招くと言っても彼女達はデイジーよりも下の身分。語気を荒げれば平伏する者達だ。
「あ、いえ・・・その・・・」
先ほどリアムを『敬虔な信徒』と称した少女が青ざめた顔で口を開く。
デイジーの怒りを前に怯えながらも主張しようとするのでが、その態度が気に喰わないデイジーが彼女の髪の毛を力いっぱい掴み上げた。
「っ!!??」
「早く言ってよ。ディ待たされるのだいっきらい!!」
髪を掴んだ少女の耳元でデイジーが大声を上げる。その奇行に慌てた少女たちが震えた声で必死に訴えた。
「ち、違うのです!デイジー様は決して変な事は仰っておりません・・・ただ、」
「ただ?何!?」
要領を得ない態度にデイジーの語気が強まる。髪を掴む手も力が入り、少女から苦し気な息が漏れる。
「しゅ・・・修道女とは、女性の事なのです!」
「・・・は?」
「ですから、リアム様は、教会にいる女性に会いに行っているのです!!」
カタカタと震える体を抑えながら、少女は神へ祈りを捧げる。
呆然とするデイジーから力が抜け、その拍子に掴んでいた髪が手から離れていく。
無知なデイジーは神に仕える女を何と呼ぶのか、興味すら抱いた事はなかった。
リアム自身、善意で教会に通っていたため、オリビアの存在を隠す必要などないと考えていたし、敬虔な信徒である母を持つデイジーが『修道女』を認知していないとは思ってもいない。
だがそのすれ違いは、嫉妬深い婚約者のプライドを深く傷つける結果となる。




