17.修道女
「城下の修道女を殴ったのか」
視察を終え城に戻ると、叔母であるイザベラが訪れていた。
一体どこで情報を仕入れているかは不明だが、彼女の耳にはリアムの失態が既に入っているらしい。
「あれが突然前に出て来たのだ」
殴られた女は一度厳しい目つきでリアムを睨みつけたが、リアムの被るローブが上質である事を確認するとすぐに頭を下げた。
美しい白髪が汚らしい路地で汚れてしまうのではと、この場に不相応な考えをしていると、彼女は凛とした通る声でこう言ったのだ。
「ご貴族様のお目を汚してしまい申し訳ございません!気に障る事がございましたらどうか、私を罰してください!ただ、この子供だけはどうか、どうかお許しくださいませ!!」
そう訴える女は薄汚れた修道着を身に着けていた。
(修道女か)
貧困街であっても奇特な人間は存在する。
教会で恵まれない人々へ神の教えを説き、時には食料を無償で提供するような人間たちだ。
神の教えは貴族の間でも信仰する者が多く、自身の叔母も熱心に教会へ通っていると噂で耳にした事がある。
神に仕えし修道女が悲痛な叫びを上げながら首を垂れる姿は、傍から見れば自身をどれ程非道な人間に見せたのだろう。
城下での出来事を思い出していたリアムは、苦虫を潰した様な顔で舌打ちをする。
結局リアムは居心地の悪さに何も言わずその場を立ち去ってしまったのだ。
「神に仕えし人間に暴力を振りながら逃げ帰るなど、呆れた男だな」
どうやらイザベラは全ての状況を把握している様で、無言を貫くリアムに更なる追い打ちをかける。
その場に居合わせていたノアですら批判をする事がなかったため、改めて自身の行動を指摘されたリアムは一層暗い気持ちになった。
(まあ、ノアは以前からそういう奴だが)
一番の従者であるノアは、忠誠心が強く、そして感情の起伏が少ない。
一度、令嬢達の前で無表情を貫き批判の的となっていたノアに『せめて愛想笑いくらいしろ』と命じたところ、令嬢の前では張り付けた笑みを崩さなくなった。
従順ではあるが人間味の少ない従者は、リアムの行動を咎めたりはしない。
「デイジーも教会の者には失礼のないようにな」
「はい。お母さま」
返事を返すデイジーは借りてきた猫のようにおとなしい。
イザベラの前では我儘な本性を出す事はしないのだ。
だがリアムは知っていた。
定期的に開催される教会での集まりの日、イザベラが仕事で参加できない時があると決まってデイジーは協会の者達を困らせている。
貧しい者に配る予定の食料を『汚い』と踏みつけ、修道女がリアムに色目を使ったと髪を引っ張って泣かせたこともある。
だが彼女がマリアーノ家である事を知っている者達は一様に口を噤むため、デイジーの噂だけはイザベラの耳に入らない。
「それで?謝罪には行くのだろうな?」
「は?謝罪?」
叔母が珍しく冗談でも口にしたのかと顔色を窺ったが、吊り上がった目は鋭い光を放っていた。
「なぜ私が平民などに謝罪をするのです。私は己の正義に従ったまでです」
「そしてその正義で罪のない修道女を殴った、と?」
イザベラ自身、平民と王族の差を強く主張する人物ではあるのだが、そこに『神』が絡むと人が変わってしまう様だ。
リアムが殴った人間が、ただの平民であれば執拗に問われる事はなかったのだろうが、神に仕える人間であった事が厄介だ。
「リアム。お前も心から神に祈ってみてはどうだ?お前の持つ一方的な『正義』とやらも神が正してくれるやもしれないぞ?」
イザベラの棘のある言葉はリアムの心をえぐった。
己の正義をいくら行動に移そうと町は変わらず、人も変わらず、自身の父も変えることが出来ない。
見ないふりをしていた現実はいつの間にか苛立ちを募らせ、貧困で苦しむ人間に手を上げる程の狂暴性を生み出したのかもしれない。
『神』など信じる気もないリアムだが、それに仕える者へ道義を通す事は出来る。
窓辺から見える太陽は、その強い光で乾いた地面を照り付けている。その光景に眉を顰めながら、リアムは冷たい紅茶に口を付けた。
城下へは何度も足を踏み入れていたため、ここが冬場は心も凍りそうなほど殺伐とした場所になるとリアムは知っていた。
しかし、夏に入ったからと言って貧困街が日の光に包まれる事はない。
むしろ、冬には匂わなかった異臭が気温の上昇と共にその存在を増していく。
フード越しとはいえ鼻腔まで届くその臭いに何度となく吐き気が込み上げる。
「本当に向かわれるのですか?」
同じく異臭を感じ取っているのか、ノアが珍しく眉を顰めていた。
「様子を見に行くだけだ。お前も無理して付いてこなくていい」
『謝罪』などと言う名目で動きたくないリアムは、体裁のいい理由を作り上げることにした。
だが、少なからず頭を下げる場面が生じる可能性があるため、護衛の人間はノア一人に絞り、かつ、そのノアにさえ同行してほしくはなかった。
女を殴った場所は表通りからそう離れていなかったが、彼女の住まう教会が近くにあるとは限らない。
教会に詳しいイザベラへ渋々貧困街の教会について教えを乞うと、小ばかにした様子ではあったが貧困街唯一の教会を教えてくれた。
「ここが、教会、か?」
暗い路地を抜け建物など一切ない林を数分歩くと、そこには廃屋とも呼べる建物が立っていた。
屋根は塗装が剥げ、風災で空いた穴を埋める為か至る所に板が張り付けられている。
建物の周りには小さな畑が間隔を空けていくつも作られており、今の季節はトマトやきゅうり、なすなどが身を付けていた。
王城では美しい花々を目にする事はあっても野菜は調理された物しか目にしないリアムは珍しそうに畑を観察する。その時、
「あの、どちら様でしょうか?」
聞き覚えのある透き通る声に振り返る。
そこには、頬に布を当て、何度も使い古しただろう包帯でそれを固定した女が立っていた。
「・・・・・・・・・あの?」
「こちらの教会の方でしょうか?」
声を掛けられ微動だにしないリアムに代わり、ノアが女の対応をする。
女は不思議そうな表情でリアムを見ていたが、代わりのノアに視線を移しこの場所の説明を始めた。
ここが貧困街唯一の教会である事。
この教会は自身の父が作った場所で、その父も昨年亡くなってしまった事。
今は残された者達で教会を運営し、なんとか成り立っているという事。
突然訪れた来訪者に彼女は屈託のない笑顔で対応していた。
そんな彼女を見つめるリアムの目には、婚約者にも向けた事のない熱がこもる。
(て、天使か?)
海のように深く吸い込まれそうな青い瞳。十分な手入れなど出来ていないはずなのだが、輝きを放つ美しい白髪。
何よりも恵まれない境遇に身を置きながらも汚れのない笑みを浮かべる純真さにリアムは釘付けになっていた。
「そうでしたか、それは大変ですね。・・・・・・・・っこほん」
主が口を開かない間、場を繋ぐための世間話をしていたノアが発した咳払いにリアムの意識が戻る。
「ああ、そうだな。大変な境遇だ。どうだろう、私に出資をさせて頂けないか?」
「!!?出資・・・ですか?」
突然の提案に戸惑う女にリアムは自身の持つ力の凄さを誇示し始める。
「ああ、そうだ。この教会を新しく立て直す事も可能だ。なんならここを貴族達の御用達にしてもよい」
王家の財産や人脈を使えばここを『聖地』として祭り上げる事も可能だと力説するリアムの顔を女は浮かない表情で見詰めていた。
しかしそんな様子に気が付かないリアムは、自身がどれだけの事を出来るのか上機嫌に語り続けた。
「どうだ?悪い話ではないだろう?」
一通り話し尽くし黙り込む女へと同意を求める。
フードの中ではあったが、最高級の笑顔を向けながら最善の提案が出来たと自負していた。
だが、天使の様な美しい微笑を浮かべた彼女は、こう吐き捨てるのだ。
「お帰り下さい」
シンプルな返答ではあったが、リアムにとってはスリに吐かれた暴言や、叔母から送られた蔑みの視線よりも攻撃力のある言葉だった。




