11.お花畑が好みの様で
『謝罪』という名目で呼びだした令嬢達にイザベラは当たり前の様に『償い』という言葉を使った。
それは彼女が目の前の人間に対し、取り繕う必要を感じていない表れだ。
最初から謝罪などされるはずもないと考えていたアイラは下手に口を出す事はなく、イザベラやエマの出方を窺っている。
「償いですかぁ?私達はオリビア妃から謝罪を受けられると来たのですが~」
誰もが口を噤む緊迫した空気の中、場違いなほど朗らかな声がエマの隣から発せられる。
「・・・エミリアさん?」
いつもなら失神している予定のエミリアが柔らかな笑みを浮かべていた。時折鼻歌を歌いながらリズムに合わせて体を揺らす彼女はどう見ても正常ではない。
(適正量飲ませたのか?)
恐らく摂取したであろう精神安定剤の影響だと思われるが、一人お花畑の中を探索するエミリアを正気に戻す方法がわからない。
その責任を求められ、エマから厳しい視線を向けられているアイラは、真剣な表情で一点を見つめ顔を合わせようとしない。
「王族の私が貴方に謝罪をするとでも?」
場違いな空気を醸し出すエミリアをイザベラは厳しい視線で咎める。その視線を当てられたエマでさえ一度は生きる事を諦めたのだ。小心者のエミリアが耐えられるはずがないと思われたが。
「はい。そう聞いておりますわ」
イザベラの言葉をただの質問だと受け取ったエミリアは、慌てる様子もなく会話を続けた。
明らかにイザベラの怒りは増長し、その様子をアイラでさえ唾飲み込みながら傍観している。
しかし、皆が血の気の引いた顔色の中で、アーチーだけが朗らかな笑顔を作っていた。
(イザベラの怒りに気が付かないのか?いや、先程までイザベラの存在をあんなにも恐れていたのに・・・彼は、ああ、そうか。本物のクズなのだ)
アーチーの人となりを把握し始めたエマの心に不快感が一気に広がった。
誰もがエミリアの状況を心配している。初見であろう銀髪の男性ですら懸念の表情を浮かべているのだ。
イザベラの恐ろしさを誰よりも理解しているはずのアーチーがこの状況を他人事と捉えられる理由。それは、
(自分に危害が及ばないと確信しているのだろう。そして、自分以外の人間がどうなろうと興味がない。っといったところか)
何人もの女性と浮名を流したこの男は、その度に親密になった女性を妻の手で処分されてきたはずだ。
冷酷無慈悲なイザベラがどんな処分をしているのか想像もしたくないが、原因であるアーチーに処罰を下している様子は見えない。
無傷の状態で野に放たれたアーチーは、犠牲になった女性を忘却し、また新たな花を求めて軽やかに飛び回る。
自身の身に危険が迫れば顔面蒼白で逃走を図り、妻が自分に笑い掛ければそれを『許し』と受け取り胸を撫で下ろす。何とも分かり易く、そして情けない。
(アーチーの噂は社交界で知らない者などいないらしい。ならば、頭の賢い女性は彼に近付く事すらないだろう。だから彼は頭の弱いデイジーの様な女性を好むのか)
イザベラの怒りを前に愚かな発言を繰り返すエミリアは正に好みの女性といえるのだろう。
妻にいつ処分されてもおかしくない令嬢へ慕情を向ける異常性。
そして、女性をどこまでも下に見た差別的思考。
野生の本能か、死を目前にしたエマの頭は急速に回転を始めた。
「なるほど・・・では、私から貴方に『謝罪』をやろう・・・」
獣の唸り声を彷彿とさせる威圧的な声が冷たく響く。
イザベラは乱暴に席を立つと常に携帯している扇を片手にエミリアへと近づく。
ナイフを吹き飛ばすほど強固なそれは、恐らく鉄製の代物だろう。
狂気を感じ取ったノアが制止しようとイザベラへ駆け寄った時。
「わ、私も謝罪の方がいいなぁ。『償い』なんてきっと私達には出来ないわー」
エミリアに続き脳内お花畑人間が追加された。
エマの場違いな発言に先ほどまで一切視線を合わせなかったアイラが素早い速度で顔を向けてくる。その表情はアイラにしては珍しく瞠目した状態で固まっていた。
部屋全体が凍り付く中、共感を得られたエミリアだけはっきゃっきゃと歓喜の声を上げている。
「謝罪の方が・・・いいなぁ?・・・だと」
先程まで従順だったエマが再び愚かな行動を取り始めたと認識したイザベラが標的をエマへと移す。
睨まれるたびに体が固化してしまう攻撃的な視線を受けながらもエマはそれを決して逸らそうとはしなかった。
(通じてくれー!!)
最初は憎しみのこもった表情をしていたが、へらへらと笑うエマの瞳が真剣である事に気が付いたのか、っふんと鼻を鳴らしただけで席へと戻っていく。
「っふん。償わないのならばその軽い首を切り落とすまでだ。命を懸けて自分の出来る事を考えてみろ」
エマの意図に勘付いたイザベラは、脅しに近い文句を口にしながらエマの話を促した。
「う~ん。わたし達が出来ること~・・・?」
デイジーの仕草を必死で思い出しながら、エマは頬に手を当て困り顔を作る。
その仕草はどうやら正解だった様でアーチー優しい視線がエマへと向けられた。
「あ!イザベラ様のお仕事を手伝いますわ!」
「私の仕事?貴方達程度の人間が私の仕事を変われると?」
自身の仕事を取って代われるなどと発言した令嬢をイザベラは厳しく睨みつける。
作戦を実行中だとしても自分を軽んじられるのは耐えがたいらしい。
「そんな事ありませんわ。ただイザベラ様はお忙しいからお屋敷のお仕事を手伝おうかなぁって」
「わたくし、お掃除は得意でなくてよ?」
先程までぼおっと会話を聞いていたエミリアがいやいやと首を振りながらエマの袖を掴む。
「掃除は侍女が行っている」
無用な提案をしたエマへイザベラからも抗議の声が上がった。侍女の仕事とアーチーの阻止が関連付けられない様で訝し気にエマを見つめている。
もちろんエマとてマリアーノ邸の掃除などする気はさらさらない。アーチーの商売を邪魔するために必ず必要だと思われる条件があるのだ。
「お掃除じゃありませんわ。例えば、溜まってしまった書類の整理など・・・」
エマの一言ににこやかなアーチーの眉がピクリと動く。
「ほお、書類と言うと、マリアーノ邸の商業記録か?・・・っ!!?」
そう話すイザベラの両肩をアーチーが強引に掴み引き寄せた。
驚いたイザベラは一瞬不快な表情を浮かべるが目の前の麗しい夫の顔に目を奪われ頬を染めた。
(本当に顔が好みらしい)
イザベラの女性らしい反応にアーチーと別れない理由の一つが『顔』である事は事実なのだとエマははっきりと実感した。
「そんな重要な記録をたかが令嬢達に見せるのかい?僕は反対だよ。ちゃんと専門の人間を雇っているのだから今まで通りその人達に任せようよ」
瞳を潤ませながら妻へ訴えかける姿は、他人から見れば情けない男に映る。が、妻であり夫の顔が好みの妻にとっては、懐柔されてしまう程魅力的らしい。
「そ、それもそうだな・・・」
アーチーの魅力にイザベラが落とされてしまう前に、エマは素早く行動に移る。
「アーチー様の仰る事は最もです。私達の様な令嬢では数字なんてなぁんにも分からないのだもの。ねぇ。アイラさん」
そう言うとエマはどこかの我儘姫を彷彿とさせる様に頬を可愛らしくぷくりと膨らませる。
「はぁい。私達、お菓子とかお洋服の事は詳しいのですけど~。こんなの全然わかりませ~ん。この子なんてご本も侍女に呼んでもらってるのに・・・ね?エミリアちゃん」
「ご本は大好きです!」
察しの良いアイラはエマ同様にふわふわとした仕草で困り顔をして見せた。
正常なエミリアであれば付いてこれなかっただろうが、今の大変精神が不安定な彼女はエマ達の強い味方だ。
「そうでしょう?ほらね。こんな可愛らしい子達には難しいよ。デイジーだってお勉強は嫌いだろう?」
(あんな無知見た事がない。それもこの男の影響か?)
家族と過ごす時間の少ないイザベラはデイジーを育てる時間が十分取れなかった。代わりに娘へ教育環境を与えるのは常に屋敷にいるアーチーの役割だったのだろう。
だが恐らく、彼が娘へ与え続けたのは王族として必要な知識や教養などではなかった。
結果育ったのは頭が弱く、商学や時事ではなくファッションやお芝居などに興味を持つ可愛らしい女の子。アーチーが最も好む女性という訳だ。
「私達もお勉強は嫌いですわ。ああ、でも償いをしなくては・・・そうだ!でしたらマリアーノ家にいらっしゃる『せんもん』の方々と一緒に取り掛かるのは如何でしょう?」
「一緒に?」
っきゃっと両手を頬に当て、無邪気な提案をするエマへアーチーの訝しげな視線が向けられる。娘と近い歳の令嬢が何を申し出るのか恐れている様だ。
「はい!と言いましても私達に出来る事など書類を運ぶ事くらいかしら・・・あら、そうしますと足が痛くなってしまいますわね・・・」
「あら、でしたら紅茶を飲んで休憩しましょう。アーチー様ご一緒にいかがですか?きっと楽しいですわ」
仕事を手伝う気などさらさらない様子の令嬢達からお茶会の誘いを受けたアーチーは、先程の柔らかい笑みを浮かべながらアイラの提案に優しく答える。
「それは・・・楽しそうだね。でもね、君達が考える程、粗末に扱っていい書類ではないのだよ。だからそれを外部の人間に見せるのは・・・」
頑なに商業記録の提示を拒否するアーチーの行動は、エマに確信を持たせる。
(やはり大本はマリアーノ邸で管理している様だな)
アジトでは見つけることが出来なかった横領の決定的な証拠。それがこの屋敷にあるとエマは踏んでいた。
実質の当主である妻は屋敷にいる時間が少なく、また外部の人間が王族の屋敷を探るのは難しい。
何よりもマリアーノ家の正規の記録がここにあるのだ。隠したい金の流れを本来の商業記録に組み込む事など専門知識を持った人間を懐柔さえすれば簡単だろう。
だからこそエマ達の様な外部の人間に詳細な記録を見られては困るのだ。
「あら残念ですわ。せっかくアーチー様のような魅力的な男性とお茶会が開けると思いましたのに・・・」
ここで食い下がれないエマは、どうにかアーチーを口説き落としにかかる。
「嬉しい事を言ってくれるね。でも駄目だよ」
(っく!私に男を落とせる武器があれば・・・!!)
イザベラから痛いほどの殺気を受け、その後ろに控えるノアからも凝視されている事はわかっているが、命の掛かったエマに構う余裕はない。
アーチー好みの女性を演じても外見までは変えられない。
(ならば仕方がない)
エマ達を前にそれでも首を縦に振らないアーチーの態度は、少なからず持っていたエマの女性としてのプライドを傷つけたが靡かないのならば作戦を変更するのみ。
「本当に残念ですわ・・・他の令嬢達もお誘いしようと思いましたのに・・・例えばそう・・・シャーロット嬢とか」
「あの、妖精の様に美しいと有名なシャーロット嬢・・・」
自身の感情よりも目の前の男を陥れる方が先決だと判断したエマは、沸々と沸く怒りを隠しながら、胸の前で手を合わせ楽しそうに提案を続けた。
エマ達で足りないのであれば、釣り上げる餌を足せばいいだけだ。
社交界でも有名な美女であるシャーロットの名を出した途端、アーチーの目の色が変わる。
美しい容姿を持ち、歌やダンスを得意とするその令嬢は、その容姿を磨くことに時間を取られているため学がない事でも有名だ。
「リリー嬢もきっと喜んでいらっしゃいますわ」
「あの、魅惑的な体つきをお持ちのリリー嬢・・・」
何を口にしたらそこまでたわわに実るのか、彼女を目にするたびにエマは問い掛けたくなる。
彼女も同様に学がなく、社交界ではその魅力的な体を使って男性を誘惑し、不埒な行為を楽しんでいるとも噂されている。
度々彼女がノアへ体を摺り寄せている場面を目にしているので噂は本当なのだろう。
噂好きのエミリアから聞かされた情報だったが、アーチーの好みを的確に選抜できている様だ。
その証拠に二人の令嬢の名を上げた途端、アーチーの体はあからさまに前のめりになっている。
(だが、恐らく本命はこの人だ)
「何よりも国王様の側室がお世話になるとすれば、まずはあの方がいらっしゃいますわね。」
容姿のみが秀でた頭の弱い人間を好むアーチーが、唯一その好みとは異なる人物に手を出した。
そしてその行為は怒らせてはならない人間の逆鱗に触れ、アーチーはその恋を諦めるしかなかったのだ。
自分の身の保身を一番にしている男がその身を危険にさらしてでも手に入れたかったその女性への愛だけは、きっと本物だったのだろう。
「そうあの方」
エマ同様にエミリアから社交界の情報を叩きこまれたアイラが同調するように笑みを浮かべている。その会話を聞いていたエミリアもそれが誰であるかを察したらしく、ニコニコと微笑みながらその名を口にする。
「「「オリビア妃」」」
貴族から侍女までも手を付ける色狂いが唯一手に入れられなかった聡明な女性の名を。
頬を紅潮させたアーチーは、『マリアーノ家の商業記録を整理させる事で娘の件を免罪とする』といった内容の契約を嬉々として締結させた。




