10.色狂い
部屋へ戻ると客人が増えていた。
精神安定剤を無事に飲み、柔らかい表情でソファに腰掛けるエミリア。
そのエミリアを無言で撫で続けるアイラ。
目が合った途端に瞬時に視線を逸らすノア。
そして、ノアの隣にもう一人、品のいい銀髪の男性が立っている。
彼が誰なのかは多少気になったが、先程イザベラから依頼された難題を解決したいエマの頭は、その他の情報を入れる余裕などなかった。
待たせたアイラ達に軽く詫びを入れ、同じようにソファへ座り込むと無言のまま頭をフル回転させる。
(恐らくチャンスは『今日』だ。それを逃せばアーチーに関わる事さえ難しくなる。イザベラは多少待つと言ったが彼女の感覚は私とはずれている)
イザベラの小さな問題はエマにとって大きく、与えられた多少の時間の期限は不明だ。
問題を持ち帰ってリアム王に身の保身を訴えようかとも思ったが、イザベラと対峙したエマはそれが不可能である事を本能的に察知していた。
今回もリアム王不在の元、許可もなくマリアーノ邸に連れて来られた身。国王の傍ですら安全とは思えなかった。
部屋にいる全ての人間が主役となるイザベラの登場を待ち構えていると、
ッガチャ
ノックもなく扉が開かれた。
「や、やあ、皆さんここに居たんだね」
入ってきたのはイザベラではなくアーチーだ。しかも何やら慌てた様子で、心なしか顔色が悪い。
「アーチー様。なぜここに?」
アーチーの登場に驚いたノアは、不思議そうに彼へと近づく。
やはり予期せぬ客人だった様で、ノアも戸惑った様子だ。
「あ、ああ、客人が来ているのに屋敷の当主が現れないのは失礼だろ?」
見知った顔のノアを目の前にして少し落ち着きを取り戻したのか、乱れた襟元を正してエマ達の前へと腰を下ろした。
しっかりとアーチーを目にしたのはエマも初めてだが、イザベラの言う通りやはり顔がいい。
ノアが正統な美人というのならばアーチーは甘い顔をした正に女たらしだ。
「やあ、初めまして。私はここの当主。アーチー・マリアーノです」
向けられた視線は優しく、その笑顔は父親とは思えない程幼いものだった。
大変物腰は柔らかで、侍女が部屋にいない事を確認すると、自ら置かれたカートへ手を伸ばし、皆に紅茶を振る舞うという気配りすら見せる。
デイジーの父親であるにも関わらず頬を染めるエミリアとは反対に、エマの顔色は青く染まっていた。
(血・・・だよな)
なぜならば、紅茶を慣れた手つきで用意するアーチーの袖には血痕と思われる赤黒い染みが付いていたからだ。
「あの、マリアーノ様・・・イザベラ様は?」
震える声を抑えながらエマはイザベラの居所を尋ねた。
するとアーチーの顔は部屋へ入ってきた時同様に色を失くし始める。その反応だけで十分すぎる答えだとエマは思った。
黙り込んでしまったアーチーの様子をエマ以外の人間が不思議そうな顔で見つめている。
誰しもが口を噤んだのは、アーチーの背負う負のオーラが尋常ではなく、声を掛けられる雰囲気ではなかったからだ。
コンコン・・・
沈黙が支配していた部屋で、高いノックの音が響く。
「・・・・・・はい」
通常であれば屋敷の主であるアーチーもしくはその従者が返答をするのだが、口を開かないアーチーの代わりにノアが応える。
「貴方もいたのか。ノア」
「はい。・・・着替えられたのですね」
出迎えたノアはイザベラのドレスが変わっている事に訝し気な視線を当てる。
指摘されたイザベラは涼しい顔をしながらノアの横を通り過ぎた。
「ああ、屋敷に溝鼠が入り込んでいてな。処分の際に服が汚れたので着替えたのだよ」
気品ある動作でアーチーの隣に腰を掛けるイザベラの瞳は怪しい光を宿していた。
含みのある笑みを見せるイザベラとは反対に隣のアーチーは更に顔色を青くしている。
(あの侍女か・・・)
アーチー同様に顔色が悪いエマは、アーチーと不埒な行為を行っていた侍女を思い出す。
イザベラの言う『処分』が屋敷からの追放である事を祈りながら、エマは無用な検索を止めた。
イザベラが部屋に入ってきてから全ての人間が無言を貫いている。それが礼儀であり、王族の許可なく発言する事は許されていないからだ。
その権利を持つイザベラは夫であるアーチーに紅茶を入れさせ、満足そうにそれを口にしている。
夫に優しい微笑を浮かべ、エマ達には一切視線を向けようとはしない。周囲をじらすのが彼女の好みらしい。
「ああ美味しい。貴方の入れる紅茶はとても口に合うわ」
「そ、そうかい?」
そんな些細な誉め言葉にアーチーの顔色が正常な状態へ戻り始める。
今考えれば目の前で愛人を処分された後、逃げる様にエマ達の元へ駆けつけたアーチーも異常だ。
一体何人の女がイザベラに見つかったのか把握は合出来ないが、その度に彼女の毒牙に掛かっているはず。にも関わらず女を求め続ける。
(まさに色狂いだな)
冷酷で残虐なイザベラに自身の欲望を抑えられないアーチーは、『異常』という面では似た者同士に思えた。
「さて、紅茶も楽しめた事だし本題に入ろうではないか。なあエマ・カールソン」
名指しされたエマはやはりイザベラの『多少』の感覚が自身と異なる事を再認識する。
エマだけが呼ばれた事にアイラが動揺を見せるがそれを口にする事はない。
ソファに深々と座り、肘掛けに頬杖を付いたイザベラは、度々見せる悪戯っ子の笑みを浮かべてこう続けた。
「貴方方は私にどう償うのかな?」
イザベラの問いは令嬢3人へ発言権を与え、それを合図にエマの命を懸けた償いが開始された。




