9.アーチー
マリアーノ邸の庭には、大量の死体が埋まっていると聞く。
家族を傷つけた者。家族を騙した者。家族を奪おうとした者。
なかでもアーチー・マリアーノが原因で命を落とした者は数知れず、多くの女たちの死体が埋められているとの話だ。
実際には腐敗臭の強い死体など大量に庭へ埋められるはずもなく、イザベラを冷酷な人物として印象付けるための作り話であるのは明白であった。
ならばイザベラは女達をどうやって処分したのか。
夫を奪われながらも慈悲の心で無罪放免にしたのか。
それとも身分を取り上げ売春宿にでも送り込んだのか。
噂の絶えない社交界でその事実が流れる事はなかった。
(きっと深くに埋めたんだ。腐敗臭すら届かない程深くに埋めたに違いない)
イザベラの差し出してくれた紅茶をただ凝視しながら、テーブルクロスに隠れたエマの足は小刻みに震えていた。
目の前のイザベラは自身の入れた紅茶に満足している様で、優雅に口を付けながら微笑んでいる。
「役立たずしかいない屋敷では、紅茶も自分で入れるに限る。なあ、そう思わないか?」
「はい。思います」
入れられた紅茶には口一つ付けず、反射的に同意する。
茶葉の豊潤な香りがエマの鼻腔を掠めているのだが、手を付ける気力など残ってはいなかった。
「先程とは違って随分大人しいな。借りてきた猫の様だ」
「ははは」
感情のこもらない笑い声で応えるが、それがエマの精一杯だ。
イザベラから『役に立たないか』と提案されてから数分経つが、なかなか本題を話してくれない。
先程から固化しているエマの様子を悪戯っ子の様な顔でのぞき込んでくるばかりだ。
「あ、あのイザベラ様・・・私が貴方様の役に立つというお話は・・・?」
遅々として本題に入ろうとしないイザベラに痺れを切らし、怯えながらも催促をする。
絶対に勝てない相手から希望を目の前でチラつかされ、それが偽言かすら分からない状況は、エマの居心地を大変悪くしていた。
「そう焦るな。なぁに。私の抱える小さな問題を貴方が解決すればいいだけの話だ。結果によっては娘の件を不問にしてやろう」
イザベラの抱える問題がエマにとっては『小さな』ものだとは思えなかった。
だが、藁にも縋る思いのエマにはその提案を断る選択肢はない。
断れば死罪。失敗しても死罪。今エマが生き残る道は、イザベラの要求に完璧に応える事だけなのだから。
「必ず、イザベラ様のご満足頂ける結果を出します」
自信などないが、あってもなくても結果は変わらない。
『娘の件を不問にする』という言葉を出した途端に目を輝かせたエマを見て、イザベラはくすりと笑みを浮かべた。
この笑みがエマに対する期待の表れか、餌に掛かった獲物を嘲笑する笑いか判断がつかない。
「貴方に解決してもらう問題は一つ。私の夫アーチー・マリアーノの詐欺行為を止めて欲しい」
「!!・・・詐欺、行為ですか?」
「下らん芝居をするな。貴方も知っているのだろう?アーチーの持つアジトを一つ潰したのだから」
どうやらイザベラが知らない事はない様だ。
エマがアジトへ侵入した事さえ知っているのだから。だが、アジトを潰したのはエマではなく第一騎士団長のノアだ。
今でもあの細い体で蹴り上げた巨体が宙を舞う姿が鮮明に脳裏に浮かぶ。
「あれは大変な浮気性でな。いくら女を処分しても次から次へと連れてくる。まあその度に処分するのだが最近は他国にも手を伸ばし、どこぞに自分のハーレムまで作っている始末・・・いくら女を処分してもアーチーの行動を止めない限り浮気は止まらない」
「だから、資金源を断とうと?」
「飲み込みが早いな。アーチーが自由に使える資金は私が管理している。だが、彼の行動を見るにそれ以上の金を女へ使っている事は明白。貴方にはその資金源となる大元をアーチーから取り上げて欲しいという事だ」
忙しいイザベラではアーチーの行動を監視するのは不可能だ。
無数に広げているだろうアーチーの資金源を断つ事は彼の浮気の幅を狭める事にはなるだろうが完全に断つ事は出来ない様に思われる。
「失礼ですが、なぜアーチー様を処分されないのです?イザベラ様でしたら彼に手を下すことも出来るのでは?」
アーチーは元々貴族の出であり純粋な王族ではない。イザベラが彼を見限れば、彼の存在など容易く消せるように思われた。
(やはり情があるのか?)
人間離れした能力を持つイザベラの人間らしい一面にエマは少し安堵を覚える。
「私が頭の悪い女達よりも下だと思うのは腹立たしいだろう?それにアーチーは頭は悪いが顔がいい。傍に置いておく価値がある」
エマの安堵は一瞬にして奪い去られる。
デイジーはアーチーの顔と中身を根こそぎ受け継いだと思われたが、どうやらしっかりと母親の血も交じっている様だ。
イザベラは『愛』というより自己の満足のために夫を貶めたいと言うのだから。
「どうだ?出来るか?」
そんな確認など無用であることを知りながら、イザベラは面白そうに口角を上げエマの様子を伺っている。
出来ない選択肢などないエマの返答は、ただ一つ。
「やります」




