7.好みは人それぞれ
薬はノアへ依頼したので後は着替えて戻るだけだと考えていたエマは、自身の考えが安易であった事を身を持って感じていた。
「だから!どれがご当主様へ出す物なのよ!?」
「わ、わかりませんー!!」
厨房へと集められた侍女達は、顔色を青くしながら狼狽えていた。
怒鳴り声を上げる侍女も怒りと言うよりかは恐怖が大半を占めている様で、酷い顔色で怯えている様子だ。
無事デイジーから身を隠し、自身の服が置いてある部屋へと移動していた最中、すごい剣幕の侍女達に連れられて厨房まで運ばれてしまった。
『エマが』と言うよりも目に付いた侍女は全て厨房へ集められている様で、屋敷内にこれほどいたのかと驚くほど厨房は同じ服装の女性達で賑わっている。
調理用の作業台の上には何点かの料理が並べられているのだが、それが今の惨状を生む原因となっていた。
話を聞くとイザベラは大変な偏食で自身の好んだ物しか口に入れないと言う。
甘いものや味の濃い物など大雑把な注文であれば覚えやすいのだが、彼女の好みは大変細かく、それを把握している者は限られていた。
「一体どーすれば・・・エブリンはどこよ!?」
先程から名を上げられる『エブリン』という女性は、イザベラの好みを把握する数少ない人物の様で、先程から侍女が厨房を出たり入ったりしては彼女を探しに行っている。
「きっとまたアーチー様と部屋にこもっているのよ。こんな忙しい時にあの尻軽!!」
そしてどうやら『エブリン』とはアーチーと不貞行為を働いていた女の様で、エマに服を奪われて部屋から出られない状態だという事をこの場でエマだけが知っていた。
エブリンの居場所は知っているのだが、彼女の服を身に纏った自分が部屋へ案内する事は出来ない。
気まずい空気の中、ふっと作業台に乗せられた料理に目を落とすと美しく盛り付けられた料理の中に違和感を覚える皿が一点目に付いた。
王族に出される料理は旬な食材を使い、平民では到底手が出ない値段の物が使われるはずだが、それはエミリアが言う『貧乏人の食べ物』によく似ていた。
「あの、これは?」
油に漬けられた小魚を指さし恐る恐るこの場のリーダーと思われる侍女へと問いかけた。
地味なエマの存在に今気が付いた侍女は、指の指された方向を見てふぅっとため息を吐く。
「ああ、これね。こんな物、シェフが私達をからかって作った物よ。こんな従者でも口にしない物をご当主様が好むはずないわ」
そう吐き捨てると侍女は興味なさそうに視線を外した。
しかしエマには確信があった。国王の妻であるオリビア妃が直接用意されたあの手土産がイザベラの好物ではないのかという強い確信が。
確かに王族であるイザベラに貧相な小魚の油漬けは相応しくないが、人の好みはそれぞれだ。
エマに至っても仕事柄、野菜を口にする事が多いだけで、実際に好みを聞かれれば『マカロン』と答える。だがそう答えると領地の皆が『似合わない』と笑うため実際に口には出さないが。
「あの、私、以前聞いた事があるのですが。確か、ご当主様の好物はこの小魚の油漬けだった様な・・・」
一つの意見として採用してもらえばいいと曖昧な言葉づかいで提供した情報だったが、今の切迫した状況にとっては暗闇に差し込んだ唯一の光だった様で侍女の顔色が一気に明るくなった。
(あ、まずい)
それと比例してエマの顔色が一気に暗さを増していく事に誰一人気付いてくれる者はいなかった。
ひと際大きな扉の前で、料理が乗せられたカートを押すエマの足は止まっていた。
最初に通された部屋と言い、ノアに閉じ込められた部屋と言い、イザベラはシンプルで必要最低限なデザインを好むらしい。
娘のデイジーとは異なりどこまでも機能性を求めた作りには少々好感が持てる。
だが、それが本人に対しての好感とイコールで繋がってはくれない。
イザベラの好みを知っているとエマの意見を採用した侍女は、嫌がるエマに料理を押し付け爽やかな笑顔で送り出してくれた。
このままカートを置いて逃走することも出来たが、涙を浮かべながらエマを救世主と崇める彼女達を裏切る事は出来なかった。
コンコン
「入れ」
陰鬱な気分で扉を叩くと、一拍も待たずに中から返事が返された。
そんなに腹が減っていたのかと自身の気を紛らわせるために冗談めいた事を考えるが、気休めにもならない。
「失礼致します」
心を悟られない様にと張り付けた笑顔でカートを押し、これから顔合わせするであろう人物の前へと進んでいく。
(最悪、顔を合わせるときは俯いていればいい)
と半ば強引な策を立てながら、イザベラの前へと素顔をさらした。
初めて見る彼女は、少々疲れた様子ではあるが威厳があり、そこにただ座っているだけで首を垂れてしまいそうなオーラを身に纏っていた。
「今日は、エブリンではないのか」
「はい。エブリン様はお忙しいようなので、代理で給仕をさせて頂きます」
納得した様子ではなかったがイザベラは用意された席へと着席し、エマの持って来た料理が配膳されるのを待っていた。
先に提供したのは白ワイン。
続いてチーズにバケット、生ハムに鮮魚のマリネなど素晴らしい前菜を口にした後、エマは意を決してメインと呼ばれる料理をイザベラの前へと差し出した。
「これは・・・小魚の油漬け?」
先程まで出された料理に比べ、質素で華のない皿が上質なテーブルクロスの上に置かれている。
「はい。ご当主様の好物と聞きまして」
想像の中で何度も殺されかけたイザベラを前に、貧乏人の食事を出す作業は肝が冷える。
エミリア程ではないが、鳥肌の立った拳を静かに擦った。
イザベラは小魚をフォークで突き刺すと、まじまじと全体を観察した後、ゆっくりと口へ運び咀嚼した。
その一挙がエマの心の臓を圧迫し、苦しめているとも知らずに。
「王族の好物が質素で驚いたか?」
暫く小魚を口の中に放り込んだ後、きつく吊り上がった目を向けてエマへと問いかけた。
「いえ。人には好みがございますから」
機嫌を損ねない様に気を使いながら返答したが、それはエマの本心でもあった。平民であろうが貴族であろうが、男女問わずに好みはある。ただそれを公に出来る場がないだけだ。
自分が『マカロン』を堂々と公言出来ないのと同じで、イザベラも貧乏人の食事を口に出来る機会が少ないのだろう。
奇妙な親近感を感じているエマに、イザベラは再び問いかけた。
「貴方の好みは?」
いつもであれば旬の野菜や今流行っている料理名を口にしたであろうが、それでは好みをさらけ出したイザベラに申し訳ない気がしたエマは素直に答えることにした。
「マカロンです」
「随分可愛らしいな。どちらの物がいいのだ?」
「土地は分かりませんが、クリームをたくさん挟んだ物が好きです」
「フレーバーは?」
「苺です」
「カールソンにも出回っているのか?」
「いえ、取り寄せる事は出来ますが・・・・!!」
(なんだ、子芝居など打つ必要はなかった)
自分がすでに蜘蛛の巣の中にいる事をイザベラ本人が教えてくれた。
まだ命じられていないにも関わらず、首を差し出したくなる人物に対抗する手段などなかったのだと、エマは生まれて初めて抵抗する事を止めた。




