6.勘違い
デイジーの楽しそうな笑い声が遠ざかり、エマはほっと胸を撫で下ろした。
(あのまま入られたら面倒だった)
応接間で事が過ぎるのをじっと耐えていたエマは、先程の出来事を振り返り深く後悔していた。
あの時、もしもデイジーが現れなかったら、自分は騎士の色香に負けてしまっただろう。それがどれだけ面倒事を増やすのか、想像するのは容易い。
イザベラからの呼び出しで、首の皮一枚繋がっているかさえ不明な状況下で、デイジーの怒りを増幅させるのはまずい。
(彼はデイジー様のために覚悟を決め、私は無事に領地へ戻る。それでいい)
ノアとの攻防で乱れてしまった服を整え、微かに戸惑う心を意識から離した。
コンコン
「っひぃぃぃ」
扉を叩く音だけで悲痛の叫びを上げるエミリアの背中をアイラは優しく撫でて落ち着かせた。
アイラにとってこれほど繊細な生き物に会ったことがなく、エマの言う通り『黙って優しく背中を撫でる』という行為を先程から何度も繰り返していた。
「あ、あの?」
部屋の中から返事がないため入室を躊躇する声が聞こえた。
アイラはエミリアを優しく撫でた後、物音を立てない様に扉へと近づきゆっくりと扉を開ける。まるで寝た子を起こさない様に忍び足で行動する親の様だが、物音ひとつで怯えるエミリアのためを思った精一杯の行動だった。
「こんにちは。ノヴァック嬢。クラウディン嬢も・・・っうむ!?」
扉を開けてもらい安堵の表情のノアがいつもの上品な笑みで挨拶をしていた時、真剣な表情のアイラに口を塞がれた。
口を塞がれるのは本日2度目で、何事かと目を剥いていると、口元に人差し指を当てたアイラに促され、廊下の外へと出る事になった。
「あの?これは一体?」
「エミリアさんは僅かな音にも怯える小動物状態です。先程から何度もひきつけを起こしておりますので、刺激を最小限にしようかと」
人の声にさえ怯えてしまうのは一種の病気なのではと疑ってしまうが、真剣な表情のアイラを目の前に、ノアは口を噤んだ。
「では、こちらのお薬をお願いします。カールソン嬢から依頼されました」
そう言うとポケットから小さな瓶を取り出しアイラへと渡す。中には白い粒上の薬が入っており、『3錠をお湯と一緒に飲む様に』と注意書きがされていた。
「あの、こちらお湯と一緒に飲む物らしいのですが、持ってます?お湯?」
「部屋に紅茶などはないのですか?」
お湯でなくとも侍女から出された飲み物で流し込むことは出来るだろうと尋ねると、アイラは困り顔で頬を掻いて見せた。
彼女の話によれば、この屋敷に着いた時から歓迎されていない様で、侍女の態度は横柄で飲み物も出してもらえず、ただイザベラが訪れるのを待っていたという。
また、他の侍女に頼もうとも思い何度か廊下を除いては人が通るのを待っていたのだが、侍女どころか人一人通らないため手の打ちようがなかったらしい。
「エマさんにまた頼むしかありませんね。そーいえば、エマさんはどちらに?」
能天気ではあるが一応領主の娘だ。さすがに目の前の騎士に飲み物を注文するほど不作法ではないアイラがエマの居場所を尋ねる。
「え、あ、いえ。見てません!」
「はい?」
突然エマの居場所を聞かれ、混乱した頭で咄嗟に口を出た言い訳は、アイラの顔を歪めた。
先程『カールソン嬢から』といって渡した薬は今、アイラの手元にある。にも関わらず『見ていない』などと発言されれば、目の前の人物を疑うのも無理はない。
「あ、見ました!」
「当り前です」
珍しく慌てるノアに対し、これまた珍しく指摘するアイラの姿は、知っている者が見れば貴重な光景であっただろう。
エマの事を聞いただけで慌てふためき、頬を赤く染める騎士の様子を見れば、勘の良い者なら何かを感じ取れたであろうが、残念ながらアイラはその手の勘に疎い。
食あたりでも起こしたかと的外れな勘を働かせ、目の前の人物に憐れな視線を投げかけるくらいだ。
「か、彼女ももう少しで戻るはずです。お湯でしたら私が侍女に頼みますので、ノヴァック嬢はどうかお部屋でお待ちください」
しかし、見られているノアは落ち着かない。
先程の不埒な行為を見透かされている様でアイラの視線から一刻も早く逃げたかった。
騎士へ令嬢の飲み物を手配させて良いものかと逡巡しているアイラの背を強引に押し、扉を勢いよく閉めてその場を後にする。
後にされたアイラは大きな物音に再びひきつけを起こすエミリアの背を黙って優しく撫で続けていた。




