4.意外な組み合わせ
アーチー・マリアーノ。
社交界に疎いエマにとって聞いた事のない名前だったが、最近できた友達のエミリアは彼の事を詳しく知っている様だった。
イザベラの夫であるアーチーは、その美貌から社交界で大変人気が高く、妻がある身分にもかかわらず様々な女性と噂になっているという。
一時期は王妃であるオリビア妃にまで恋慕していた様で、リアム王の逆鱗に触れた事もある。
更に家の仕事に関わる事はなく、忙しいイザベラが不在なのをいい事に侍女にまで手を出す始末だ。
もちろん、その不貞行為をイザベラが許すはずもなく、彼女の夫に手を出した女たちは皆、庭の肥料になったと聞く。
(噂通りの人間だな)
「アーチー様、いいのぉ?そろそろ奥様が戻ってくるわよ」
「ああ、子猫ちゃん心配しないで、あいつは忙しいから戻ってきてもすぐに何処かに行ってしまうよ」
(お前も何処かに行けよ)
仕事を妻に押し付けて、自分は自由気ままに女を作るなど、男女共に仕事に明け暮れるカールソン家では絶対に在り得ない。ましてや小遣い稼ぎか、それとも暇つぶしなのか、潤沢な資産を持ちながらもカールソン領の金に手を付けるなど、エマにとっては憎悪の的でしかなかった。
「それよりも、デイジーには手を出されていないかい?」
アーチーが女を心配する様に娘の名前を出した。
「っうふ。だいじょうぶ。他の侍女達に彼女の世話は頼んだから。私の仕事は客人を案内して、今日は終わりよ」
どうやら相手の女は先程の横柄な侍女の様だ。
話を聞くと、デイジーは日常的に従者達へ暴力を振るっているらしい。予想は出来たが城の外でもなかでも彼女の残虐な行動は変わらない様だ。
アーチーからはセクハラを受け、デイジーからは暴力を振るわれる。こんな環境の悪い場所で働いていれば逃げ出したくもなるだろうと、先程何度も避けられた侍女達へエマは深く同情した。
部屋を出たエマは、今度はちゃんと部屋が未使用である事を確認し、侍女が身に着けている服に着替えた。
なぜそんな服を持っているのかと言うと、先程の淫靡な部屋に無造作に落ちていたので拾ってきたのだ。目的を果たせば返却すれば良いし、返せなくともあの淫乱女が困るだけなのでエマとしては問題がない。
恐らく侍女達が逃走するのは、自身が令嬢らしい服装だからと判断したエマは強姦の真似事をするのではなく、侍女に扮装する事でお近づきになろうと考えた。
服の持ち主は豊かな胸の持ち主の様で、胸囲は合わなかったが、それを除けば問題なく着こなせた。
一応不備がないか鏡を見て確認していると。
「あら、貴方、こんなところで何をしているの?」
部屋の掃除に来たのか、この屋敷に来て初めて侍女と出くわすことが出来た。
エマと同い年に見える侍女の顔には、化粧で隠しているのだろうが打撲痕が見え、ここでの生活がどれ程困難なものかを語っていた。
「あ、あの。私、新入りで、迷ってしまいまして。えへへ」
しかし今は他人に構ってはいられない。この機会を逃してはならないと焦る心を抑え、エマは精一杯ドジっ子を演じた。このまま薬が保管されている場所まで案内してもらえば目的を達成できるのだ。
掃除道具も持たずに意味もなく部屋にいたエマを怪く思ったのか眉間に皺を寄せてたが、何かを思い出した様にはっとした彼女はエマの腕を取った。
「あの、出来たら薬がある場所を・・・って、え!?」
「早くいくわよ!」
「行くってどこに!?」
予想外の出来事に驚きの声を上げるが、前を歩く侍女は振り返る事さえしない。早足で手を引っ張ってくれているが、恐らく薬へは到達しない事が予測できた。
「どこって!ご当主様のところよ!デイジー様の婚約者とそのお父様を連れて帰ってこられたのよ!」
この瞬間、エマの最優先事項は、薬を手に入れる事ではなく逃げる事に変更された。
(まさかこんな状況になるとは)
少しずつ雲行きが怪しくなっていく秋の空を眺めながら、ノアは吐き出したくなるため息を飲み込んだ。
「久しぶりだな。ルイス」
「イザベラも元気そうで何よりだよ」
ルイスと呼ばれた初老の男は銀髪オールバックに固めた礼儀正しい装いで、目の前に座るイザベラとの再会を喜んでいるように見えた。
日ごろから感情の読み取れないイザベラの本意は不明だが、細長く吊り上がった目に敵意は見えない。
イザベラとルイスの関係は、リアム王が前国王を討伐した時に終わったものだと思われていた。なぜならば、ルイスは前国王の専属騎士でありながらも、その戦には参戦せず、己の主を裏切り騎士を辞めてしまったからだ。
その行動はロックウェル家にとっても大きな打撃を与え、今でも父の存在は汚点として扱われている。
その父が裏切った主の姉であるイザベラとお茶を飲みながら対談しているなど理解出来るはずがない。
「ノアも顔を見るのは久しぶりだ。娘はよく会いに行っている様だが」
突然の訪問客であるノアにイザベラは嫌な顔一つせず声を掛ける。
王城の遣いからエマ達がマリアーノ邸へ向かったと報告を受けたのは早朝。会議で動く事の出来ないリアム王は自身の代わりにノアを派遣し対処するよう命じたのだ。
本来、リアム王の不在を狙っていたのだろうイザベラにとって、ノアは邪魔者だと思われるのだが、彼女はあっさりとその訪問を受け入れた。
そして何故か数年間も会っていない父を交えてお茶をしているのだ。まるで自身の訪問が予想されていた様な状況にノアは警戒心を高めていた。
「ご懇意にして頂いております」
その回答に満足したのか小さくすぼめた口でゆったりと紅茶を口にする。
イザベラは決して美しいとは称されない。
猛禽類を彷彿とさせる容姿は人を警戒させる事は出来るが男性を惹きつける力はなく、反対に己の優れた容姿を惜しむ事なく利用するデイジーは同じく端麗な容姿を持つアーチーの遺伝が強い様だ。
アーチーの優れた部分だけ似ればよかったのだが、デイジーは正にアーチー生き写し。イザベラの様に気高く聡明である兄弟と比べデイジーはお世辞にも賢いとは言えなかった。
「先ほどもルイスと話していたのだが、どうだろう。少し早いが住居をこちらへ移しては?」
蛇にも似た瞳孔をちらりと向け、イザベラは更にノアを困惑させる。
この不可解な状況に加え、さらなる追い打ちをかける言葉にノアの思考が付いていかない。
「ああ、そうだな。今回の件もお前に恋心を抱いている令嬢達がデイジー様に嫉妬した事が原因だと言うではないか」
誰がそんなことを言い始めたのかは予想が付く。
あの我儘姫はエマ達の暴行に怯え、度々訪れていた王宮から遠のいている。つまり、自分が足を運ぶことが出来ないのであれば、婚約者本人を引き込んでしまばいいと、強引な手段を取り始めた様だ。
「私もこれ以上、国王様との摩擦は避けたい。ノア。聞き入れてくれるな?」
有無を言わさぬイザベラの態度を見たところ、これは決定事項らしい。
主人であるリアム王の不在。婚約者同士である両親の面会。そして、現在マリアーノ邸に滞在しているだろうエマ達は『人質』だ。
イザベラの手によって全てが整えられたこの状況下で、出せる答えはただ一つ。
「仰せのままに」
暗い瞳をしたノアは絶対的な権力の前に跪くしかないのだ。




