17.己の立場
涙を流したら、パパが意地悪な侍女をクビにしてくれた。
痛みを訴えたら、ママが国中の医師を集めてくれた。
みんなディが大好き。
ディは可愛くて、愛されていて、世界の中心にいるの。
外傷は少ないが鞭で打たれた事で精神的なショックを受けたエミリアは、控えていた侍女と騎士の手によって王城へと運ばれた。
湖に残されたのは顔面を強打され大の字に地面へと転がったデイジーとそれを冷酷に見下ろしているエマと傍観者達。
有り得ない出来事に周囲は呆然と立ち尽くし誰もがデイジーへ駆け寄る者はいなかった。
「・・・ッい、痛い!痛いわ!!」
初めて受けた暴力は、その衝撃を自覚するのに時間が掛かるらしく、地面へ倒れてから遅れてデイジーが痛みを訴え始めた。
鼻を抑えた手からは数滴の血が滲み出ており、せっかく着飾った美しいドレスも血と土埃で汚れてしまっている。
「・・・こ、こんな事して!お母様に言いつけてやる!!」
周囲から助けの手が得られなかったため、自ら体を起こしたデイジーは元気いっぱいに喚き散らした。
いつもは可愛らしく『いやいや』と首を振り、周囲からの同情を集めていただろう少女も殴られるという経験した事のない衝撃を前に繕う余裕はない。
デイジーの声に反応した侍女達が手当のために近づこうとするが、目の前にいるエマの気迫に負けなかなか間に入ることが出来ない。
躊躇いのない拳を振るった当人は、腰に手を当て、自身がこの場の主であるかの様に傲慢な態度を取っている。
「あら。申し訳ございません。これも貧富の差ですね。私の領地では異常行動を取る動物や人間をこうやって躾けておりましたのでっ!!」
ッゴ!!
「ああ!!」
痛みを訴えるデイジーに対し、容赦なく拳を食らわせる。
必死に逃れようとするデイジーの髪を掴み、慣れた手つきで何度も拳を食らわせるエマを『異常行動』をとる者として認識しながらも誰も止める事をしない。
(こんな女。負ける気がしない)
暴力を振るいながらも冷静な思考を保つエマは、自身の手から逃れる事さえ出来ないデイジーを過大評価していた事に気が付く。
『王族』であるだけで、自分を守る知恵も技術も人脈も持たない少女は、このまま殺してしまえそうな程弱い生き物に思えた。
さすがに殴り殺すわけにもいかず、何発か食らわせてから手を離したところ、プライドだけは一流のデイジーが憎しみの籠った目で睨みつけてきた。
「許さない!貴方も、こんな事許すローゼンタールも!!必ずお母さまの力で皆殺しにしてやるわ!!」
興奮したデイジーが発した言葉にノアを含めた周囲の人間の顔色が青ざめていく。
この場にいもしないイザベラの存在は、名前を出しただけで場を凍らせる程に影響力を持つことがわかる。
しかし、エマだけは冷静にそして侮蔑の色を含みながらデイジーを睨み返していた。
「何を勘違いされているのです?糾弾されるべきは貴方ですよ?一介の騎士の婚約者ごどきが国王の側室に手を挙げるなど言語道断です」
エマが主張したのはエミリアとそしてデイジーの立場だった。
側室としての役割は果たしていなくとも、彼女の立場はこの王宮内で上位にあると言える。それに対し、母親であるイザベラやリアム王の許可を得ずに王城へ滞在するデイジーの立場はノアの婚約者でしかない。
デイジーが正式な手順を踏み王城へ招かれていれば彼女の立場に敵う人間など国王と王妃しかいないが、彼女はその手順を省き、婚約者であるノアの許可を得る事でこの場に立っているのだ。
ここでの立場をリアム王の前で明確にすることは、自身の行為を正当化すると共に、もう一つ重大な役割がある。
「リアムの側室が何よ!私は王族よ!令嬢ごときが手を上げていい存在じゃないわ!!」
「王族の名を嵩にかけ過ぎではないですか?」
冷酷なオーラを発するエマの背後から、同じ様に怪しい眼光を光らせるアイラが登場する。
その手には先程エミリアを打ち付けた鞭を携えており、それを無意味に宙へと振り回し不気味な音を鳴らす。
馬を前に怯えていた少女の豹変ぶりに、王や王妃が驚愕の表情を浮かべるが、その場を動こうとする者はだれ一人としていない。
それは、先ほどエマが『国王の側室』と『騎士の婚約者』という立場を明確にした事で、『王族と貴族』の争いから『令嬢同士』の争いへ状況をシフトさせたからだ。
つまりこの戦いは、顔面を強打されたデイジーと『躾の行き届いていない家畜』を目の前に、凍てつくオーラを放つエマとアイラによって行なわれる事が決定した。




