2.噂
白い上質な布に可愛らしいピンクの薔薇を刺繍したテーブルクロスの上には、これまた可愛らしい花模様が描かれたティーセットが用意されている。
室内は女の子が好む愛らしい装飾が施されており、扉や椅子、ティーカップなどの小物にさえ心をときめかせる細工が施されていた。
初めて噂の『サロン』に足を踏み入れたエマは、自身とは異なる愛らしい雰囲気と、上機嫌に満面の笑みで微笑みかけてくるエミリアの気味の悪さに内心穏やかでいられなかった。
「またカールソン嬢にお会いできるなんて嬉しいです」
いつの間に領地から戻ったのか、同じ席にアイラも同席し、当たり前の様に話し掛けてくる。
「私がお誘いしたのですよ。というよりも、なぜノヴァック嬢が同席してるのです?」
エミリアにとってアイラは招かざる客だったらしく、冷たい視線でアイラを睨みつける。
「クラウディン嬢は『素晴らしい者』をお作りになるのでは?」
現在友達募集中のエミリアに対し、その冷たい態度を叱責するため嫌味を含みながら小言を伝えた。権力を持つ領主の娘は、その性か気を抜くとマウントを取ってしまう。
「!!そうでしたわね。ノヴァック嬢。私、貴方のお友達になって差し上げても・・」
「いえ、結構です」
(即答!?)
気弱でガラスの心を持つエミリアとは反対に、友好的な申し出を満面の笑みで拒否するアイラは、令嬢に囲まれ怯えていた娘とは思えない程堂々としていた。
恐らくアイラが怯えていたのは、『馬』に対してであったのだろう。慣れない動物が近くにいる事が、彼女にとっては恐怖だったのだ。
その証拠に、馬がいない場でのアイラは常に自由で堂々とした印象を受けたため、元々はそういう性分の様だ。
「っう・・・」
差し出した右手を強引に押し付ける事も出来ず、かと言ってあっさりと引いて何事も無く装う事も出来ないエミリアは、瞳を潤ませながら固まった。
憐れには思えたが、短い彼女との付き合いの中で『優しく声を掛けたら泣く』事を覚えたエマは、友人の醜態を目に入れぬよう顔を逸らしアイラへと話し掛ける事にした。
「サロンはご令嬢に人気だと聞いたのですが、ずいぶん人数が少ないのですね」
許可なく外出する事の出来ない環境で、唯一の息抜きとも言えるサロンには、暇を持て余した令嬢達が毎日の様に通っていると聞いていた。だが、実際に周りを見渡してみると、エマ達を含めても10人程の令嬢しか確認できない。
棟は本棟以外に3棟あり、それらに平等な人数の令嬢が配置されたと聞く。ならばサロンには全員でないにしても20~30人程いてもおかしくないのだが、予想よりも人数が少ない。
「・・・以前は30名程いらっしゃったのですが、段々と人数が減りまして・・・」
周囲に聞かせたくない話がある様で、アイラが声を潜めながら顔を近づけてくる。
「そ、そうなのです。私もそれは気になっておりましたわ」
誰も声を掛けてくれない状況で切り替えのタイミングを窺っていたのだろう。先程まで赤面顔で固まっていたエミリアも『令嬢の減少』という話題に、今だとばかりに食らいついた。
「ご病気、でしょうか?」
「いえ、半数以上が掛かる流行病でしたら耳に入らないのは不自然です。それよりも私には気になる噂がありまして・・・」
そう声を潜めて話すアイラの噂話は、サロンを訪れる令嬢達の間では有名な話の様だった。
ある令嬢がサロンを通じて一人の令嬢と友達になった。その令嬢は人見知りで、初めてできた友達に喜び、毎日の様にサロンへ足を運んでは他愛無い会話を楽しんだという。
だが、ある日の事。いつも通りサロンへと向かってみるとその令嬢の姿がなかった。
いつも通りの時間。いつも通りの席で待っていたのだが一向に友人は現れない。不思議には思ったが『きっと体調が優れないのだろう』とその日は諦めて部屋へ戻ったという。
だがその日を境に友人がサロンへ訪れる事はなかった。
残された令嬢は何の音沙汰もなく消えた友人を心配し、秘密裏に友人の捜索を始める。
王城内では侍女や他の令嬢に、城外では人を派遣し友人の領地にまで捜査の手を伸ばしたが友人は見つからない。
中々見つからない友人を思い疲弊しきったその令嬢は、涙ながらに王へと『友人を探してほしい』と訴えた。すると、王は、
「『あれはもう処分した。己の身が可愛いのならば大人しくしていろ』っと冷徹な笑みを浮かべそう吐き捨てたっと・・・」
「っひぃ」
残虐王に処分されそうになったエミリアが顔を青くしながら震え始める。あの時の経験が相当トラウマらしい。
起承転結と完璧に作り上げられたその噂は、この夏の始まりにぴったりな肝を冷やす話として作り上げられていた。暇を持て余す令嬢達は物語が大好物な様で、王子様や騎士が登場する恋物語もあれば、先程の様な背筋を凍らせる内容も季節によって好まれていると聞く。
(まぁ、在り得ないな)
アイラから話を聞いたエマがっふとあの正義感の強い若き王の事を思い浮かべる。
民には優しく、そして貴族を毛嫌いするその王は、罪を犯したエミリア達を公開処刑しようとしていた。彼は見せしめを欲しがっていたのだ。
それにも関わらず秘密裏に令嬢を処分するなど何のメリットもない。ましてや領主のご息女を手に掛ければ、それは王宮内に留まらず国中に知れ渡る程の大事件として扱われるはずだ。
根も葉もない噂だという事はアイラも理解しているようで、雰囲気を出すために声を潜めて話していたが、話を終えると『ないない』と首を横に振り、信じていない様子が窺えた。
「なぜそんな根拠のない噂が?」
「恐らく、国王様が貴族を嫌ってらっしゃる事が原因ですわ。王妃様も平民から選ばれましたし、貴族の娘など相手にするはずがないと・・・」
「え!?王妃様が?」
エミリアから伝えられた衝撃の真実につい大きな声を上げてしまう。
「ご存じありませんの?オリビア妃は元々平民の方ですのよ」
どうやら貴族の間では有名な話のようで、社交界に一切関わらなかったエマの耳には入ってこなかった。
出会いの経緯などは語られていないが、次期国王第一候補であるリアム王が平民と婚姻を結んだ事は当時王族の間で大問題となったらしい。
特にその時の王であり討伐された前国王が猛烈に反対し、オリビア妃に手を掛けようとした。それは、元々父の存在を良く思っていなかったリアム王の逆鱗に触れ、反乱を起こす切っ掛けとなったと言われている。
(王族の恋は国をも巻き込むのか)
規模が大きすぎる恋に呆気に取られたが、あのおっとりとしたオリビア妃が平民だと言うのは少し納得が出来た。分け隔てない慈愛の心を持ち、惜しげもなく周りへ振る舞うその姿は国の母となる王妃に相応しいのだが、リアム王が持つ王族としての威光や近寄りがたさがなく、エマにとっては好感が持てる人物だった。
「それも大分貧困層だったようで、噂では窃盗や売春にも手を出していたと・・・」
「ただの噂ですよ」
周囲を気にしながら身を縮め、囁くように話すエミリアの声を凛としたよく通る声がかき消した。
その途端、サロン内にいた令嬢達がざわつき始める。カップを持ちながら硬直し動かない者や、そっと口元を手で隠し紅を差す者、中には席から離れ声の主の傍へと近づく者までいた。
(なぜここに)
皆が頬を赤らめながら自身の背後に視線を集中させる光景を異様に感じながら、ゆっくりと後ろを振り返る。
「お久しぶりでございます。皆さま。カールソン嬢もお元気そうで何よりです」
そこには天使の様な柔らかい笑みを張り付け、上品な物腰で一礼を取る美しい騎士がいた。
ノアの存在に興奮し歓喜を上げる令嬢達とは異なり、敢えてエマの名を口にし周りへ『特別扱い』をアピールするノアは、エマにとって厄介事でしかなかった。
「っひぃ」
呆れ顔のエマの隣では、小さく悲鳴を上げる友人の姿が。以前はため息交じりに頬を赤らめていたエミリアだが、王専属騎士のノアを目の前に悲壮感を浮かべていた。
どうやら謁見の間での出来事以来、リアム王のみならず王の側近とも呼べるノアの存在さへ恐怖となってしまった様だ。
(王を目の前にしたら死ぬのでは?)
新しくできた友人の心臓の弱さを懸念しながら、いつも通り笑顔を張り付けた騎士へ負けないくらいの笑みを張り付けノアへと対峙する。
「お久しぶりでございます。王専属騎士様もお元気そうで何よりでございます」
深々と慇懃無礼に挨拶をするエマを見て、ノアの口元が一瞬ひくりと動いた。
美貌の騎士の防波堤などさらさらなる気は起きず、その名を一切口にする事無く挨拶を済ませる。
お互いに凍り付いた笑みを張り付け、無言のまま向き合う。表情とは裏腹に凍てつく様な空気を纏っている様子が傍からでも感じられる様で、エミリアがしきりに腕を擦り出した。
「あ、あの、騎士様はなぜサロンに?」
不穏な空気に耐えられなくなったアイラが微動だにしないノアへと声を掛ける。
「・・・申し訳ありません。ご令嬢方の聖域に入れる立場ではないのですが、緊急の用がありまして」
聖域を荒らされた令嬢達は歓迎ムードで迎えているようだが、ノアはその場を逸早く立ち去りたい様だった。笑顔を張り付け余裕そうな態度を見せているが、やはり令嬢達から向けられる慕情を含んだ視線は苦手な様子だった。
「用、とは?」
面倒事を感じ取り思わず敬語を使い忘れるが、目の前の男は涼しげな表情を崩さず受け流した。代わりにノアに夢中な令嬢達から非難の視線を浴び、自身の失態に舌打ちしそうになる。
張り付けた満面の笑みに周りから感じ取れない程度の意地の悪さを含んだノアが、着席しているエマと同じ目線になるように腰を屈め口を開く。
「カールソン嬢、王妃様がお呼びです、ご同行願えますか?」
ね?っと軽く首を傾けたノアは令嬢達にとっては歓喜する程愛らしく、エマにとっては妖艶の魔術を使う化け物の様に恐ろしく見えた。




