7.変装
「はああ、本当に男の方だとは、何て美しいお顔なのかしら」
「ほんとに、きっとこの色が似あうわよ。ちょっと首を傾けてみて? あら、完璧!」
「……」
娼館の女性たちが嬉々としてノアを囲み、化粧や衣装の手直しに余念がない。華やかな笑い声と香水の甘い香りが室内に満ちる中、ノアは表情を変えず、黙々とされるがままになっていた。
まるで文句ひとつ言わず、訓練された兵士のように身を委ねているその様子に、女性たちは感嘆の声を漏らしつつも、ひときわ興奮を募らせていた。
一方その傍らで、オーウェンとエマは小声で会話を交わしていた。
「すみません……うちの馬鹿たちが、あんな形で巻き込んでしまって」
エマが小さく頭を下げると、オーウェンは肩をすくめながらも晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
「いやいや、気にしなくていいさ。町にはグレル様がいたんだ。どんな手を使ってもノア君を引き止めることはできたはず。でも、彼はここにいる。つまり、グレル様はノア君にここを見せることを許したんだよ」
その口ぶりは確信に満ちており、まるで既に一手先、二手先を読んでいるかのようだった。
「しかし、先程の説明で納得されているとは思えません。もしこれ以上探られたら……」
「大丈夫、大丈夫。ノア君は探りを入れたりしないさ」
オーウェンはそう断言すると、扇子を片手に自信たっぷりに笑ってみせた。
「なぜそう思うのです? 彼は恐らくリアム王の命で動いています。王に真実を届ける使命を負っているのなら、今頃この建物ごと兵を呼び寄せていてもおかしくありません」
エマの問いはもっともだった。けれど、オーウェンはどこ吹く風といった様子で肩をすくめる。
「どうかなぁ。もしそんなことしたら――カールソン領はどうなると思う?」
ちらりとエマに目をやるオーウェン。その目は冗談めいていたが、その奥には薄く鋭い意図が潜んでいた。
エマはハッと息を呑む。
(そうだ。カールソン領に何かあったら、妃の側室である自分の立場もただでは済まない)
リアム王は冷静な判断をする人物だが、彼にとっての"妃の一人"を守るために地方領をかばう義理があるかと言えば、否だった。
その緊張に気づいたのか、オーウェンが急にくすりと笑う。
「ま、安心してよ。僕もグレル様もね、一流の商売人だ。人を見る目くらいはあるさ」
そう言うと、ふと遠くを見るような目をして、ぽつりと呟いた。
「あーあ、いいなぁ。僕の家はさ、殺伐とした夫婦ばっかりで……僕も温かい恋をしてみたいなあ」
突然の話題転換に、エマは困惑したように首を傾げた。
「……はあ、よい婚約者ができるといいですね」
オーウェンは苦笑しながら「ねー」っと首を傾けた。
行き飲む美しさとは、まさに今この瞬間、目の前にいる人物のためにある言葉だろう。
華やかに着飾ったノアは、まるで絵画から抜け出してきた天女のようだった。白い肌に映える淡い桃色の衣装、ゆるく流れる髪に添えられた飾り紐。見る者の心を奪わずにはいられないほどの儚さと気高さを兼ね備えていた。
「はああ……さすがノア君……君は人類すべてを魅了してしまいそうだ」
惚けたように呟くオーウェンに、ノアは顔を背けながら口元だけで冷たく微笑む。
「そのようなお言葉、私にはもったいなく思います」
皮肉とも嫌味とも取れるその言い方に、オーウェンはにんまりと笑った。ノアのそういうところもまた面白いらしい。
一方、衣装の着付けを担当した女性たちは、興奮したようにキャッキャと黄色い声を上げている。だが、どれだけ見目麗しく装っても――その声を聞けば、誰もがノアが男であることを思い出すだろう。
「ノア様のお姿だけを変えても、完璧な偽装にはなりません。話せばすぐに男だと分かってしまいます」
エマが冷静に指摘した声には、多少の焦りが滲んでいた。
この場にいる者の中で、ノアの外見に惑わされていないのは、もはやエマとオーウェンだけだった。
「確かに美しい声ではあるけれど……聞かせてしまっては意味がない。だから、彼には“耳が聞こえない”という設定で通してもらおう、会話はすべて筆談に切り替えてさ」
オーウェンはまるで冗談のように言ったが、その瞳は真剣だった。
確かに、難聴という設定にすれば口を開かせる必要がなくなる。正体を悟られるリスクも減る。
だが、それ以上に――とオーウェンは唇の端を上げた。
「耳が聞こえない相手に、人は警戒心を抱きにくくなるからね。油断した相手から、貴重な情報がぽろりと落ちてくるかもしれない」
「……悪趣味ですね」
呆れたように呟いたエマに、オーウェンは「それほどでも」としたり顔を返す。
ノアはその会話を黙って聞いていたが、筆談用に渡された一枚の紙を手に取り、指先でその滑らかな感触をそっと確かめていた。
(果たして、これで本当に騙せるのか……)
エマの胸に渦巻く不安は、衣装や作戦の整い具合とは裏腹に、少しずつ大きくなっていくのだった。




