6「連続殺人の幕開け」
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総一郎さんと豊さんはそれぞれの部屋に残り、僕らはまた耕大さんの案内で屋敷を巡ることになった。貴重品を除いて、荷物はとりあえず総一郎さんの部屋に置かせてもらった。
食堂、調理室、居間、客間……と順々に見ていく。
やはりすべての部屋が、一般的な住宅よりもひと回り大きい。どの部屋もきれいに片付いていて、空間にゆとりがある印象だ。それは広さのためばかりではない。余計な物が置かれていないのだ。家具も調度も、造りや材質から上等な品であると判る一方で、シンプルなデザインに統一されている。
生活感が希薄……僕にはそう感じられた。住宅と云うよりもホテルに近いような。
無論、すべての部屋を回るわけではない。耕大さんは一階の主な部屋を紹介し終えて、次は二階に移ろうとする。そして階段に差し掛かったところで、ちょうど男性がひとり下りてくるのと出くわした。
「よーう。あんたが噂の探偵サンか?」
ボサボサに乱れた髪。小馬鹿にするような目つきで僕らを見下ろし、その口元は意図的に歪められている。上下ともに白のジャージ姿で、両手はポケットに入れている。
人を見た目で判断するのは良くないが、それでも僕は、この場所にこれほど似つかわしくない印象の人物がいることに驚いてしまった。天地家に加わりたいと志願する人は今でも絶えない。そのうち、本当に限られた人だけが選ばれているはずなのに……。
「若いな。いくつだよ」
しかも彼は一貫して僕を見続けている。足を止めたのも僕の前だった。
「十九ですけど……あの、僕は探偵じゃないですよ」
「あれっ、そうなの? じゃあ誰だよ、あんた」
僕が名乗る前に、耕大さんが「拓也、説明しておいたじゃないか」と割って入る。
「彼は小説家の塚場壮太さんだ。探偵は彼女。桜野美海子さん」
「マジかよ! 探偵ってこっちい? 女じゃん!」
拓也と呼ばれた男性は、動揺を露わにしつつ桜野を見下ろした。
桜野の方は飄々として男性を見上げる。口元には微笑すら浮かんでいる。
「よろしく。私も十九歳だよ」
「ははは、冗談だろ。おい耕大さん、なんでこんな子どもに依頼したんだよ。受けてくれたのがこいつらだけだったのか?」
「拓也、頼むからそれ以上、失礼なことを云わないでくれ」
耕大さんは顔が引きつっている。
「お前は、こちらの二人がどんなに実績のある人達か知らないんだ」
「そりゃ知らねえよ。聞いたこともない。大学生クイズ王か何かか?」
「探偵と、小説家の先生だと云っただろう。二人とも、難事件をいくつも解決している」
「こいつらがあ?」
「そうだ。本当なら、今回みたいな依頼は受けてもらえないんだ。人が死んだわけでも、物が盗まれたわけでもないんだからね。総一郎の名前のおかげで特別に来てくれたんだぞ」
「へえ。なーんか……偉いんすねえ?」
男性は急に下卑たような笑みを浮かべ、桜野と僕を交互に見た。
僕はかなり居心地の悪さを覚えた。しかし桜野はどこ吹く風で、
「天地拓也さん。家族に入ったのは半年前なんだよね?」
「ああ、そうだよ」
「貴方から見て、この天地邸での暮らしはどう?」
「ま、悪くないんじゃん? お世話になってる身で文句は云えないわな」
僕は手帳のメモを確認する。天地拓也という名前は書いていない。桜野は、彼が家族入りしたのは半年前だと云った。僕がネットで調べたデータが少し古かったようだ。
どうしてこのタイミングで、拓也さんは加わることになったのだろう?
耕大さんを見ると、彼は額に汗を浮かべて、拓也さんと桜野のやり取りを見守っている。
「例の手紙、と云って伝わるかな? 此処の郵便受けに入っていた手紙のことだけど」
「伝わるよ。脅迫のことだろ?」
「天地家がそんな脅迫を受ける心当たりはある?」
「ちょっと待てよ」
拓也さんは両の掌を桜野に向けた。
「その質問はおかしくねーか? それを突き止めるために、あんたが来たんだよな? 俺達に心当たりがあったら、あんたに頼む必要ないよな?」
「うん。たしかにそうだねぇ」
「なに笑ってんだよ」
彼はわざとらしく肩をすくめて見せると、誰にともなく「この探偵、本当に大丈夫なのかねえ?」と問い掛けた。桜野が云われ放題の状況に、僕は歯がゆくて堪らなくなる。早く桜野の実力をこの人に認めさせたいが、あいにくと桜野はマイペースなのだ。
そう思っていると、拓也さんが今度は自嘲気味な呟きを洩らす。
「ま、脅迫を受ける理由は色々あるけどなあ……」
「拓也!」
耕大さんが怒鳴った。すかさず相手は両手を上げる。
「はいはい、判ってるよ。俺からは何も云わないって」
「そんな云い方もよせ」
「なにが?」
「隠し事があるみたいに聞こえるじゃないか」
「あのさあ……耕大さん、それってどうなんだよ?」
気付けば、急速に場の緊張が高まっている。
耕大さんのギョロリとした両目が拓也さんを正面から見据え、拓也さんの方も視線を逸らさず睨み返している格好だ。ただし、その口元には軽佻浮薄な笑みが浮かんでいる。
「隠し事はあるだろ? どこの家族にだって」
「拓也、お前はそれでも――」
その時、ピンポーンというチャイムの音が廊下に響き渡った。
気勢をそがれた格好の耕大さんは、腕時計を見て「久保田さんか」と呟く。それから決まり悪そうにしつつ、
「拓也、此処はいいから久保田さんを出迎えてくれ」
「は? 俺が?」
「お前がだ。客間にお連れするんだぞ」
「そんなことしなくても勝手に入ってくるだろ」
「いいから。俺は桜野さんと塚場さんに、屋敷の中を案内している最中だ」
「はいはい、判ったよ。従いますよー」
彼はふざけた調子で手を振り、廊下を玄関の方へと進んでいった。
その姿が角を曲がって見えなくなると、耕大さんは額の汗を手の甲で拭いつつ苦笑する。
「いやあ……お見苦しいところを見せて申し訳ない。拓也はあのとおり、少し問題児でね。もし気分を害してしまったなら……」
「害してないよぉ。それより久保田さんというのは?」
「ああ、医者の先生だよ。ずっと俺達の家族を担当していて、隔週の水曜日に来てくれるんだ。今日がちょうどその日でね」
「そんなふうにこの屋敷に通ってくる外部の人は、他にもいるの?」
「他にはいない。総一郎も俺も、仕事のやり取りはメールか電話だ。しかし診察となると、実際に来てみないと判らないこともあるだろう?」
話していると、どこかからスピーカー越しと判る少しザラついた音声で『あーい。いま出ていくよー』と云う拓也さんの気怠そうな声が響いた。
耕大さんの説明によれば、天地邸ではインターホンの機器が数箇所に設置され、やり取りの音声はこれも各所に取り付けられたスピーカーから流れるようになっているらしい。広い屋敷なので、そうしないと対応状況が判らないのだと云う。
さらにインターホンは、相手が門なのか玄関なのかをチャイムの音の違いから識別できるようになっている。いま久保田さんが鳴らしたのは玄関の方とのことだ。僕らと違って、天地家と親交の深い医者の先生は門を素通りしたのだろう。
「久保田さんにも後で会わせてもらえる?」
「もちろん。それまではどうぞ、二階に上がってくれ。残りの家族を紹介するよ」
「明るいうちに、外を回った方がいいんじゃないかなぁ」
「大丈夫だろう。まだ日没まで時間がある。さあどうぞ」
促されるまま、桜野と僕は階段を二階へと上がった。
二階の内装も一階と変わりはない。ただ扉と扉の間隔がやや狭いという程度だ。一階は共用スペースが多く、二階は個人の私室が多いためだろう。もっとも、私室は一箇所に固まってはおらず、他の娯楽室だの衣装室だのシアタールームだのに混じって、二階のあちこちに点在しているようだ。
耕大さんは僕らを追い抜かすと、しばらく進んだ先の扉をノックした。中から「はあい」と女性の声が返ってくる。
「桜野美海子さんと、塚場壮太さんをお連れしてる。入ってもいいかい?」
「待って! 入らないでください。私が廊下に出ますからあ」
「判った。そうしよう」
耕大さんは僕らに「満代の部屋だ」と説明する。扉にも『mitsuyo』と書かれたプレートが貼ってある。
一分ほどしてから扉が開いて、部屋の主が廊下に姿を現した。
「申し訳ありません、お待たせいたしました。天地満代ですう」
彼女は桜野と僕と順番に目を合わせてから、丁寧にお辞儀した。腰まで届きそうな黒髪が肩を滑り落ちるようにして垂れる。背丈も高い。一七〇センチ近くあるだろうか。格好はフリルのついた淡いピンク色のエプロンドレス姿で、足元のスリッパも同色だ。
僕も桜野の分と併せて自己紹介し、頭を下げた。
「満代は俺と同じで、最も古くから天地家にいるんだ。応募してくれた人達の中から、総一郎が最初に選んだ家族でもある」
「たまたま、総一郎が親身になってくれただけですよお。私自身には、何も特別なことはありませえん」
満代さんは両手をパタパタと振る。抑揚のついた喋り方といい、大振りな動作といい、随分と愛嬌のある人だ。先ほどからずっと笑顔のままで、両目がほとんど開いていない。
桜野が反応しないので、例によって僕が付け焼刃の知識で言葉を返す。
「満代さんも、ご両親の宗教上の理由で、無戸籍のかたなんですよね?」
「そうですう」
「総一郎さんが天地家を組成されたのは、やはり大きな助けとなったんですか?」
「もちろんですよお。なにしろ、身分を証明できるものがありませんでしたから。普通のアルバイトすらできなくて、どうやって生きていったらいいんだろうと途方に暮れていましたあ」
それは大変ですね――と云おうとして、言葉が喉で止まった。他人事のように聞こえてしまうことを恐れたのだ。
しかし他にどう云ったら良いのだろう? 戸籍も、住民票も、身分証明書も、当たり前に持って生きてきた人間が。
「此処では普段、どんなふうに過ごされているんですか?」
僕は話題を変えた。誤魔化しただけではない。これも気になっていたのは本当だ。総一郎さんは執筆活動をしているけれど、他の人は何をやることがあるのか。
満代さんは人差し指を顎にあてて、
「私は結構、家事をしていることが多いですねえ。一日のうち、掃除と洗濯だけで多くの時間が流れます。広い屋敷ですからあ」
「なるほど。料理も満代さんがしているんですか?」
「そうですう」
「いやあ、満代には頭が上がらないよ」と、耕大さんが頭を掻いた。「俺は料理ができないし、この家の資産を管理したり、消耗品の発注をとりまとめたり、色々と雑務を抱えているからね。家事はつい満代に頼ってしまう。それに彼女はとても料理の腕が良いんだよ」
謙遜なのか、満代さんは「いえいえー」と云って両手を横に振る。
「総一郎は作家としての活動に、豊の介助もしている。もちろん豊に家事はできないし、拓也は……あんな感じだろう? たまに力仕事が必要になると頼んでいるけどね。あとは恵がいるだけだから」
「恵さんというのは……最年少の女の子ですよね。いま八歳ですか?」
僕が手帳のメモを見つつ訊ねると、耕大さんは「そうだ」と肯定した。満代さんが「恵は洗い物を手伝ってくれるんですよお」と補足する。
総一郎、耕大、満代、拓也、豊、恵。この六名が現在の天地家か。
説明を受けてみると、たしかに毎日それなりに過ぎていきそうである。家のことに非協力的らしい拓也さんはともかく。
「二年前までは」と、ずっと黙っていた桜野が口を開いた。「伊予さんという家政婦がいたんだよね? 屋敷の近くで転落死したって話だけど」
「うん。あれは可哀想な事故だった」
耕大さんは眉間に皺を寄せて、遠い目をした。
「家政婦と云うからには、家事全般は伊予さんが務めていたんだよね。新しい人を雇うつもりはないの?」
「その予定はないなあ」
「どうして?」
「伊予さんも、いつまでも居てもらう予定じゃなかったんだよ。家族だけで生活を完結させることが総一郎の……つまり俺達の理想だ。家政婦を雇っていることに、批判も少なからずあった。だがね、色々と手探りの状態で……有り体に云ってしまうと、余裕がなかったものだから。落ち着くまではと思って、雇っていたんだ」
「伊予さんが転落した場所にも、このあと案内してもらえる?」
「え?」
桜野の問いに、耕大さんは虚を衝かれた様子だった。
「構わないが……今回の手紙の件と、何か関係があるのかい?」
「まだ判らないよ。でも気になる点だよねぇ。六年前の豊さんと、二年前の伊予さん。八年の間に、この天地家では二つの不幸な事故が起こって――」
桜野の言葉は云い終わらなかった。
先ほどのチャイムの比ではない。大地を揺るがすような轟音が鼓膜を打った。それは短い間に連鎖的に炸裂した。僕はそれまでアニメや映画でしか聞いたことがなかったけれど、直感的に爆発音のようだと思った。
その直後、あるいはほとんど同時、本当に足元が振動した。いや、足元ではなく屋敷全体が顫動している。満代さんが叫んだ。耕大さんは「地震か!」と怒鳴った。しかし揺れよりも音なのだ。何か大量の、雨ではない、もっと質量を持ったものが屋根に降り注ぐ音が続いた。心臓が圧迫されるような、根源的に何か深刻な不安を覚えさせるような音だ。廊下の先で、外に面していた窓が、一瞬にして真っ黒く塗り潰されるのを僕は見た。隣で壁に手をついている桜野もそれを見ていた。このとき、世界は暗れ塞がれたのだ。
僕には、何が起きているのか理解できなかった。
桜野はどうだったのだろう?
これが完全なる閉鎖空間と化した天地邸で展開される、地獄のような連続殺人事件の本格的な幕開けであるということに、この時点で思い至っていたのだろうか……?




