3「天国と地獄の処刑人」
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「総一郎さん、会えて光栄だよぉ。貴女は私が敬愛するミステリ作家のひとりだ。この屋敷にも一度来てみたいと前々から思っていたんだよ。此処は仕事部屋?」
「ありがとう、美海子ちゃん。そうね、此処はあたしの書斎よ」
「執筆も此処でするの?」
「ええ」
「じゃあ、天地邸を建てて以降の作品は、みんな此処で生み出されてきたんだね。実に興味深いよ。どれも傑作だけど、私が一番好きなのは『ロマネスク暴露的アーキ』かなぁ」
「あは。やっぱり通好みのものを選ぶのね」
「はじめて純粋にミステリの要素だけで書かれた天地総一郎作品だからねぇ。それでいて最も志の高い作品だ。あんなにも要素を網羅しながら、アンチミステリに陥らずに本格の謎解きを展開してみせたのは、他に類を見ない快挙だと思うんだよ」
桜野は珍しく興奮している様子で、総一郎さんの方は嫌な顔ひとつせずに対応している。これではどちらが依頼を受けた側か判らない。仕方ないので僕が「今回は読者じゃなくて探偵として来たんだろ」と云って一旦落ち着かせた。
デスクの前方に、背の低いテーブルを革張りのソファーが挟んでいる応接セットがある。総一郎さんと僕らは其処に向かい合うかたちで腰掛けた。耕大さんは珈琲を淹れてくると云って部屋を出ていった。
「壮太くんまで来てくれて、とても嬉しく思うわ。本当にありがとう」
総一郎さんは僕にも、その魅力的な微笑を向けた。まだ二十代にしか見えない若々しい見た目の一方で、その物腰の落ち着きぶりから一廉の人物であることが伝わってくる。威圧的な感じはまったくないのに緊張してしまう。
「すみません……依頼を受けたのは桜野なのに、ついてきてしまって」
「とんでもない。あたしは壮太くんの小説をすべて読んでいるのよ」
「えっ、そうなんですか」
まさか天地総一郎が。僕は途端に冷や汗が出た。
「いつも楽しませてもらっているわ。最近の『桜野美海子と美しき曼陀羅』も良かったわね。マンダラチャートを使った犯罪計画を、推理だけで再現して犯人を追い詰める。最後の穴が埋まった場面には震えたわよ」
「まあ、すごいのは桜野で、僕は彼女の活動を書いているだけですから」
さらに桜野が「私だって謎を解いているだけで、その謎をつくったのは犯人だよ」と付け加える。僕は頷いて、
「そういうわけなので、あまり誇れません。オリジナルの事件や物語を創作されている総一郎さんこそ、ミステリ作家として在るべき姿だと思います」
「在るべき姿、なんてものはこの世にないわ」
総一郎さんは微笑を浮かべたまま、やや強い語調で否定した。
「それにあたしは、現実の謎の前にはまったくの無力なの。だからプロである貴女たちの力を借りたい。早速本題で申し訳ないけど……例の手紙の、これが実物よ」
彼女はテーブルの上に置いてある、長形3号の茶封筒を手で示した。
桜野が、バックパックから取り出したビニール手袋を手に嵌めて拾い上げる。封筒の中にはA4のコピー用紙が三つ折りにされており、開くと奇怪な文章が印字されている。
『地の底に沈め。罪人は地獄に落ちなければならない。』
『天国と地獄の処刑人より』
あらかじめ聞いていた文章だ。実物を見ても、やはり印象は変わらなかった。
何かの告発か、脅迫か、予告か。いずれにせよ物騒な内容である。しかし抽象的だ。具体的なことが書かれていない。これではどう解釈したら良いものか反応に困る。
この封筒が五日前、天地家の玄関前に置かれていたのだと云う。
「心当たりはないんだよね?」
「ええ。〈天国と地獄の処刑人〉なんて知らない。罪人呼ばわりされる謂れもないわ」
桜野の問いに、総一郎さんは首を縦に振った。
「あたしも含めて、長い者は八年間、ずっと此処で暮らしている。あたし達と社会との繋がりは極めて希薄よ。このような敵意を向けられるような利害関係が、どこに成立すると云うのかしら?」
「差出人を外部に想定できないなら、内部の人間ということになるけどねぇ」
「それは……家族の誰かという意味?」
「うん。総一郎さんも、まったく疑ってないわけじゃないでしょ?」
桜野はコピー用紙を三つ折りにして封筒の中に戻すと、それを掲げて見せる。
「この封筒には、宛先も差出人も記載されていない。消印もないし、郵送されたものじゃないのは明らかだ。差出人が自ら、玄関前に置いたということだよ」
「でも、それは郵送すると足が付く危険があると考えたのかも知れないわ」
「そうかなぁ。差出人を書かなくても、宛名と切手さえあれば郵便物は届く。この家だって住所はあるわけで、郵便物の受取は可能だよね?」
「ええ」
「筆跡を残したくないなら、印字したシールを貼り付けるとか、いくらでも方法はある。自分と縁遠い土地まで移動してポストに投函すれば、居住地だって推定されない。差出人が外部の人間である場合、ただでさえアクセスの悪いこの家まで自ら出向くより、郵送した方がずっと簡単で危険も少ないと思うよ」
間延びした口調とは裏腹に、緻密な論理を組み立てていく桜野。
「一方でこの家の人達は、原則として敷地の外に出たらいけないんでしょ? 自家用車もないみたいだし、こっそりと麓まで下りて郵送を用いることで、疑いを外部に向けさせるなんて真似ができないわけだ。宛名と切手はともかく、消印を偽装するのは難しい。そうやって考えていけば、自然と何も書かれていない封筒を玄関の前に置いておくという結果に落ち着く」
「あは。ごめんなさい」
総一郎さんが急に破顔した。
「少し美海子ちゃんを試したくなってしまったの。そうね。さっきはあんな受け答えをしたけど、あたしも貴女と同じ見解よ」
「うん。天地総一郎ともあろう人が、この程度のことを考えないはずがないよ」
口元を綻ばせる桜野。気分を害した様子はない。
「その封筒も、中の用紙も、使われているのはこの屋敷にあるものと同じだわ。もちろんPCやプリンターもあるから、すべてこの屋敷で作成が可能ということになる」
「そこまで確認できているんだね。それで、差出人が家族の誰かだとしても、心当たりがないのは本当?」
「本当よ」
「最初に封筒を発見したのは誰?」
「さっき貴女たちを此処に案内した耕大だわ」
その時ちょうど、当の耕大さんがカップを四つ乗せた盆を手に戻ってきた。
総一郎さんと僕は珈琲。珈琲が苦手な桜野にはミルクティー。耕大さん自身はどうやら水のようだ。行き渡ると、彼は総一郎さんの隣に腰を下ろした。
桜野は猫舌でもあるため、まだカップには口を付けず、耕大さんに問う。
「封筒を発見したのは五日前の二十四日だよね。時刻はいつごろ?」
耕大さんの方は水をひとくち飲んでから、
「昼だったよ。何時だったかなあ。一時くらいかなあ」
「どうして外に出たの?」
「散歩だよ。毎日じゃないが、俺は屋敷の周りをよく散歩するんだ。引きこもってばかりでは心身の健康を損なう。もちろん敷地からは出ないがね」
「封筒はどんなふうに置いてあったの?」
「玄関扉を出て、すぐ右横の足元に置いてあった。壁際だ。風で飛ばされないように、封筒の上には石が乗っていたよ」
「家を出てすぐに気付いたの?」
「いや、散歩を終えて戻るときに気付いた」
「家を出たときには、まだ置かれてなかったのかな?」
「単に気付かなかっただけだろう。出るときに足元なんて見ないからね」
僕は頭の中でイメージしてみる。たしかに外出するとき、足元に何かあっても気付かないかも知れない。しかし戻る際には遠くから玄関を見るわけだから、下に何か置かれていれば視界に入る。
「それ以前に外に出たのはいつ?」
「前の日にも出た。同じく昼頃だ」
「そのとき封筒は置かれてなかった?」
「そのはずだよ」
「じゃあ封筒が置かれたタイミングは、二十三日の昼から二十四日の昼までに絞られるね。この間に雨が降ったりはしなかった?」
「しなかったね。最近ずっと五月晴れだ」
五月晴れというのは本来〈梅雨の晴れ間〉という意味だが、指摘はしないでおく。
「手紙の他に、最近この屋敷で何か変わったことは?」
「どんな些細なことでもいいから、ってやつだね? いやあ、申し訳ない。それが何も出てこないんだよ。いつもどおりの平和な毎日だったとしか……」
「あたしも同じ」と、総一郎さんが付け足した。
しかし桜野に困った気配はなく、淡々と質問を続ける。
「玄関まで行くのが難しかった人はいる? たとえば体調を崩して寝込んでいたとか」
少し間が空いた後に、総一郎さんが首を横に振った。
「いないわね。豊だって玄関前に手紙を置くことくらいできるし……」
「豊さんは足が不自由なんだよね」
「ええ。いまは隣の部屋にいるわ。後で紹介するつもりだったけど、呼んでくる?」
「その前に、もう少し確認。手紙のことは、家族の皆さんに話してあるの?」
「手紙を見つけたその日の午後、全員に話したわ。自分が書いたと名乗り出る者はいなかったし、みんな心当たりがないと云っていた」
「そっかあ」
桜野はようやくミルクティーに口をつけた。
「依頼の内容は、手紙の差出人とその狙いを突き止めること……で良かったよね?」
「ええ。まだ家族の誰かと決まったわけじゃないけど、あたし達は互いを疑うことはしたくないの。無用な疑心暗鬼に陥る前に、美海子ちゃんの知恵でどうか穏便に解決をと願っているわけ。だから、よろしくお願いします」
総一郎さんは改めて深く頭を下げた。
社会批判を含んだエッセイのせいで気難しい人というイメージを持っていたけれど、これも桜野から幾度となく注意されている先入観であり偏見か。実際の彼女は気さくなうえに礼節も弁えていて、数年前まで人前に出ようとしなかった人だとは思えない。
しかし、その腹の内ではどうなのだろう……?
桜野は「うん、できる限りのことをするよ」と返事して、部屋の中を眺め始めた。
「次は屋敷の中を案内してもらえるのかな?」
「案内するわ。それと一緒に家族も紹介させて頂戴」
「そうだね。お願いするよ」
各人が、誰からともなく立ち上がった。
そうしながら僕は、天地邸に来るまでのタクシーで桜野と交わした会話を思い出していた。手紙に書かれている内容や差出人に心当たりがないことは、総一郎さんから電話でも聞いていたらしい。それについて桜野はこう語っていたのだ。
『きっと嘘だよ。心当たりがあるから、私に依頼してきたんだ。そうじゃなければ悪戯だと思って無視するか、自分たちで処理できるレベルの状況でしかないもの。でも、その心当たり……たぶん疚しい秘密があるんだと思うけど、そのことは私にも隠しておきたいんだろうねぇ』
そんな滅茶苦茶な。
その心当たりを話してもらわなければ、桜野だって解決は難しいんじゃないか?
『そうとも限らないって、総一郎さんの方では考えてるんでしょ。珍しい心理じゃないよ。依頼人が必ずしも味方ではないことを、塚場くんもそろそろ学んできたころじゃない?』




