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名探偵・桜野美海子と天国と地獄  作者: 凛野冥
一週間後 六月七日(金)
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6「The Saddest Day」

    6


 蔵書室は変わり果てていた。床も壁も天井も真っ黒で、大量にあったはずの書物はほとんど燃え尽き、スチール製の本棚はどれも歪に変形していた。

 照明は割れており、外に面する窓もないため、各々が携帯のライトや懐中電灯で室内を照らす。

「地下との出入口は、屋敷の一階に複数存在している。此処にあるのは、そのうちのひとつだ。旧・豊が最後に使おうとしたのは此処だけど、事件の間、他の人達が使っていたのは別だろう。此処じゃあ私や塚場くんに、出入りしているところを目撃されかねない。でも内側から施錠できる部屋を選べば、その心配がないからね」

 本棚を壁として、入口から左へ二列目の通路を桜野は進んでいく。

 その後ろには僕と藤井さん、そして天地満代が続いている。天地満代は既に手錠を嵌められ、背後には男性刑事が三名ついている。外で待機していた彼らを藤井さんが呼び入れたのだ。

 桜野は、奥の壁に突き当たったところで立ち止まった。

 ちょうど旧・豊が焼き殺された地点だ。死体はとっくに運び出されているが、変色した床をよく見ると、其処に人が倒れていた痕が認められる。

「ほら、これが地下との往来を可能とする鍵だよ」

 彼女は身体を横にどけて、正面の壁に刻まれたそれに携帯のライトを当てた。

 五芒星の中央に、正面から見た天地邸の姿を描き込み、余白には上から順に太陽と雲、木々、地面を表しているのだろう荒い凹凸を配して、周りを円でぐるりと囲った意匠。

 天地家の家紋である。

「このマークは他にも色んな部屋に存在している。それら全部に地下との出入口があるわけじゃないけど、反対に、地下との出入口がある場所には必ずこのマークがあるんだ。操作の仕方は、設計に携わった人から聞いてきたよ」

 桜野は壁面の家紋に片手を当てると、力を込めて押した。音はない。しかし家紋の部分だけが、わずかに奥へ引っ込んだようだ。彼女はそのまま手首を左右へ何度か振るような動きをした後、ぐるんとひねる。そして手を離す。

 カチャッと、思いのほか軽快な音が足元から響いた。

 壁では、家紋が上下逆さまにひっくり返っている。

「逆五芒星……悪魔の象徴だね。正五芒星は天との繋がり、逆五芒星は地獄との繋がりを示すと云われている。ゆえに五芒星をあしらった家紋を逆さにすることで、地下との往来が可能となる仕掛けになっているんだ」

 彼女がさらに横へ移動すると、今まで立っていた足元で、床が数センチほど跳ね上がった。約一メートル四方の形に切り取られている。跳ね上げ扉だ。

 其処に扉があると判らないよう、蔵書室の床には全体に碁盤目状の細い溝が入っていて、扉のふちをカモフラージュしてある。

「満代さん、家族の皆さんのところに案内してもらえるかな?」

 桜野だけでなく藤井さんにも促され、天地満代は力無い足取りで進み出た。手錠を嵌めたままの手で跳ね上げ扉と床との隙間に指を差し込み、扉を開ける。

 複数のライトがその中を照らす。床より約一メートル下を最上段として、其処から急な階段が斜め下へと続いている。覗き込んでも、灯りは奥まで届いていないようだ。

 これでは本当に、悪魔の()()でも思わせる。

 天地満代は一度ふちに腰掛けてから、穴の中に飛び降りた。穴のふちに頭をぶつけないよう身を屈めて、その狭い階段を下りていく。

「照らさなくていい。人感センサーで灯りがつくの」

 その言葉のとおり、しばらく下りたところで階段の先が明るくなった。彼女の後を藤井さん、桜野、僕、それから三人の刑事が続く。

 長年に渡って、天地家の秘密を閉じ込めてきた地下空間……。

 建物で云うと二階分は下りたんじゃないだろうか。突き当たりに扉があり、複数の、しかも様々なタイプの錠がついているらしい。天地満代がそれらを順番に解いていく。

 なるほど。この扉があるせいで、旧・天地家の人達は、階段の上にある飛び跳ね扉の真下までも行くことが許されなかったのだ。地上と地下がこれほど隔たっていたのでは、互いの声も物音も聞こえなくて当然である。

 扉が開くと、その先は廊下だった。

 天井も壁も床もコンクリートが剥き出しとなっている。ただし照明がついているため薄暗い印象はない。もっと不気味な空間を想像していた僕はやや拍子抜けしたが……。

 天地満代は無言のまま廊下を進む。

 その後ろをついて行きながら、僕は徐々にこの地下空間の異様さに気付き始める。

 高さは充分だけれど、地上の廊下に比べると幅は狭い。横に二人並ぶのが精一杯だ。しかも地上より、さらに複雑に入り組んでいる。左右に曲がるだけでなく、斜めにも折れる。分かれ道も多い。途中、天地満代が右手にあった扉を開けると、その先もまた廊下になっていた。そちらの廊下に移る彼女の後ろで、桜野が云う。

「聞いていたとおりだ。地下は迷宮なんだよ。部屋数も多くて、お風呂とかトイレまであるらしいけど、どう見たって住空間として設計されたものじゃないね」

 しかし旧・天地家の人達は六年以上も此処で生活していた。本物の天地総一郎は、自らが考案した迷宮に閉じ込められることになったのだ。

 一体、その精神状態はどんなものだったのだろうか。

 とても、正気でいられたとは思えない。

 僕はやっと理解した。この地下空間が不気味で堪らない、息の詰まる、まさに地獄のような場所に感じられた。抜け出せる窓も扉もない。太陽の光も月明かりも届かない。僕は土砂に埋まった天地邸で三日過ごすだけでも、あんなに苦しかった。

 この地下空間は、それと変わらないじゃないか。

「……書斎での音声を皆にも繋いでいたの。だから皆、貴女たちを見ても驚かない。きっと抵抗はしないでしょう。貴女たちも、手荒なことはしないで頂戴」

 天地満代はそう云って、廊下の途中で足を止めた。

 一枚の扉の前だった。

「あたしが開けていいの?」

「いいや、おめえは下がってろ」

 藤井さんが彼女を押しのけ、扉を開けた。

 その中は、一見して居間のようだと判った。廊下と同じく剥き出しのコンクリートに囲まれているものの、十二畳ほどの空間に、ソファーやテーブル等の家具が並べられている。

 其処に、知っている人達の顔が揃っていた。

 耕大さん……満代さん……恵ちゃん……久保田さん……。

 死んだと思われていた人達。焼き殺されたと思われていた人達だ。

 ああ、みんな生きている………。

 藤井さんが室内に入る。桜野が続く。僕も呆気に取られながら、足を踏み入れる。

 パチ、パチ、パチ、と。

 乾いた拍手の音が響いた。手を叩いているのは、ソファーに腰掛けている久保田さんだ。

「桜野探偵、お前さんの推理力には恐れ入ったよ! 一から十まで(つまび)らかにして――まるで千里眼。神通力のたぐいだな。実に見事だった! あれじゃあ仕方ない。吾輩らの完敗だろう! 敵ながらアッパレ! さぞかし気分が良いんじゃあないかね?」

 いやに陽気な声。しかしその顔は、まったく笑っていなかった。

「これで天地家は本当に終わりだ! 完全崩壊だ! 悪いことはできんものだな。天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして()らさずか。どうやら今度は吾輩らが地獄に落ちる番らしい。罪人を処刑したことで、自分らが罪人として処刑されるとは。なんて皮肉な因果だろう!」

 他の人達は口を開かない。満代さんはソファーの上で手足を投げ出し、放心している。恵ちゃんは椅子に腰掛け、拗ねたような顔で壁の方を見ている。耕大さんは僕らが部屋に入ると同時に椅子から立ち上がったまま、こちらを睨み続けている。

 僕は悟る。みんな……知っている顔だけれど、知らない人達だ。

 後ろから、僕の肩に何かがぶつかった。天地満代だった。

 彼女は桜野と藤井さんの間も抜けて、ふらふらと、覚束(おぼつか)ない足取りで、家族の前へと進み出た。僕からはその後ろ姿しか見えない。小柄な、まるで少女のような後ろ姿しか。

「あ……あ……あ……あ……」

 か細い声が断続的に漏れ、次の瞬間、彼女は床に崩れ落ちた。

 そして慟哭(どうこく)した。広大な地下の迷宮、その隅々にまで響き渡るような声で。

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